K家のばあちゃんの言うことにゃ

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K家のばあちゃんの言うことにゃ

もう多分亡くなったか引退されたかと思われますが。 私が前に住んでいた家の近所に畑があり、ここらの地主のK家の主、土地の生き字引のおばあちゃんが、毎日丹念してました。 春になると、畑の苺の畝数本がひと畝三千円で草取り等管理つきで貸しに出され、ご近所さんがポツポツ、苺取り放題を楽しみました。 私も、あけすけでさばさばしたばあちゃんが好きで、毎年楽しみに借りていました。 年によっては、タヌキの類いが苺を食べに来たりもして。 「わけっこさね、タヌキとなかよくやろうや」 とばあちゃんはハハハと笑いましたっけ。 ばあちゃんには、最初育児や旦那の悪口を聞いてもらってましたが、そのうち、ばあちゃんの昔語りにすり変わっていって。 話上手なばあちゃんから、この土地に嫁に来た辺りの話をたくさん聞きました。 この土地には今でも大切にされている氏神様があり、その周りに、氏神さまを慕う色々な、神様とまではいかないけれど、嫌なことをされれば祟り、恩をもらえば助けてくれる「モノ」たちも居たんだとか。 土地のあちこちに、石灯籠があり。 持ち回りで灯を絶やさぬよう、奥さんたちが夕方になると担当の石灯籠を見回り、蝋燭で新しい灯を灯していたそう。 「この辺りじゃ、疱瘡が良く流行ってねえ。それで、そう言うしきたりができたんだよ」 「ふうん」 今は見る影もなく住宅地化して、畑も田んぼも用水路もコンクリートやアスファルトの下になり、石灯籠の見回りもしなくなって久しいけれど。 かつてそんなだった風景を、ばあちゃんの話を聞きながら、眺めます。 「モノ」たちがたくさんいた頃は、生き物の気配が満ち充ちて、人は今よりお日様と共に暮らしていたろうな、と。 依り代の、里林や畑や田んぼや水路が消えていくなかでも、「モノ」たちはまだ辺りを徘徊している様子で。 ごく珠に、私のところへ遊びに来て、滞在していくことがあるようです。 知らない間に野生の草とは違う一見畑や田んぼから来たかと言う植物が生えていたり、バケツの水の中におたまじゃくしが二、三匹だけいたり、大きな立派なカブトムシが電柱にくっついていたりするので。 いま住んでいる家の周りには、里林も、田んぼも、畑もないです。家ばかり建っていて、お庭には目を楽しませる草木が植えられています。 私かよく氏神さまの神社へ遊びにいくので、仲間と思われたのかも。 徘徊している「モノ」たちは、寂しくて人にに憑くこともあるようで。 そう言うときどうするのか、その筋の人に聞いたところ。 「憑かれると人はからだの調子が悪くなるから、引き離して神様のいるところへつれていき、転生の道に入ってもらう」 なるほど。
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