339人が本棚に入れています
本棚に追加
番外編:まずは筋肉からアプローチ
始めは人攫いかと見紛うほど強引に、自分より小さな身体を浚っていた。
ベルくんは短い悲鳴を上げて、けれども俺だとわかると、大人しく俺の頭を撫でてくれた。
薄い胸に耳を当てて、心臓の音を聞く。
俺以外の誰かが生きている音に、震えていた身体が落ち着くのがわかった。
どうしてベルくんなのかと聞かれれば、始めに仕留めた獲物だからとの意識が強い。
クラウスは絶対に嫌だった。
アルバートくんなら、まあ構わない。
ベルくんがいなくてどうしようもないとき、代わりにアルバートくんを捕獲したことがある。
驚いたのか緊張したのか、心音がずっとどきどきしていて、少し笑ってしまった。
それ以来アルバートくんは俺を警戒している。
隙なんか見せてくれない。かしこい子だ。
ある程度俺の様子が落ち着いてきたところで、クラウスの母親が直々に俺の教育を買って出た。
どうやらベルくんの髪を引っ張ったのが、相当琴線に触れたらしい。
毎朝迎えに来る馬車に、あんなにこわい思いをしたのに、心の底から恐怖した。
けれども泣こうが喚こうが、ニーナさんは引く様子を見せない。
諦めた。
齢11にして悟った。
この人には、大人しく従おうと。
そういえば昔、クラウスに「父ちゃんと母ちゃんどっちが怖い?」と尋ねたところ、とても遠い目で「母さん……」と答えていたのを思い出した。
むしろ身を持って知った。
お前ん家の母ちゃん、こわいな……。
初日の授業後、泣きながらベルくんを抱き締めて、めちゃくちゃ謝った。
心の底から謝った。自らの愚行を悔いるように謝った。
ベルくんに嫌われたら生きていけないとまで言って、泣いて泣いて泣きじゃくった。
流石のアルバートくんもどん引きした顔をしていたけれど、真理だから仕方ない。
ベルくんは物凄く困った顔で、必死に俺を泣き止まそうと宥めてくれた。
それがまた愚行を悔いる形になり、負の連鎖に陥る。
最終的に、カレンさんが間に入ったことで終戦した。
コード家の滞在期間終盤には俺の体力も戻り、ベルくんを抱き上げられるまで回復した。
ひょいっと持ち上げられたベルくんは、それはそれは衝撃を受けたようで、今まで見たことのない悲壮な顔をしていた。
「もっと鍛えます……」呟いた声は震えていた。
正直悪いことをしたと思っている。
あんなに悲しむとは思わなかった。
元々体力には自信があったんだ。
でも多分、クラウスも同じこと出来るんだよな……。
思ったことは口にせず、「ごめんね」微笑んでやりたいことを優先させた。
一日の終わりに心臓の音を聞く。
他にも日課はあるけれど、これは特に欠かせない。
今でもあの日を夢の中で繰り返す。
けれども厳しい先生のおかげで、日中忘れていられる。
周りの人間にも恵まれた。
俺を律してくれるニーナさんと、甘やかしてくれるベルくん、カレンさん。
アルバートくんも、頼み込んだら少しだけ構ってくれる。
ここの娘さんのミュゼットちゃんは、カレンさんにとてもそっくりで、カレンさんに甘えた分恥ずかしさを覚えてしまう。
今はまともに顔を合わせられないけれど、ニーナさんの教え通り、いつかは紳士的に振舞いたい。
勿論ベルくんにも。もう二度と無様な格好は見せたくない。
あーでも、ベルくんにはまだまだ甘えていたい。難しいなあ。
最初のコメントを投稿しよう!