ここに同盟を結びましょう

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ここに同盟を結びましょう

「わたくしより座っている時間が短いだなんて。ベルは今、怪我をしているのよ?」  お嬢さまの正論を真正面から浴び、全身打撲くらいの激痛を心臓に受ける。  弱々しく謝罪の言葉を述べるも、腰に手を当てたお嬢さまは頬を膨らませていらっしゃった。  愛らしいそのお姿を、心のシャッターで連射する。  お嬢さま本日も可憐です。  胸を押さえて苦しむ僕を、坊っちゃんが危ないものを見る目で遠巻きにしていた。  はい、自重します。 「ベル、聞いてまして?」 「一言一句、聞き漏らすことなく」 「でしたらここに座って、一緒にお勉強しましょう」  指し示された椅子に、そっと視線をさ迷わせる。  僕の反応から何かを察したお嬢さまが、じっとりとその石榴色の目の温度を下げられた。 「わたくしとお勉強するより、他に魅力的なものがあるのかしら?」 「その誘い方はずるくありませんか!? お嬢さま!」 「ふふっ、お母様と言葉遊びの練習をしているの」  ころころと微笑むお嬢さまはこんなにも清らかなのに、その遊びの内容に戦慄を覚えてしまう。  いや、お嬢さまは公爵家のご令嬢。  更にはリヒト殿下のご婚約者。  お嬢さまのお立場を鑑みるに、社交の場という名の戦場で生き残るためには、言論の力は必要不可欠となってくる。  そうだとはわかっていても、何だろうこの遣る瀬なさと切なさ。  まさかこれが空の巣症候群?  お嬢さまの傍仕えから外れた僕は、基本的にお茶会へ同行しない。  専らアーリアさんのお仕事だ。  アーリアさん羨ましい。  なのでお茶会でのご様子は、お嬢さまから直接お聞きした内容でしか存じ上げない。  お嬢さまが恋しい。  今目の前にいらっしゃるけれど。  違うんだ、僕は給仕したいんだ。  さあ座って。指し示された椅子に戸惑う。  この葛藤を簡潔に表現するなら、アイデンティティを掃除機で吸われるような感覚だろうか。  僕が僕であるためには、アーリアさんと同じ位置で、静かにご義姉弟のお勉強会を見守る配置につきたい。  僕の本能がそう言ってる。  けれども、僕の現状を憂いたお嬢さまのお心遣いを、無碍にすることも出来ない。  内心冷や汗をかく僕を再びじっとりと見詰め、お嬢さまが口を開かれた。  何だろう、既視感。  あ、さっき坊っちゃんと似たようなやり取りをしたのか。 「……アルとクラウス様とは同じテーブルでお勉強が出来るのに、わたくしのことは仲間はずれなの?」 「ぐはっ」  椅子の背凭れに手をつき、心痛に震える。  ……まいりました。掠れた声で椅子を引いた。  勝ち誇ったように、お嬢さまが満面の笑みを浮かべられる。  お嬢さまと僕が攻防を繰り広げている間、黙々とお勉強を進める坊っちゃん。  我関せずとばかりに算術を解いていらっしゃった。  ……逞しくなられましたね。  椅子に座り、重ねられた本を手に取る。  魔術書の表紙を捲りながら、ふと思い出した事項を口にした。 「お嬢さま、坊っちゃんの魔術の発現についてなのですが」 「そうだったわ! アル、何か欲しいものはあるかしら?」 「ない。気にするな」  椅子を鳴らして立ち上がったお嬢さまに対し、さっぱりとした切れ味で坊っちゃんが返答する。  本から目すら上げない、この坊っちゃん。  さっきも思ったけど、何で!?  あんなにまだだって焦ってたのに……!! 「わたくしとしたことが、お父様へご報告した際、すっかり失念していたわ……悔やまれるわ……」 「いい。領地へ戻ってから、自分で報告する」 「坊っちゃん、もっと喜んでいいんですよ……? どうしてそんな冷め切った反応なんですか……?」  アーリアさんだって喜びたいですよね!? 振り返って先輩を巻き込む。  一瞬目を瞠った彼女が、静かに礼をした。 「僭越ながら。公表の時期を引き延ばすことに、何か意味があるのでしょうか?」 「……特にない」  ようやく顔を上げた坊っちゃんが、ちらりと僕を一瞥する。  次いでため息をつき、再び書面へ顔を戻した。 「そいつが健康体なら、僕だって素直に喜んだ」 「そんなッ、アルのせいではないわ!!」 「僕がもっと早くに魔術を使えるようになっていれば良かったんだ」 「なら、わたくしが外へ出ようとしなければ良かったんだわ!」 「……護衛として任を外れていた、私に非があります」 「や、やめましょう!?」  突然の反省会に中断を叫ぶ。  三対の目がこちらを向き、心臓がひやりとした。 「たらればの話をしても、仕方ありません。僕はこうして怪我だけで済みましたし、お嬢さまと坊っちゃんがご無事で、何より安心しています」 「……そうね。わたくしたちに何かあって、アーリアとベルが解雇されるなんて、嫌よ」  椅子に腰を下ろしたお嬢さまが、静かに嘆息される。  真っ直ぐに背筋を伸ばした彼女がこちらを向いた。  ふわりと目許を緩め、ほんのりと口角を上げられる。 「ありがとう、ベル。何度お礼を述べても尽くせないわ」 「いえっ、そんな、当然のことをしたまででッ」 「だからわたくしも、領地へ戻ったら特訓することにしたの」 「はい?」  何が「だから」なのだろうか?  文脈を飛ばしたお嬢さまの宣誓を、首を傾げて見詰める。  にこにこと微笑むお嬢さまはいつも通りで、坊っちゃんとアーリアさんも不思議そうな顔をしていた。 「わたくしの手の届く距離で、わたくしの大切な人が傷付くことが、嫌なの」 「お嬢様、私たち護衛は、主人を守ることが仕事です」 「ええ、知っているわ」  アーリアさんが嗜めるも、お嬢さまは変わらず背筋を伸ばされている。  膝の上で重ねられた手は優雅で、穏やかな微笑みは絵画のようだった。  油絵ではない唇が動く。 「それは、わたくしが無力だから」 「お嬢様!」 「だからわたくしは強くなるの。今のわたくしは理想を語る世間知らずだけれど、必ず実現させるわ」 「……具体的に、何をされるおつもりですか?」  折れたのだろう、肩を落としたアーリアさんがお嬢さまへ問い掛ける。  待ってましたとばかりに、お嬢さまが微笑まれた。 「私兵の魔術訓練にお邪魔させていただくの」 「ご許可は!?」 「お父様と、お母様に。懇々と話し合ったわ」 「…………」  ふらりと崩れ落ちたアーリアさんの背中を撫でる。  僕も衝撃の連続で、ちょっと声が出ない。  どうしてそんなワイルドな思考に陥っちゃったんですか、お嬢さま!?  アーリアさんと僕の様子を、してやったりとばかりに笑ったお嬢さまが、テーブルに身を乗り出す。  唖然としている坊っちゃんへ、にんまりした笑顔で語りかけられた。  あっ、それは共犯を促す微笑みですね! 「ねえ、アル。後悔しているのなら、わたくしと一緒に頑張らない?」 「……義姉さん、お淑やかはどうしたんだ?」 「勿論継続よ。どう? わたくしたちばかりハラハラさせられるなんて、割りに合わないでしょう?」 「……そうだな」 「ここに同盟を結びましょう!」  輝かしい笑顔で差し出された白い手を、坊っちゃんが口許に笑みを浮かべて握り返す。  アーリアさんは胃を押さえてキリキリさせ、僕は僕で、一日も早く怪我を治して同行しなければと必死になっていた。  どうしてこうなったんでしょうね!?
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