記憶に足りない

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記憶に足りない

 便宜上、あの不審者をウサギ男とする。  ――ウサギ男などという強烈な存在、ゲームにいただろうか?  騎士団、自警団、組合窓口。  無難に思いつく組織へ顔を出して依頼を出すが、10歳の子どもを相手にしてくれるところなど存在しなかった。ですよねー。  特に最後行った組合。  ギルドとか呼ばれる、登録制のあそこ!  僕の三角巾を情けないと揶揄したそこ!  傷口に塩を塗り込む真似は止めてもらいたい!  情けないことは、自分でもよくわかっているんだ。  僕だって外せるものなら外したい!  ぷんぷん怒りながら、日の暮れてきた街路を歩く。  行きは乗り合い馬車のお世話になったが、帰りのこんな時間に走っている馬もいない。  安全そうな道を選びながら、少し治安の悪い道を進んだ。  王都で有名どころは一通り回り終えてしまったが、残念なくらいに収穫がなかった。  何処もぱっと見たところ、ヒルトンさんに敵うような人は見当たらない。  困惑にため息をつく。  もっと候補がいると思っていただけに、空振った一日が重たく感じた。  そもそもヒルトンさん、何者なんだ。  あの人を基準で考えてはいけないのか?  でも雇用の決定権は、あの人が握っているんだよ?  ふと脚を止めた、細い道への入り口。  路地裏と呼ばれるそこが、暗くなる空気を一足先に充満させている。  ……僕はここに落ちていたらしい。  僕の出身は、王都のスラムだ。 「…………」  ずっと、引っ掛かっていることがある。  ゲーム内のベルナルドは口数の少ない人物だったが、ウサギ男と対面したなどというエピソードは出てきていない。  アルバート坊っちゃんにも、勿論ミュゼットお嬢さまにもそんな話は出てこない。  改変に対する修正力でも働いているのだろうか?  だからって、その修正の仕方は何だろう?  それとも僕が知らないだけで、実は遭遇していたとか?  ウサギ男について、不自然な点もある。  何故、僕を殺さなかったのだろう?  彼はあからさまに武器を捨てた。  僕を容易く殺せる状況下にあったにも関わらず、だ。  次に目的。  お嬢さまを狙っての襲撃なら、何が目的だったのだろう?  おひとりのところを狙い、屋敷を襲撃しなかったから、誘拐だろうか?  それにしては、戦力があり過ぎるように思う。  明確な殺意を持って、子どもが刃物を振り回していたんだ。  人体の急所は把握している。  それを容易くあしらい、僕を昏倒させたにしては、引き際が良過ぎる。  押し入り強盗だって余裕だったはずだ。  いや、相手は屋敷の人員構成について知らなかったはずだ。  あの日、警備が手薄だと知っていたのは、内部の人間だけだ。  強盗は考え過ぎだろう。  まず、交戦はリスクが高過ぎる。  誘拐が目的であれば、お嬢さまがお逃げになられた段階で、作戦は失敗している。  現場に居残り続ける利点が、何一つない。  ……じゃあ何でウサギ男は、逃走の素振りも見せずに交戦したんだろう?  ふと思考を止め、ぞっとした。  今僕は、騎士団、自警団、ギルドに顔を出した。  そこに、あのウサギ男に敵う人間がいないと判断した。  ウサギ男がリズリット様のご家族の仇と考えるのは早計だが、そうなると圧倒的暴力を有した人間が、二人以上存在することになる。  ……誰が止めるんだ? 数で攻めるのか?  考えたそれを、首を振ることで振り払う。  僕は全体を見たわけではない。きっと有力者は他にいる。  それにこの件を案じるのは、僕ではない。  僕は僕の仕事をしよう。  思考から遠退いていた雑音が耳に入り、吐息をつく。  何処かの店仕舞いの音、子どもの別れの挨拶、一日の終わりの音。  夕飯のにおい。寒さを連れてきた風に押され、脚を踏み出した。  ――夕日が落ち、夜に切り替わる、僅かな時間が好きだ。  青が一段と綺麗に見える瞬間。  プルキニエ現象、だったか。青い世界を歩く。  踏み出す度に左足が痛みを帯びるが、そう構ってもやれない。  ふいと道を逸れる。  思った以上に時間を割いてしまった。  ――そういえば、坊っちゃんは魔術の発現を、お話されたのだろうか?  未だ坊っちゃんとは気まずい間柄で、お食事もとられようとしない。  怒っていると言っていたが、何に対して怒っているのだろう……?  二階から飛び降りたことも、戦闘したことも、必要だったから行ったまでだ。  負傷については不名誉だが、こうして存命しているのだから、怒られる内容とは違うように思う。  ……駄々を捏ねたのは申し訳なかったが、僕から仕事を取ると何が残るのだろう?  あくまで僕は使用人だ。  使われるべきものが使えない状態なんて、ただの置物じゃないか。  数度首を横に振り、嘆息する。  坊っちゃんのお怒りポイントがわからない。  許してもらえるかわからないけど、もう一度謝罪しよう。  そしてお食事をとってもらおう。  青い空気も夜色に馴染み、一段と暗くなった街路を一望する。  警戒は大事だ。  コード家の制服は見目が良い。  こんな時間帯に、10歳の子どもがうろついているなんて、浚ってくれと言っているようなものだ。  ……失敗したな。いつもより歩く速度が遅いのが敗因かな。  変なものを屋敷まで案内するわけにもいかない。  気配を辿り、速やかに闇に紛れる。  三角巾、白いし目立つし邪魔だな……。  もう少し早くに帰りたかったけど、やっぱり一日に巡りたい場所を詰め込みすぎた。調べものにも時間がかかった。  改めて王都は広いと実感する。  息を詰めて痛みを噛み殺し、思いっ切り駆けた。  コード家の裏庭に降り立ち、裏口を開ける。  待ち構えていたのは、にこにこ笑顔のヒルトンさんで、思いがけない遭遇に心臓が凍った。ひえっ。  今しがた彼が座っていた椅子に座るよう命じられ、おずおずと腰を据える。  引っぺがされた靴、靴下、ズボンの裾に、悲鳴を上げそうになった。  にっこり笑顔のヒルトンさんは、門限とは何かから話を始め、捻挫について詳細を語り、僕の歩行距離について質問を投げ掛けた。  まさかそんな、飛んだり跳ねたりしたなんて口が裂けても言えず、「ゆっくり歩いていたらこの時間になりました」と目線を逸らせて大嘘をついた。  そういえばこの人、僕の養父だったんだ。  先生と裏ボスって認識が強過ぎて、忘れてた。 「今日は随分と風が強かったようだね。髪が乱れている」 「はい?」 「バランスも取りにくかっただろう、シャツに煤がついている。君の手も汚れている上、三角巾は特に目立つな」 「…………」 「何にぶつかった? 傷口は開いていないかね? 少し見せてみなさい」  頷く前に釦が開けられている。  静かに天井を見上げた。  隠し事って、出来ないものだなー。  にっこり、裏ボス様が笑顔を作る。  冷や汗が止まらない。言い訳すら出てこない。  嘘の塗り重ねも、嘘の肯定も出来そうにない。  謝罪なんかしたら、そこから芋づる方式に全てを吐かされてしまう。  うっわ圧力めっちゃこわっ。 「足の腫れも悪化している。ベルナルド、今後は松葉杖を使用するように」 「ひゃい」 「全く君は、人の心配を何だと思っているんだ」  やれやれ、呆れたようなため息を零され、申し訳なさに肩を落とした。
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