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コード家の王都滞在期間も、残り4日。
正直僕は焦っていた。
ますます動きの制限をされた状態で、思うように行動出来ないことがもどかしい。
排除すべき不審者に敗北したこともむしゃくしゃするし、お仕事がいただけない現状にも鬱屈する。
アーリアさんを筆頭に、使用人の皆さんへどれだけお仕事くださいとおねだりしても、「休め」の指示以外もらえなくて辛い。
僕の自己肯定感は、最早マイナスの値を叩き出している。
このような情けない姿を晒すことにも、屈辱を感じていた。
まず第一に痛い。
昨日ぴょんぴょんしたことも相俟って、色んな箇所が痛みを訴えている。
自業自得だけど、些細な動作すらままならない現状が歯痒くて、情けなかった。
だからだろうか。考え事をする時間が多い。
もやもやと纏まらないそれを相手取り、こつり、屋敷の廊下を歩く。
この松葉杖も大きさが合わず、とても歩き難い。
負傷箇所も左肩、左足の左揃いで、更に歩き難い。
「……おい」
背後から呼びかけられ、緩慢な動作で振り返る。
本当はもっと滑らかに素早く動きたいのに、これが今の僕の最大速度だ。
……もう絶対、大怪我なんかしない。
覚束ない方向転換を遮ったのは、お声通りの坊っちゃんだった。
沈痛そうなお顔をされている。
慌てて表情をいつも通りのにこやかなものに変え、彼へ話しかけた。
「どうかされましたか? 坊っちゃん」
「……重装備だな」
「松葉杖って使い難いですね」
「…………痛むか?」
窺うように投げ掛けられた質問を、曖昧に微笑んで誤魔化す。
流石に「全力疾走で痛めました」とは言えなかったので、真実には蓋をした。
返された気遣いの言葉に、良心がめちゃくちゃ痛む。
消えたい……いや本当に反省してます……。
沈黙した坊っちゃんが、僕から松葉杖を取った。
無造作に片手にさげた彼が、こちらへ手を差し出す。
「何処へ行くんだ?」
「書庫です。折角なので、整頓でもと」
王都別邸の書庫は、余り活用されていない。
この廊下の突き当たりにあるその部屋は放置状態にあり、手持ち無沙汰な今だからこそ、積もりに積もった掃除と、整頓に向いていた。
了承したのだろう、坊っちゃんが僕の手を取って歩き出す。
……お心遣いが優しい……すれた心にしみる……。
でも坊っちゃんに体重かけるなんて出来ないので、ちゃんと二本の足で歩きます。
「おい」
「はい?」
「足」
鋭い眼光で睨まれ、ふらっと視線を宙にさ迷わせる。
困った、実に困った。
坊っちゃんのご好意を無駄にするわけにはいかない。
しかし坊っちゃんに僕の介助をさせるわけにもいかない。
すごく、困った。
すっと温度の下がった黄橙色の目に、即座に不機嫌を察知する。
まずい、この機会を逃すとまた仲直りが長引いてしまう!
坊っちゃんの手を引き、申し訳なく笑みを向ける。
「えっと、その、……寄りかかるので、もう少し近付いてもよろしいでしょうか?」
「! ああ、その、すまない」
重いですよ? 事前に警告しておき、坊っちゃんの腕に右腕を絡める。
重心を右に傾け、ほどほどに左足の負担を軽くした。
全力では流石に凭れられないが、このくらいなら。
坊っちゃんの顔を見遣ると、驚いたような顔をしていた。
「あっ、すみません、重かったですよね」
「いや、構わない」
ふるふる首を横に振られ、坊っちゃんが僕を伺いながら歩みを進める。
地味な歩幅は時間がかかるもので、坊っちゃんに「お時間大丈夫ですか?」尋ねた。
普段の坊っちゃんのご予定なら、今頃お勉強のはずだが。
首を横に振った彼は、構わないと口にした。
何とか辿り着いた書庫の鍵を開け、扉を開け広げる。
こもっていた埃くささと、インクと紙のにおいが解き放たれた。
日陰に位置している窓まで向かい、大きく開ける。
心持ち冷たい風が、部屋の空気を一新させた。
窓に凭れながら、小さく息をつく。
「そうだ。坊っちゃん、魔術の発現、おめでとうございます!」
はたと思い出した事項を、喜びにのせて伝える。
唖然とした顔の坊っちゃんはふいと顔を背け、本棚へ向かってしまった。
「……ああ」
「旦那様や奥様には、お話になられましたか?」
「いや」
ふるふる、首を振った彼が、「誰にも話していない」と口にした。
何故だ!? あんなにも心待ちにしていたじゃないか!
「えっ、ヒルトンさんにもですか? どうしてですか、お祝いごとなのに!」
「祝えるか! お前がそんな状況なのに!」
「僕ならお構いなく! さあ、お伝えに参りましょう?」
「僕はッ!!」
突然の大きな声に、びくりと肩が跳ねる。
坊っちゃんは固く両手を握っていて、震える肩を諌めていた。
悔しげに、苦しげに、しかし先の激昂とは正反対の掠れた声を絞り出す。
「……心配したんだ。お前が死ぬんじゃないかって。義姉さんに大丈夫だと言っておきながら、不安で堪らなかった」
唐突に打ち明けられた別視点に、言葉が詰まる。
動揺から視線がさ迷い、熱を持った頬を押さえた。
風に吹かれたカーテンが揺れる。
ええっと、こういうとき、何と返事すれば良いんだろう。
散々ヒルトンさんから呆れられた「心配」の言葉を、今ようやく実感した。
「その、……ご心配、おかけしました」
「なのにお前ときたら、仕事仕事仕事! 休めと言っても聞こうともしない。お前は人の心配を何だと思っているんだ」
「返す言葉もございません……ッ」
情けなさから目許を片手で塞ぐ。
ワーカホリックでごめんなさい。
こういう事態に陥ったことがなかったから、自己評価を保つために突っ走っていました。
今物凄く反省しています……!
こつりと靴音が響き、かざした右手が掴まれる。
あーダメですダメです。これは暖簾ではありませんー!
同じくらいの身長の坊っちゃんが、僕の顔を覗き込んだ。
ふはっ、珍しく声を立てて笑られる。
「お前、本当、すぐ顔に出るな」
「自分でもわかってるんです。もーっ、僕はかっこよくスマートに振舞いたいのに……」
「無理だな」
しれっと言いのけた坊っちゃんが、機嫌良く僕の手を解放する。
自由になった手で、ぱたぱた顔を扇いだ。
恥ずかしい。僕、この赤面症治したい。
「それより坊っちゃん、お時間よろしいんですか?」
「……小腹が空いた」
「畏まりました!!」
苦しみ紛れの僕の誤魔化しに対して、そっぽを向いた坊っちゃんが、突然のデレを放った。
喜びに弾んで、一歩踏み出す。
勢い良く左足にかかった体重に、思わず痛そうな声を上げてしまった。つらい。
慌てた坊っちゃんが「馬鹿か!?」僕の身体を支える。
はしゃぎすぎた、恥ずかしい……!!
結局書庫の換気しか出来なかったけど、その場を後にし、坊っちゃんに軽食をいただいてもらった。
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