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「モノ」との付き合いについて
子供の頃から植物の声を聞いて暮らしていた感じです。
父の仕事の都合で長く同じ土地にいない転校生生活をしていたので、本当に仲の良い友達もおらず、一人で行動することがあるのもあったかもしれませんね。
野原や森で、日溜まりにしゃがみ込んで静かにしていると、なんとなく「水とお日様と土があって幸せ」と喜んで唄っている気配を感じました。
そうしていると、自分もその中の一員になった気がしてきて心地よかったです。
そんな私を、両親は「変な子だ」と思ったらしく、自分達の知っている葉っぱや枝をちぎったり花をつんだりする遊びにかなり熱心に誘いました。
ごく普通にしていたことなので、今思うと自分でもへええと思うのですが、その遊びをするとき私は「ありがとう、少しもらうね」とちぎったりつんだりする相手に心のなかで声をかけていました。
私はかなり大きくなるまで、柏の葉で巾着をつくったり、松ぼっくりを分解してヘリコプターを作ったり、花輪や腕輪や花冠を作る遊びが好きでした。
ボール遊びや公園の遊具で遊ぶより。
なんとなくですが、自然って、場所の生態系さえ壊さなければ、かなり鷹揚な「モノ」かもしれません。
子供がなかなか無茶な遊び方をしても、やり過ぎない限り祟られたことがなかったです。
たとえば、農業用水路におしっこをするとか、ちぎるためだけにあたり構わずむしってまわるとか、蟻の巣を爆竹で壊しすぎたり、そんなときには、何日もお腹が痛くなったり、手に草毒がついて酷い湿疹ができたり、
急に熱が出たりしました。
それって、そういうことをしたからじゃないか?って話ですが、面白いのは「ごめんね」と反省するのとしないのとでは、治りが全然違ったことです。
同じことをやらかした子達より私はいつも早く治りました。
私は体が弱いのですけれど、何かあったとき早く治るので初潮を迎えるまでまわりから特に健康な子供、と思われていました。
体が大人になるにつれ、実はかなり心身の生きる力に乏しい事がわかってきて、色々大変でしたけれどね。
今住んでいるところは、すぐそばに小さい散歩向きに整備された小川が流れていて。
小学生くらいの子供たちが夏になると川で遊んでいます。
その川は、ご近所の大人たちが、子供が遊ぶからと一生懸命整備していて、街の行政も乗り出して桜並木や花壇や置き石も備わり、水質も今時とてもよく、数年前から鮎やヤマメも泳ぐようになりました。
私は時々、この川縁を散歩して、やっぱりぼんやり桜の木や草花の声を聞いて元気をもらいます。
息子たちは、私に似たか血が濃くなったか、その川で二人とも高校生くらいの時、深夜にカッパを見たそうです。
(近くのコンビニへ食べ物や飲み物を買いに行く途中見たそうです)
すごく困った様子で大人になっても「あれなんだったんだろなあ、本当に見たんだよね」と未だに話すことがあるくらいです。
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