推理1

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推理1

 ヒルトンさんの部屋をノックする。  書類の整理をしていた彼は、僕の入室に柔和な笑みを浮かべ、重厚な椅子から立ち上がった。  椅子を勧められるも、首を横に振って断る。 「どうしたのかね、ベルナルド」 「ヒルトンさんに、聞いてもらいたいお話があるんです」 「言ってみたまえ」 「ウサギ男は、あなたですね」  引きつる喉を動かし、硬い言葉を吐き出す。  ずっと考えていたことがある。  けれどもそれを肯定することが怖かった。  空想から目を背けたかった。  けれども、考えれば考えるほどにその解しか導けず、諦めて目を向けることにした。  にっこり、浮かべられた笑みのまま、ヒルトンさんが静止する。  背の高い彼を見上げながら、松葉杖を握った右手を固く締めた。  速まる心音を落ち着けるように呼吸を整え、相手の出方を窺う。  白青色の目は、変わることなく同じ色をしていた。 「何故そう思うのかね?」  真っ先に否定して欲しかった。  何を可笑しなことをと笑い飛ばして欲しかった。  ヒルトンさんの優しい声音とは裏腹に、引っ手繰られた松葉杖が長い脚に蹴られ、執務机の近くまで滑る。  よろめいた僕は彼に抱えられ、入り口から遠いソファに座らされた。  突然の動向に震える内情に構わず、流れるように締められた扉の鍵。  かちゃん、跳ねた音が妙に耳についた。 「紅茶を淹れよう。さあ、話たまえ」 「……逃げも隠れも、しませんよ」 「長くなるだろう。君の身体を思いやってのことだ」  ヒルトンさんの手元が茶器を並べ、ポットにティーコゼーが被せられる。  退路を絶たれた現状に似つかわしくない茶葉の香りは穏やかで、錯覚しようになる。  静かに息を吸って、掠れそうな言葉を吐き出した。 「まず、あの日の不審者を、便宜上ウサギ男とします」 「続けたまえ」  温かな湯気を漂わせながら、ふたつのカップに琥珀色が浸される。  ……僕のお気に入りのお茶だ。  遠い昔、ヒルトンさんからお茶の淹れ方を学んだとき、この香りがすきですと、言ったものだ。  目の前に置かれた紅茶と思い出に、目を伏せる。 「ウサギ男の身形はとても整っていました。決して安物ではないスーツとコート。  昨日仕立て屋さんにお伺いしたところ、現時点での流行の型だと教えてもらいました」 「ほう。帰りが遅いと思えば、そのような情報を仕入れていたのか」 「お値段も伺いました。良い生地、良い仕立て。とても高額な金額ですね。  被り物の制作費がいくらかは知りませんが、ここで衣装を購入できる人物が、裕福層に固定されました」  まあ、その高額なベストの腹に、容赦なく蹴りを入れたのだけど。  向かいのソファに座ったヒルトンさんが、興味深そうに僕の話を聞く。  膝に置いた手を見詰めたまま、ふたつめ。次の推論を口にした。 「あの日、お嬢さまの後ろに控えていたメイドさんを探しました。ですが、もう解雇されていたんですね」 「怠慢だからね。辞めてもらったよ」 「その方々の日頃の勤務態度について、他の使用人さん方に尋ねて回りました」  優雅に脚を組んだヒルトンさんが、その上に組んだ手を置く。  ちらりと見遣った彼の顔は、チェスでも楽しんでいるかのように無邪気だった。  続きを吐き出す。 「結果は、余り勤勉なものではありませんでした。メイド長からも良くお叱りを受けていたとか」 「ほう」 「何故、あの方々を配置したのですか? ヒルトンさん」  下げていた目線を真っ直ぐ彼へ向け、問い掛ける。  ヒルトンさんは、変わらずにこやかな顔をしていた。  知らず、握った右手が震える。 「コード家の予定、使用人の配置を全て把握しているのは、あなた以外にいません。  旦那様と奥様のご不在、坊っちゃんの授業。それを知っていながらアーリアさんを遠ざけ、僕を呼び出し、お嬢さまをおひとりにしました」 「…………」 「王都別邸には男手が余りありません。御者のお二人は旦那様、奥様とともに。庭師のおじいさんは隔日にしか来ません。あとは女性の使用人ばかりです」  給金事情により、女性の方が男性を雇うより安価で済む。  また、領地ならいざ知らず、現時点で執事、傍仕えの固定されているコード家に、新たな下男を雇うメリットもない。  だからこそ、リズリット様は使用人にならなかった。  お嬢さまと坊っちゃんからお聞きした中で、右往左往する使用人は年若い女性ばかり。  誰も外へ助けに行こうとしなかったと言っていた。  当然だろう。誰だって暴力は恐ろしい。 「あの日、ミスターは何処へ行っていたんですか?」 「ワインセラーの管理にね。なにぶん地下で音が遠く、発見が遅れてすまなかった」  微笑に申し訳なさを加えたヒルトンさんの、予測していた返答にため息を飲み込む。  酒蔵の管理は執事にしか行えない。  ワインの保存に室温の低い地下を用いるのは、どの屋敷でも普通のことだ。  この証言を覆せる材料を、僕は持っていない。 「最後に、……ウサギ男の体型と動きは、ヒルトンさんそのものでした」 「それはただの感想だろう。訓練相手の少ない君の錯覚だ。証言にはならないよ」  おかしそうにくつくつ笑うヒルトンさんに、ソファを立って彼の隣まで向かう。  座面に膝をのせ、こちらを伺う彼の、整った襟首を引っ張った。  白いシャツの下から、左の首筋に走った赤い線が覗く。 「……左足、お揃いですね」  僕はウサギ男に、二箇所の傷を作った。  ひとつは首筋。  もうひとつは左の脛。  堪らないとばかりに笑い出したヒルトンさんが、天井を仰ぎ、目許を覆った。  そんな彼を、静かに見詰める。 「……ところで、坊っちゃんの魔術は何でしたか?」 「ははっ、ああ、風だよ」 「坊っちゃんは、まだどなたにも明かしていないそうです。それを知っているのは、あの場にいた人たちだけです」 「はははっ!」  可笑しそうに肩を震わせ笑っていたヒルトンさんが、突然僕の首を鷲掴み、座面へ押し付けた。  かはっ、圧迫に喉が鳴る。  即座に拘束する程度に緩められた手のひらに、噎せながら呼吸を整えた。 「ベルナルド、この話を他の誰かにしたか?」 「ごほッ、……してま、せん……」 「賢明だ」  首を絞められながら、頭を撫でられる。真逆の動作。  照明の光を背負うヒルトンさんは相変わらずの笑顔で、背筋に怖気が走った。  ウサギ男は顔が見えない分、遠慮なく攻撃出来た。  けれども中身がわかってしまった今、動くに動けない。  僕はきっと怯えた顔をしているのだろう。  ヒルトンさんは怖がる僕をからかうような、いつもの意地の悪い笑みを浮かべていた。 「君と私は立場が大きく違う。それは年数であり、信用の層だ。  子どもの君がどれだけ私を悪者にしようとしても、真っ先に君を助けに走った私を誰も疑おうとは思わない。君の信用を落とすだけだ。悪手だから、止めておくんだよ」 「僕の推理は、間違ってましたか……?」 「まさか、正解だ。しかし、それは被害者からの視点が大きく関与している。私を攻め落とすなら、もっと多方面から検分しなさい」  首から手を離され、反射的に右手をついてずり下がる。  傷が痛んだが構わず、二人がけソファの端まで下がった。  威嚇するように、彼の顔から目を背けない。 「……何故ですか。これは謀反です」 「多方面から見ろと教えたばかりだ。物事は側面だけでは成り立たない」 「もっとわかりやすく教えてください! 何故お嬢さまを危険な目に遭わせたんですか!?」 「強請るだけなら幼子にも出来る。君には考えるだけの力がある。自力で答えを見つけなさい」  突入した平行線の応酬に、唇を噛む。  考えろ、冷静に。  けれども動揺した心情が荒立ち、平静と呼ぶには程遠かった。  本当なら掴みかかって問い詰めたいが、僕と彼の力量差は歴然としている。  正しく赤子の手を捻る、だ。  ヒルトンさんがこちらへ手を伸ばす。  怯んで叩き落とすよりも先に、掴まれた左肩に肌が粟立った。 「わからないのなら、私を監視しなさい」 「……え」 「君の目で監視し、不正を見抜きなさい」 「それは、執事の仕事に関与する、ということですか……?」  穏やかな顔で微笑んだヒルトンさんが、服の上からそっと左肩の傷口をなぞる。  ついで二の腕、脇腹、反対の腕、頬。  次々と的確に、負傷箇所を撫でていく。  硬直する僕は動けず、最後に蹴られた鳩尾に手のひらを当てられた。 「ひとつ、なぞなぞを与えよう」  行動に困惑していた上で、更なる困惑の種を落とすヒルトンさんを見上げる。  鳩尾を擦る彼は顔を上げず、そのまま口を開いた。 「ある令嬢がいた。彼女には悩み事があった。切手のない手紙が届くからだ。手紙の中身は彼女への思いを綴ったもの。所謂ラブレターだった。次第にその書面は苛烈になり、彼女は恐怖した」 「…………」 「一晩中、家の中から郵便受けを見張った。しかし手紙は届いた。次に見張りを立てた。それでも手紙は届いた。  令嬢は苦しんだ。何処からこの手紙はやってくるのだろう? ……君は何処だと思うかね?」 「……手紙に、ヒントはありますか?」 「いいや」  静かに首を振ったヒルトンさんが立ち上がる。  差し出された手を、躊躇した末握り返した。身体が座面から浮く。 「今日はもう遅い。部屋に戻って休みなさい」 「最後にひとつ、いいですか……?」 「何かね?」  蹴り飛ばした松葉杖を拾い上げた彼が振り向く。  温和な容姿、整えられたロマンスグレーの頭髪、隙のない整然とした仕草。  差し出された松葉杖を、右手で受け取った。 「……何故、僕を殺さなかったんですか?」 「心外だな。これでも愛情深く育てているつもりだ」  微笑む顔はいつものヒルトンさんで、今日の話は全て夢だったんじゃないか、錯覚してしまう。  けれどもテーブルの上には、一口もつけられていない紅茶が二客あり、温かな湯気はすっかり冷め切っていた。  それだけの時間経過が、現実だと僕に知らしめる。  どう処理をつけて良いのかわからない僕の頭を撫で、困ったようにヒルトンさんが笑った。
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