しょぼん玉

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           翔(しょう)くんとりぼんちゃんは、大の仲良し。いつも手をつないで、一緒に帰っています。  今日は金曜日。今日も、若葉(わかば)がきらきらとまぶしい道を、二人はたがいに、ランドセルのとめ具をはずし合ったりしながら、きゃははは! と、よくひびくわらい声でわらい合いながら歩いていました。 「そういえば、明日はりぼんちゃんの誕生日(たんじょうび)だね」  翔くんが、目をきらきらさせて言いました。 「覚えていてくれたの! うれしい!」  りぼんちゃんは、目を真ん丸に開くと、キュッと目じりを細めてにっこりしました。 翔くんは、うん、とうなずくと、先に見える木の看板(かんばん)のおかし屋さんを指さしました。 「今日は、お母さんにお願いして、お金もたせてもらったの。明日がりぼんちゃんの誕生日だから。なんでも好きなおかし言って」  翔くんのその言葉に、りぼんちゃんはワクワクと胸(むね)をおどらせました。 「翔くん、ありがとう! 大好き!」 「え、ちょ、そんな……てれるよー」  そんなやりとりをしながら、二人はおかし屋さんに入りました。りぼんちゃんは、まるでおかしの家に入ったみたいに、目をきらきらさせました。いつもは「より道をしてはいけません」と言われて入ることのできないおかし屋さんに入って、目の前には、いつもは食べられないおかしが広がっています。りぼんちゃんは、「あ!」と小さくさけぶと、 「あれがいい!」  と翔くんのTシャツの袖(そで)を引っ張りました。りぼんちゃんの指さした先には、大きな白とピンクのぺろぺろキャンディがありました。翔くんが、 「あれがいいの?」  と聞くと、りぼんちゃんは、うん! と大きくうなずきました。  翔くんは、少し高いところにあるぺろぺろキャンディを取ろうと、木の台の上にちょこん、と乗って背伸びをしました。そして、いつもはお母さんにまかせているレジのおじさんとのやり取りに緊張(きんちょう)してびくびくしながら、 「これ、ください」 と言って、お会計の机の上にキャンディを置きました。 「へぇ、ボク、ガールフレンドにプレゼント?」  白髪(しらが)交じりの人の良さそうなメガネのおじさんはそう言ってにやりとほほえみながら、昔ながらのボタン式のレジをカチャカチャとたたきました。翔くんは、「ガールフレンド」の意味がよくわからないままうなずきます。 「へぇー。色男だねぇ。お幸せに」  翔くんは、顔を真っ赤にしながら、キャンディを受け取りました。りぼんちゃんは、 (色男、ってなんだろう。あ、翔くんの顔が赤いからかな?) なんてのんきなことを考えていました。  翔くんは、りぼんちゃんにキャンディを、はい、と渡(わた)すと、おじさんにからかわれたことを、はずかしく思ったのでしょうか、急に、 「じゃあ、りぼんちゃん、またね!」  と言って走って行ってしまいました。  りぼんちゃんは、え? と言ってその場に立ちつくしました。小さくなっていく、翔くんの背中をぼんやりと見つめながら、 (誕生日おめでとう、って言ってもらえなかったな……) と、ぐるぐるとうずまくぺろぺろキャンディに視線(しせん)を移してりぼんちゃんはそう思いました。  ぐるぐるぐるぐる…… もやもやもやもや……  そんな音を頭の中でひびかせながら、りぼんちゃんは、ぺろり、とキャンディをなめてみました。そのあまさがなぜだか心にしみました。 そんな風に物思いにふけりながら、キャンディをなめなめ歩いていると、りぼんちゃんは、誰かの背中にぶつかってしまいました。 「あ!」  りぼんちゃんは目を見開きました。ぶつかった勢いで、翔くんにもらったキャンディを落としてしまったのです。キャンディは、バリッ……と、にぶい音を立てて、割れてしまいました。  そのキャンディを見て、りぼんちゃんは、涙(なみだ)をこらえられませんでした。うわぁあん! とりぼんちゃんが泣き声を上げたのを聞き、ぶつかった人があわてて振り返りました。 「うわあああ! なんで泣いているの!」  その声が思ったよりも、小さい子どもの声で、りぼんちゃんはおどろきました。顔を上げると、紺(こん)色のマントに身を包み、魔法使い(まほうつかい)のぼうしみたいなとんがりぼうしをかぶった、りぼんちゃんより一才くらいだけ年上そうに見える男の子が立っていました。 「え? あー、もしかして、キャンディ落としたから? だったら同じの買ってあげるよ。いくらだったの?」  その魔法使いチックな男の子は、あきれたようにそう言ってりぼんちゃんの顔を、ひたと、見つめました。マントからスッとがまぐちの財布(さいふ)を取り出し、 「それでいいでしょ? だから泣かないでよ」  と言ってため息をつきました。 「……良くない」  りぼんちゃんが、声をふるわせて、そう言いました。魔法使いもどきは、ん? と怪訝(けげん)そうな顔をしました。 「それは、翔くんがりぼんにくれた、誕生日プレゼントで、特別なものなの。あなたが買ったら、意味ないの。翔くんが買ってくれたから、大事なんだもん」  そう言って、ふてくされるりぼんちゃんを見て、魔法使いボーイは、一瞬(いっしゅん)、「はぁ?」とあきれかえりました。その子は、ぷっくりとしたほっぺをさらにふくらませて、下を向くと、 「そんな大事なキャンディなら、歩きながら食うなよ……」  と、めんどうくさそうにつぶやきました。 彼にそう言われ、りぼんちゃんは、確かに……と心の中でつぶやいて、うなだれました。その様子を見た、魔法使いもどきは、あ……と、気まずそうな顔になり、顔をそらして、腕組(うでぐ)みをしました。とうめい感のあるきれいな瞳(ひとみ)で宙(ちゅう)を見つめると、 「まぁでも、君の気持ちをよく考えもせずあんなこと言って悪かったよ。しっかしどうしたもんかねぇ」  と言って、んーと首をかしげました。りぼんちゃんは、その男の子のかわいいんだか、かわいくないんだか微妙(びみょう)なそれら一連のしぐさを観察しながら、 「ねぇ、あなた誰(だれ)なの? そんな変(へん)なかっこうして」  と思い切って、聞いてみました。男の子は、え? あぁ、とつぶやくと、腰(こし)に手を当てて、胸を張(は)り、仁王立(におうだ)ちになりました。 「僕(ぼく)は、まいご。魔法使いの弟子(でし)だよ。まだ魔力が弱くてほぼ何もできないけどねー」  その態度(たいど)とセリフとのギャップに、ずっこけそうになりながら、男の子なのに、「まいご」という名前なんて、変なのー、とりぼんちゃんは思いました。 「ふぅん。ねぇ、じゃあ魔法使いなら、どうにかしてよ」  りぼんちゃんは、そういうと、腕組みをして、ぷい、と横を向きました。 横を向くとチリンチリンという音と共に、さっそうと自転車が風を切っていきました。 自転車が通り過ぎたあとにおとずれた沈黙(ちんもく)の中で、りぼんちゃんは、 ――こんな自転車が普通に走っているような日常に、魔法使いなんているんだろうか?  と、子どもなりに、疑問に思いました。名前も「まいご」だなんて、はぐらかすし、この子は、私のことをなめているのかもしれない。そう、りぼんちゃんは考えました。 「えぇ……そう言われても。まぁでも、要するに、君は落ち込んでいるんだね? しょぼーん、って」  まいごくんはそう言って、マントの中をなにやらごそごそと探りました。そして、群青(ぐんじょう)とでも言うのでしょうか、深い青色のガラスの小びんと緑色のストローを取り出すと、 「なら、これで解決できるかも」  と言ってにっこりしました。りぼんちゃんは、まじまじとその道具を見つめました。 「なぁに、それ」 「これは、しょぼん玉だよ」 「シャボン玉?」 「ちがうちがう。しょぼん玉。こうやって、ストローに液(えき)を付けて、自分が、しょぼーん、って思った出来事を思い出しながら息を吹き込んで、しょぼん玉を作る」  そう言ってまいごくんは、ゆっくり息を吹いて、大きな虹色(にじいろ)のシャボン玉を作りました。 「でね、こうしてきれいなしょぼん玉を見つめているうちに、元気になれる、っていう魔法がかかっているんだ」  まいごくんが作ったしょぼん玉は、ふわふわと動きながら、日の光を受けて、ゆっくり赤や水色に色を変えてかがやきながら飛んでいくと、不意に、ぱちん、と消えました。 「君もやってごらん。しょぼーんとしていたことなんて、すっかり忘れて元気になれるよ」  まいごくんがそう言って小びんとストローを差し出したので、りぼんちゃんは、うん、とうなずいて、ストローを小びんに、そっと入れました。そして、しょぼーんとした原因――翔くんが、誕生日おめでとう、と言ってくれなかったこと、翔くんが買ってくれたキャンディを落としてしまったこと――を思い出しながら、ゆっくり、息をストローに吹き込みました。  小ぶりなかわいらしいしょぼん玉が、ストローの先端から、ぽぽぽぽぽっ、と、たくさん出てきました。りぼんちゃんは、そのゆっくり空に向かって飛んでいく、しょぼん玉たちを見上げました。日の光を浴びて、しょぼん玉たちは、地球が回っているみたいににくるくると自転し、変幻自在(へんげんじざい)にその色を変えながら、ふわふわと上へ上へのぼっていきます。 「わーっ! きれい」  りぼんちゃんがうっとりと、そうつぶやいたとき、  パチン  ぱちん  パッ  ぱっ  と、作ったしょぼん玉たちが次々に割(わ)れていきました――そのとき、うっとりしていたりぼんちゃんの表情が、ふっと無表情になりました。りぼんちゃんは、しばらくの間、ポカンと口を開いて宙を見つめていました。 「どう? 元気になった?」  わくわくとした声色(こわいろ)で、まいごくんにそう聞かれて、振り返ると、りぼんちゃんは、ぱぁあ! と明るい、満面(まんめん)の笑(え)みを浮かべて大きくうなずきました。 「うん! これ、すっごくきれい!」  りぼんちゃんの花が咲いたような笑顔に、まいごくんはクラクラと気持ちがよくなり、 「本当? それはよかった! あ、たしか誕生日なんだよね? 良かったら、それ、君にあげるよ」  と勢(いきお)いでそう言ってしまいました。 「本当に?」 「うん」  こうして、まいごくんは、りぼんちゃんにしょぼん玉セットをプレゼントして、去って行きました。  りぼんちゃんは――道に落としたぺろぺろキャンディに見向きもせず、しょぼん玉セットを持って、ルーンルーンとスキップをして帰っていきました。  りぼんちゃんとすれ違った自転車に乗ったおじさんが、りぼんちゃんの背後から、 「誰だ、ここにキャンディ落としたの! 君か?」  と言いましたが、その声も、まるで聞こえていないとでも言うかのように……  まいごくんは、しょぼんとした気持ちのりぼんちゃんにしょぼん玉をあげたことで、人助けが出来たと感じ、嬉しくなりました。町外れにひっそりとたたずむ日本家屋(にほんかおく)の魔法使いの師匠(ししょう)の家に着くと、黒っぽい引き戸をズサーッと引き、 「ただいま帰りましたぁ!」  と元気よく声を上げて、ていねいに靴(くつ)をぬぎました。ちょこんと靴をそろえて、師匠のいる部屋にぱたぱたとかけていくと、 「師匠〜! 今日は人の役に立つことできました〜!」  まいごくんはそう言って師匠の部屋に駆け込み、丸いほっぺをつやつやと赤くして、頭はツルツル、反対に白いあごひげはボウボウな師匠に、今日あったことを話しました。  師匠は最初、やさしく、うん、うんと、まいごくんの話を聞いていましたが、まいごくんが、 「それでですね、その子が誕生日ってこともあったんで、しょぼん玉セット一式をあげたんですよ」  と得意そうに話したところで、サッと顔色を変えました。 「……まいご。人間の女の子に、しょぼん玉をあげたのか?」  いつもはやさしい師匠がおでこにしわを寄せて、きびしい顔つきでそう聞いたため、まいごくんは、きょとんとしました。まいごくんは、おそるおそる、はい……とうなずきます。まいごくんは、師匠の声色と表情にびくびくしながら、正座し直し、ぴんっと背筋(せすじ)を伸ばしました。 「さっきの子のガールフレンドか……んむむむむ……」  師匠は、なにやらぼそぼそとそうつぶやきましたが、はっとしたように、まいごくんに向き直ると、ごほんごほんと、せきばらいをしました。 「あのしょぼん玉には、しょぼんとした思いを消すだけではなく、しょぼんとした出来事に関連した記憶を消してしまう力があるのだよ――そうなったら、どうなるか、わからないかね?」  真剣(しんけん)な表情で師匠にそう言われ、まいごくんは、えっ、と言葉に詰(つ)まりましたが、 「……でも、しょぼーんとしちゃうような思い出なら、消えてもいいんじゃないでしょうか?」  と師匠に意見を述べました。師匠は、その白いひげをなでながら、んー……とうなると、 「そう思うなら、その目で見てみると良い。土・日・月の三日間で、その女の子がどうなるのかを」  と言って、にやり、と笑いました。まいごくんは、まゆをひそめます。 「えぇ? いやですよ。あの子、なんか妙にめんどうくさいですし」 「くぉっふぉっふぉ。これも修行だ――まいごの願いは、人間に良いことをもたらす魔法使いになることであったな。そのための良い勉強になろう」  そう言うと、師匠は、ドロンと音を立てて、いなくなりました。まいごくんは、ここが家なのに、どこに消える必要があるんだ、あの人? と思いながら、はぁ、とため息をつきました。が、まぁ、修行になるならいいか、とポケットから杖(つえ)を出し、 「僕がさっきまで持っていたしょぼん玉のありかは?」  と言いながら、かべに貼ってある世界地図を、トン、とたたきました。すると、世界地図がみるみるうちに映像(えいぞう)と化し、まいごくんたちの住む町周辺にまでズームインした地図が表れました。その中で、金色にかがやいているところが、どうやら、しょぼん玉が今あるところのようです。GPS機能のようですね。まいごくんは、魔法使いの弟子ですが、まだ瞬間移動(しゅんかんいどう)だったり、空を飛んだりといった高度な魔法は使えません。地図で示された場所を、簡単に複写(ふくしゃ)し、家を出ると、とことこと歩いて、りぼんちゃんのお家へ向かいました。 まいごくんという名前なのに、地図も読めて、迷いもしないというのがおかしいですね。  そのまま、まいごくんがとことこと歩いていると、りぼんちゃんのお家に着きました。りぼんちゃんのお家は、クリーム色の壁(かべ)に、黒い三角の屋根をした近代的でおしゃれな一軒家(いっけんや)で、まいごくんは、りぼんちゃんの部屋の様子を見ようと、よいしょよいしょと、近くの木の上に上りました。  そして、窓(まど)からりぼんちゃんの様子をうかがいます。りぼんちゃんは、相変わらずるんるんと体を揺(ゆ)らしながら、宿題をしていました。まいごくんはその様子を見ながら、 「なんか問題あんのかなー」  とつぶやきました。  なにも事件が起こらず、楽しそうに暮らすりぼんちゃんを見ているのは、暇(ひま)でしかありません。なんといっても、まいごくんにとって、りぼんちゃんは、たまたま道でぶつかった、赤の他人でしかないのですから。「袖振(そでふ)り合うも他生(たしょう)の縁(えん)」とは言いますが、まいごくんは、本当に縁あるのかなぁ。全然面白くないなぁ、とあくびをしながら、りぼんちゃんを見守り続けました。  次の日の土曜日は、りぼんちゃんの誕生日でした。りぼんちゃんのお父さんとお母さんが、お誕生日おめでとう! とプレゼントを渡す様子を見たり、りぼんちゃんのお家に、女の子たちが、小さな手紙と、ちょっとしたお菓子を持って、お誕生日おめでとう! と言ってやってきたりする様子を見て、まいごくんは、 「祝ってくれる人が居るっていいよなー。僕はもういつが誕生日か覚えてもいないし、そもそもそんな祝ってくれる奴なんていないよー」  と言って、友だちの訪問(ほうもん)によって家のドアが開いたすきに、透明マントをかぶって入り盗んだケーキの一片をむぐむぐと咀嚼(そしゃく)しました。  しかしその日も夕方になったころのことです。まいごくんは、ふと、どこか、りぼんちゃんが、悲しそうな表情になったことに気が付きました。  そして、窓が開いたかと思うと、ふわぁぁあと、いくつものしょぼん玉が、空に向かって飛んで、  パチン  ぱちん  パッ  ぱっ と消えていきました。 窓が閉まって、まいごくんは、木の上から、そっとりぼんちゃんの表情を見下ろしました。 「今、なんか、しょぼーんとするようなこと、あった?」  まいごくんは、おかしいなぁー、とつぶやいて、首をかしげました。 しょぼん玉を見たあとのりぼんちゃんの表情に、悲しみの色はなく、まるで、パレットの上に青を出したのに、気が付いたら、その青が、影(かげ)も形もなく消えてしまったとでもいうような……そんな異様(いよう)さを感じました。まぁ、それが魔法というものなのですけれども。  さらに、次の日の日曜日でした。りぼんちゃんは、じーっと窓から玄関の方を眺(なが)めていました。まいごくんは、ふと、僕がずっと監視(かんし)していることでもばれているのかな? と思いましたが、どうやら、そういうわけでもないようでした。  よく見ると、りぼんちゃんの口が、小さく動いていることが分かりました。まいごくんは、大きなウサギの耳の形のつけ耳を付けて、りぼんちゃんの声に耳をすませました。すごく原始的(げんしてき)なグッズのように見えますが、これも魔法グッズなのでしょうか? 「来ない、来ない、来ない……」  りぼんちゃんの消え入りそうな声は、そうつぶやいていました。まいごくんは、家の周りを見渡して、「何を待っているんだ?」と疑問に思いました。そして、 「もしかして、この子、クリスマスと誕生日、頭の中でごっちゃになってんのかな。誕生日だからってサンタは来ないぞ。今夏だし」  とつぶやきました。そんなことを考えていると、りぼんちゃんが、また急に思い立ったように、窓から屋根の上に出て、またふわぁああ! としょぼん玉を大量に作りました。  大小様々な大きさのしょぼん玉は、夕日とくすんだ雲によってラベンダー色になった空に向かって飛んで、  パチン  ぱちん  パチン   ぱちん  パッ  ぱっ  パッ  ぱっ  と綺麗(きれい)にパチパチと消えていきました。  うふふふふふ、と満足そうに笑って、部屋の中に戻っていくりぼんちゃんの後ろ姿を見ながら、まいごくんは、 「わからないなぁ」  とつぶやきました。 「あの子、何が不満なんだろう」  そして、土日も終わり、月曜になって、再び、学校が始まりました。  相変わらず、りぼんちゃんを見守るまいごくんは、 「行ってきまーす!」  と元気いっぱいに家から出ていくりぼんちゃんのことを、透明マントを被って、こっそり追いかけました。途中、女の子の友達に会いました。 「おはよー」 「おはよー」 「りぼんちゃん、今日つけてるピン、すっごくかわいいー」 「本当? りかちゃんが、誕生日にくれたのー」 「えー、いいなぁ。そっか、りぼんちゃん、誕生日だったんだね、おめでとうー」 「ありがとうー」  そんな社交辞令的(しゃこうじれいてき)に行われているつまらないやりとりを聞きながら、まいごくんは、このケロッとしたりぼんちゃんの雰囲気(ふんいき)から察(さっ)するに、昨日待っていた子は、この子じゃないな、と察しました。  そしてふと、 「そうか、彼女(かのじょ)は、自分の誕生日を祝ってくれるはずであろう人物を待っていたんだ」  ということに気が付きました。  ――学校に行って、もしそれが誰か分かったら……  と、まいごくんは、あごに手を当てて考えにふけりました。  ――僕の魔法でどうにかできるといいな。  学校に着き、りぼんちゃんは、クラス中の子に、「おはよー」と声を掛けていきました。みんながナチュラルに「おはよー」と返しているところを見ると、りぼんちゃんは、いつも、クラスの子達にあいさつしている女の子のようです。  しかし、まいごくんは、ふと、どこか違和感(いわかん)を覚えました。  ――なんでこの子、あの子にだけ、あいさつしないんだろう……?  これに気が付いたのは、まいごくんだけではないようです。クラスのみんなも、言葉にこそ出しませんでしたが、どこか、「あれ?」という表情をしています。  そして、あいさつをされなかった男の子は、ふっと、立ち上がって、友だちとおしゃべりをするりぼんちゃんに近づきました。 「りぼんちゃん」  その声に、りぼんちゃんは、きょとんと振り返ります。 「おはよう」  りぼんちゃんの目をじっと見て、その男の子は、はきはきとした口調(くちょう)でそうあいさつをしました。 しかし、りぼんちゃんの目は――気まずいとか、そういうものであるというより――「誰だっけこの人?」という気持ちをかろうじて隠(かく)しているかのような、ポカーンとした表情でした。 「? お、おはよう、ございます……?」  と、りぼんちゃんが返したので、その男の子は、ん? と不思議そうな顔をしましたが、特にりぼんちゃんが何を言うでもなさそうだったので、再び自分の席に戻っていきました。 「どうしたの、りぼんちゃん。翔くんとケンカでもしたの?」  周りにいた女の子の一人が、そう聞きました。すると、りぼんちゃんは、ん? と言って、 「しょうくん、って誰?」  と返しました。周りが、えええぇ? とどよめきます。 「あと、今の子って、りぼんたちのクラスの子だった?」  ひょうひょうと、そうつぶやくりぼんちゃんに対し、周りの子達が、 「え、ちょっと、何言ってるの? 今の子が、翔くんじゃん?」 「忘れたふりするなんて、りぼんちゃんいくらなんでもタチ悪すぎない? どうしたの?」  などと言ってざわざわしました。  まいごくんは、それらの声をどこか遠くに感じながら、自分の中に流れる時間に逆らいはじめました。  ――りぼんちゃんの周りの子がざわざわとそう言う様子。 師匠が言っていた、 「あのしょぼん玉には、しょぼんとした思いを消すだけではなく、しょぼんとした出来事に関連した記憶を消してしまう力があるのだよ。そうなったら、どうなるか、わからないかね?」  という言葉。  まいごくんがはじめてりぼんちゃんに会った時に、りぼんちゃんが言っていた、 「それは、翔くんがりぼんにくれた、誕生日プレゼントで、特別なものなの。あなたが買ったら、意味ないの。翔くんが買ってくれたから、大事なんだもん」  という言葉。  ――あ。 と、ふいにまいごくんは、何か、合点(がてん)がいくものがあるように感じました。  まいごくんは、自分の理解を確かめるために、最初から順を追って、記憶を走馬燈(そうまとう)のようにたどりはじめました。  ――最初、僕がりぼんちゃんに会った時、りぼんちゃんは、あの「翔くんがりぼんにくれた、誕生日プレゼントで、特別なもの」って言っていたぺろぺろキャンディについて、とても……僕がちょっと引くほど執着していた。けど、はじめてしょぼん玉を吹いたあと、急に、あのぺろぺろキャンディに対する執着(しゅうちゃく)が無くなっていたような……つまり、この時点で、りぼんちゃんは、翔くんが、りぼんちゃんに、誕生日プレゼントのぺろぺろキャンディを、事前に渡していたということを忘れてしまっていたんだ! しょぼん玉が、しょぼーんとした気持ちだけじゃなくて、それに関する記憶を消してしまうんだったら、きっとそうに違いない。  そこまで考えて、まいごくんは、じゃあ、土日のあの様子は、なんだったんだろう、と考えこみました。そして、あ、と気が付きました。  ――そうか……金曜日の時点で、翔くんが祝ってくれていたこと、忘れていたら、誕生日当日に、祝いに来てくれるだろう、と期待(きたい)するんだろうな……僕だったら、特に期待しないけど、あの子の性格から察するに、きっとそうだったんだろう。だから、来るにちがいないと信じていた翔くんが、りぼんちゃんの家に来てお祝いしてくれなかったこと、その次の日も来なかったことに関するしょぼーんとした気持ちを込めてしょぼん玉をつくり続けているうちに、りぼんちゃんは、翔くん自体を忘れてしまった……  その時、まいごくんには、すべての謎が解けました。  ――えぇー? ちょっと待って、そういうこと? あぁ、僕、確かにすごい悪い事しちゃったかも……  事のてんまつを知ったまいごくんは、ああああああ、と頭を抱え込みました。  この推論(すいろん)が、嘘であってくれればいいと思いつつ、目の前で繰り広げられている、 「え、ちょっと、りぼんちゃん、なんで、翔くんのこと忘れた振りするの? え? 本気で言ってるの?」  と、やり取りされる現実を再び目の当たりにし、まいごくんは、気持ち悪くなって、くらくらと教室を出ました。自分がおかしたあやまちによって、人を幸せにするどころか、新たな不幸をつくってしまった……と。  しかも、どうやら、りぼんちゃんにとって、翔くんというのは、どうも本来かけがえのない大切な友人であったという様子が節々(ふしぶし)から感じとれました。  ――あぁ、僕の軽はずみな行動のせいでこんなことに……  と、まいごくんは、うなだれました。  しかし、一度無くしてしまった記憶を取り戻させるほど強力な魔法を、まいごくんは、使うことが出来ません。  どうしよう……と、小学校の廊下で、透明な姿のまま途方に暮れていると、まいごくんの右耳についている黒い羽根の形のイヤリングが、リンリン、とゆれました。まいごくんが、あ、とつぶやいて、イヤリングを小指でカツカツ、と叩くと、そこから、師匠の声が聞こえてきました。 「どうじゃ、まいご。何が問題であったか、わかったか?」  その誇(ほこ)らしそうなしわがれ声に、まいごくんは、消え入りそうな声で、 「はい……」  と答えました。師匠は、うむ、と返しました。 「師匠、僕、どうすればいいでしょうか……」  そう聞くまいごくんに、師匠は、 「まいごだけの力じゃ無理だで、わしが力添えしよう。ただし、せっかくの機会、お前も少し魔法が使えた方がいいだろう。お前の力で、昼休み、二人を校庭に連れ出すこと。それができれば、ことは解決することができる」  と言って、通話を切りました。どうやら、イヤリング型の電話だったようです。なんだか、魔法というより、最先端(さいせんたん)テクノロジーのような……  まいごくんは、教室の外から、それぞれの席で友人と過ごす二人の様子を眺めました。 ――師匠はどうやって、りぼんちゃんの記憶を取り戻すのだろう。  そんなことを一瞬考えましたが、まいごくんは、ぶんぶんと首を振りました。 ――とりあえず、師匠に言われたように、昼休みに二人を校庭に出せるように、仕向けなきゃ、と。  りぼんちゃんは、十分休みの間、友だちの洋子ちゃんと一緒に、トイレに行っていました。  トイレから帰ってきて、机の上を見てみると、ノートの切れはしに書かれたと思われる、手紙が置いてありました。 「りぼんちゃんへ 話したいことがあるので、おひる休み、校ていにきてください  しょうより」  りぼんちゃんは、その手紙を読んで、そっと顔をあげました。そして、遠くの席で、友だちと消しピンをする翔くんの様子をじっと見つめました。消しピンとは、机の上で、消しゴムを順番にはじき合い、自分の消しゴムを落とさずに、最後まで残ったものが勝ち、というゲームです。  ――翔くん、って確かあの子だよね。本当に記憶にないんだよなぁ。本当にこれまでも同じクラスだったのかなぁ?  そんなことを思いつつ、自分のはじいた消しゴムを床に落として、あぁーっ! と頭を抱(かか)えながらも、周りの子につられて、ふふふあはは、と笑う翔くんのことを見ていると、自然とりぼんちゃんも笑顔になりました。  ――あんなにかっこいい子が居るのに、今まで気付かなかったなんて、りぼんの目は、ふしあなだったのかなぁ。  と、聞いたことはあるけれど漢字は知らない「ふしあな」と言う言葉を頭に思い浮(う)かべて、りぼんちゃんは、そう考えました。 ――告白(こくはく)でもされるのかな? うふふふ、やっぱり、りぼん、かわいいもんなぁ。  と心の中でつぶやいて、思わずほくそ笑むりぼんちゃん。  翔くんに関する記憶がなくなってしまっても、りぼんちゃんの、なかなかに自己中なところは、変わりないようですね。  そこでチャイムが鳴りました。  みんなが自分の席に戻っていく中で、翔くんの方も、机の中に、折りたたまれた花柄のメモ用紙に、りぼんちゃんの文字で、手紙が届いていることに気が付きました。 「しょうくんへ いいたいことがあるの。ひるやすみ、こうていでまってるね りぼん」  と。  あら? どちらも手紙を、しかも、両方とも同じような内容を送っていますね。偶然(ぐうぜん)でしょうか? でも、りぼんちゃんは、翔くんのことを忘れているというのに、どうして手紙なんか書いているのでしょう? それに、いつの間に書いたのでしょうか。  不思議(ふしぎ)ですね。しかし、どうしてかはまだ明かさず、とりあえず二人が昼休み、どうなるのか、楽しみにしておきましょう。  そして、昼休み。  りぼんちゃんが、うきうきとしながら、校庭で、るんるんと、ジャングルジムに上っていると、 「りぼんちゃん」  と、下から、翔くんの声が聞こえてきたので、りぼんちゃんは、てっぺんから、にこっとほほえみました。 「なぁに?」 「なぁに? って……」  そうあきれ返りながら、翔くんも、ひょいひょいとジャングルジムを軽々上っていきました。校庭に、少し強い風が吹いて、翔くんの髪をサラッと揺らしていました。  翔くんは、てっぺんについて、りぼんちゃんのとなりに腰かけると、しばらくの間は、無表情で前だけ見て黙っていました。しかし、りぼんちゃんが何も言い出さないことに、しびれを切らしたのでしょうか、振り返って、りぼんちゃんの表情を一べつすると、顔をそらして、 「ねぇ、りぼんちゃん。僕……りぼんちゃんになんか悪い事したかな?」  と問いかけました。 「え?」  翔くんの、そのさみしそうな横顔に、りぼんちゃんは心を痛めました。  翔くんは、最初、りぼんちゃんの返事を待っていたようでした。しかし、りぼんちゃんが答えなかったため、また口を開きました。 「今日、りぼんちゃん、僕にあいさつしてくれなかったよね。いつも一番にしてくれるのに。なんで急に無視(むし)するようになったの? なんか気に入らないことがあったなら、早く言ってほしいんだけど」  翔くんのその声のトーンに、りぼんちゃんは、はて、と考え込みました。  ――もしかして……りぼんが覚えていないってだけで、翔くんって、もともと、りぼんのお友達なの……?  ふとそんな気がしてきました。そして、りぼんちゃんは、そっと口を開きました。 「ねぇあの……りぼんって、翔くんの友達なの?」 「え?」  今度は、翔くんがぎくりとする番でした。目をくるくると動かして、何と言おうか、迷っているようです。 「――え? なんでそんなこと、聞くの? ……僕、りぼんちゃんにとって、もう友達とすら思われてないの……?」  翔くんは、そう言って、じっとりぼんちゃんの瞳を見つめました。翔くんの目の中の泉(いずみ)が、うるうるとして今にも目から溢(あふ)れ出しそうでした。けれども、翔くん、そこはじっと我慢(がまん)して泣きませんでした。男の子ですから。  りぼんちゃんは、その瞳を見つめ返して、感じました。  この子は、私の事を、すごく大切に思ってくれているみたい、と。  なぜだかわからないけれど、心のどこかで、りぼんちゃんはそう思いました。  だから、りぼんちゃんは、そっと、前を向いて言いました。すぐ近くに見える空は灰色(はいいろ)というか、紫色(むらさきいろ)というか、暗雲(あんうん)というにふさわしい色の雲に包まれていました。 「りぼんと翔くんは――どうやら、とてもいいお友達だったみたいね。でも、だけど……なんでだろう、りぼん、翔くんのこと何も……思い出せないの……」  りぼんちゃんはそう言うと、ぽろぽろと、涙を流しました。 それはきっと、今、記憶はないけれど、りぼんちゃんにとっても、翔くんが、かけがえのない大切な友達だということを、体のどこかで感じていたからでしょう。  翔くんは、きっと、ものすごくりぼんちゃんの言葉にショックを受けたに違いありません。でも、泣くりぼんちゃんを見て、放っておけなくなったのでしょう。りぼんちゃんの頭をおそるおそる、よしよし、となでてあげました。  その手つきに、りぼんちゃんは、どこかなつかしさを覚えました。そして、きっと、とても大切な存在であるはずのこの人を、どうして私は忘れてしまったのだろう、と、ものすごく悔(くや)しく思い、とても悲しい気持ちになりました。 そうして、前かがみになったとき、りぼんちゃんは、はっとして、自分のジャンパースカートの胸のポケットの中から、しょぼん玉の小びんをそっと取り出しました。  翔くんは、りぼんちゃんのそのとっさの行動に、 「……? それは何?」  と聞きました。 「これは、しょぼん玉っていうらしいの。しょぼーんとした思いを込めながら、しょぼん玉を作ると、そのきれいさを見ているうちに、つらいことなんか忘れて、元気になれる、ってものなの……翔くんも使う?」  りぼんちゃんはそう言って、ぼんやり、ふんわりとほほえみました。心があるのかないのか、よくわからない表情で、翔くんにストローを差し出すと、かしこい翔くんは、一瞬で、あ……と何かに気がつきました。そして、ゆっくりと首を横に振りました。 「いや……確かに、今僕は、しょぼーんとしてしまっているけれど、そのしょぼん玉は使わないよ。だって……しょぼーんとした思いが無くなるからといって、僕は、りぼんちゃんのこと、忘れたくはないから」  りぼんちゃんは、その言葉を聞いて、はっとしました。そして思わず、ジャングルジムのてっぺんから、しょぼん玉の青い小びんと緑色のストローを落としてしまいました。下から、パリーンッ! と小びんが割れる音がひびいてきました。  小びんが割れた音のあとに訪(おとず)れた静寂(せいじゃく)の中、ぼうぜんとした表情で、二人はジャングルジムのてっぺんに腰かけながら、互いにじっと、見つめ合っていました。  ――そのとき、急に、サーッと言う音を立てて、シャワーのような雨が降ってきました。 「あ」  翔くんは、空を見上げました。 「雨だ。りぼんちゃん、降りよう。校舎内に入ろう」  翔くんがそう言って下を向いたとき、りぼんちゃんが、あっ、と目を大きく見開いて、両手で翔くんの腕をつかみました。 「……翔くん!」  翔くんは思わず目を見開きました。りぼんちゃんの「翔くん!」と呼ぶ呼び方に、やっといつもの元気なひびきが戻った、ということを感じたからです。  りぼんちゃんの口は、ふるふると震(ふる)えていましたが、その目は、きらりきらりと、うれしそうに、かがやいていました。 「今、どういうわけか、思い出した……りぼん、金曜日に翔くんからもらったぺろぺろキャンディ、道で人にぶつかって、落としてしまったの。そのときのしょぼーんとした気持ちを、しょぼん玉に込めていたから……翔くんがりぼんに誕生日プレゼント、前の日にくれていたこと、忘れちゃったの。だから、次の日も、その次の日も、翔くんがりぼんの誕生日祝いに来てくれなかったことに、しょぼーんとしちゃって……しょぼん玉をつくり続けていた。そうしているうちに、こんなに……こんなに大切な、翔くんのこと、忘れちゃっていたなんて……ごめん、ごめんね。うわあああああん」  りぼんちゃんは、そう言って、翔くんに抱(だ)きつくようにして泣きました。かしこい翔くんは、それだけで、りぼんちゃんの言いたいことがなんとなく、理解できました。 「ううん。りぼんちゃん。僕も、あの日、おかし屋さんのおじさんにからかわれて、言い忘れちゃっていたよ。しょぼーんとさせてしまってごめんね。遅くなったけど、誕生日おめでとう、りぼんちゃん」  翔くんがそう言うと、雨は通り雨だったようで、すぐに陽射(ひざ)しが降り注いできました。りぼんちゃんが翔くんの体からそっと離(はな)れると、りぼんちゃんの目にあざやかな色をした虹が飛び込んできました。  しょぼん玉の虹色も、ほれぼれするほどきれいだったけれど、りぼんちゃんは、今日ここで翔くんと一緒に見る虹ほどきれいなものは、きっと無いし、この景色(けしき)を私は一生忘れないのだろうな、と感じました。 「ありがとう、翔くん」  りぼんちゃんは、そう言いながら、思いました――翔くんが誕生日を祝ってくれなかった、と思ったときはものすごく悲しくて、しょぼーんとしたけれど、やっぱり翔くんの「誕生日おめでとう」が、誰よりも一番、心にあったかくしみわたっていくなぁ、と。  きっと、自分にとって大切な存在に関わるものほど、それに対する喜怒哀楽(きどあいらく)というものは、大きくなるものなのでしょう。そして、だからこそ、それらは、かけがえのない、大切なものなのです。ちょうど、りぼんちゃんにとっての翔くん、翔くんにとってのりぼんちゃんが、そうであったように。 「……あ! え? 見て、りぼんちゃん!」  翔くんにそう言われて、りぼんちゃんは、指さされた、ジャンパースカートのすそを見ました。すると、ジャンパースカートのすそにたまった雨のしずくたちが、集まりあって、水面に虹を映し出したかと思うと、ぐるぐると、その虹が回り、きらっときらめいて、翔くんがりぼんちゃんにあげたのと同じぺろぺろキャンディに変身しました。  びっくりした表情で、翔くんは、それに見入ると、ぺろぺろキャンディを手に取って、りぼんちゃんに、「はい」と手渡しました。  りぼんちゃんは、しばらくだまってキャンディを見つめていましたが、ちらっと翔くんの顔を見ると、ギュッと翔くんに抱きつきました。 「ありがとう! 翔くん、大好き!」 「わわわ、りぼんちゃん、てれる、僕……」  りぼんちゃんは、うふふ、と笑いながら、翔くんから身を離(はな)して、あの魔法使いの弟子がきっと何かしてくれたんだな、と心のどこかで感じました。  ――なかなかやるじゃないの、まいごくん。  りぼんちゃんが、心の中でそうつぶやいたとき、 「翔くん、りぼんちゃん! あーもう、そんなびしょびしょになっちゃって……家庭科室(かていかしつ)で洗濯してあげるから、体育着に着替えておいで」  ぷりぷりと怒りながらやってきて、そう言った担任の先生の言葉に、二人は、互(たが)いのびしょぬれな様子を目の当たりにして、あはははは! と、ゆかいそうに笑い合いました。  にっこりと笑って、「はーい」と仲良くそろって返事をし、足をすべらせないように気を付けながら、ゆっくりとジャングルジムを降りました。 そして、手をつなぐと、二人で水たまりの出来た校庭をパシャパシャと水を跳(は)ね飛ばして走りながら、きゃはははは! と笑って、校舎の中へと消えていきました。 「しかし、よくやったな。まいご。いかようにして、二人を誘(さそ)い出したんだい? それに、最後、ちゃんと、彼女にぺろぺろキャンディも返すことができて」  校庭の大樹(たいじゅ)の枝(えだ)の上に立って、翔くんとりぼんちゃんの様子をじっと見守っていた、まいごくんの師匠は、白いあごひげを、ゆっくりなでながら、まいごくんの顔をうかがいました。まいごくんは、あぁ、とつぶやくと、マントから、黒いボールペンと、何かピンク色のパウダーの入ったびんを取り出しました。 「こちらの、トレーシング筆跡(ひっせき)ペンと同訓異字(どうくんいじ)チェンジパウダーを使いまして」  ――そう、まいごくんは、一時間目の授業中、透明マントを被って気配(けはい)をなるべく子どもたちに察せられないように、そぅっとりぼんちゃん、翔くんの机に近づいて、りぼんちゃんや翔くんの体に、当たらないよう、体をくねらせながら、このトレーシング筆跡ペンを使って、それぞれの字をノートから、こっそりなぞって、二人の筆跡を盗(ぬす)んだのでした。  また、その後の休み時間中も、二人の目を気にしながら、ばれないように、それぞれが持っているノートとメモ帳を盗み、ノートから察した二人の漢字のスキルも参考にしながら、盗んだ筆跡を使ってこっそり手紙を書き、二人のもとへ、手紙を送ったのでした。 「透明な姿で、ばれないように、あれだけ人の居る教室に潜入(せんにゅう)しつづけるって、なかなか息が詰(つ)まりますよね……」  と、まいごくんは、そう師匠に説明したのち、はぁ、とため息をついて笑いました。  師匠は、ふむふむ、とあいづちを打ちながら、 「して、あのぺろぺろキャンディは、いかにして? わしも、まいごが、なにやら、雨に向かって、粉をまき散らしている様子を見ておったが……まさか、あれがぺろぺろキャンディになるとは思わなんだ」  と質問をしました。まいごくんは、 「あぁ。この同訓異字チェンジパウダーは、師匠が、どういうわけか、雨を降らせた時にひらめいたものでして……ほら、振ってくる『雨』とぺろぺろする『飴』、どっちも、『あめ』じゃないですか。これ使うと、同じ読みをする別のものに、変えることが出来るんですよ。例えば、目の前の川を渡らないといけないとき、ご飯を食べるときに使う『箸(はし)』に、この粉(こな)を掛ければ、川を渡るための『橋(はし)』になりますし……まぁ、なかなか、使う機会無くて、もう捨(す)てようかと思っていたんですけど」  師匠は、ほほぅ、なるほどなぁ、とうなずき、よくやった、よくやったと、まいごくんの頭を優しくなでました。まいごくんは、くすぐったそうに、うふふとほっぺを赤くして笑いました。 「それにしても、師匠の方は? どうやって、あの子の記憶を戻したんですか? なんだか、すごく突然(とつぜん)記憶が戻ったようだったんですが……」  まいごくんの質問に、師匠は、うむ、とうなずき、片手を腰に当てました。もう片方の手は、つえを持っているので、仁王立ちではありませんが、なんだかスタイリッシュです。 「しょぼん玉に吹き込んだ、しょぼーんとした思いというのは、厳密(げんみつ)には、消えるのではなくて、上空(じょうくう)へ上空へと、のぼっていっているのじゃよ。つまり、あの子のしょぼーんとした思いから出来ている雲、というのもあるというわけじゃ。普通はな、その雲も遠くへ移動してしまって、もとの持ち主のもとに戻るということはないんじゃが、そこをわしが、あの子の思いからできた雲だけを集めて、ここに取っておいたんじゃよ。で、その雲から降って来た、さっきの雨が、彼女の頭に当たったときに、彼女の記憶が戻った、というわけじゃ」  その説明に、まいごくんは、わかったような、よくわからないような気持ちになって、ふーん、と、あいづちを打ちました。 「でも、記憶が戻(もど)っちゃうと、しょぼーん、って気持ち、戻っちゃいますよね? それでいいんですか」  まいごくんの質問に、師匠は、「いいんじゃよ」とつぶやいてにっこりほほえみました。 「あの少年が言っていたじゃろう――人間がしょぼーんとするのはな、その、しょぼーんとする出来事というものが、何か自分の大切だと思っているものに関わっているからなのじゃ」  まいごくんは、きょとんとしました。師匠がいつもは閉じているような細い目を見開いて、 「まだ、まいごにはわからないかの? まぁ良い。いずれ、まいごにもわかるときが来るであろう」  師匠のその言葉を聞きながら、まいごくんは思いました。 ぼくにも、しょぼーんとするような思いを与えてくれるほどの、何か大切なものが欲しいなぁ、と。  師匠は、そんなまいごくんの様子を見て、くぉふぉっふぉ、と笑うと、 「それじゃ、わしもそろそろ副業(ふくぎょう)に戻ろうかの」  とつぶやきました。まいごくんは、うん? と首をかしげました。 「師匠、副業って、何しているんですか……?」 「おや、言っていなかったかの? わしは、この人間界の世界に適応(てきおう)していくために、中年男性に変装(へんそう)をして、おかし屋さんのおじさんをやっておるのじゃよ。今回の少年少女たちに起こったことのそもそもの原因が、わしのからかいにあると察したとき、放っておけんと思ったもんで。それで今回、まいごに、あの子たちの件を任せることにしたのじゃ。お手柄(てがら)じゃったな。それでは、これにて」  師匠は、そう言うと、ドロン、と音を立てて、消えてしまいました。  まいごくんは、なんだよそれ、初耳(はつみみ)だぞ、と心の中でつぶやきつつ、 「なんだかよくわからないけれど」  取り残された木の上で、まだ消えずに残っていた虹を見つめて、 「人間っていいな」  と、つぶやきました。  師匠と別れたあと、まいごくんは、りぼんちゃんがジャングルジムのてっぺんから落としたしょぼん玉の液に、ゴミ捨て場から拾(ひろ)った針金(はりがね)ハンガーを付け、それに息は吹き込まず、それを振り回して、大きなしょぼん玉をいくつかつくりました。できたしょぼん玉は、ふわりふわり、空へ空へとのぼっていきます。 「うわあ。きれいね」  ――そのとき、シャボン玉のように透明で、虹色に美しくきらめくような、若い女の人の声が聞こえました。まいごくんは、どきり、として振り返ります。 「でも、残念だけど、少年。さっき、チャイムが鳴って、昼休みは終わったのよ? 早く教室に戻りなさい。はじめて見る顔だけど、何年何組?」  その人は――真っ白なおもちのようなきれいな肌をして、少しだけ茶色がかった髪を、一つに結び、ピンクの縁(ふち)の眼鏡(めがね)をかけた、やさしい笑顔の、先生のような女性でした。まいごくんは、その女の人の目をじっと見つめました。 「……僕は、この学校の児童じゃありません。僕はまいごです」 「まいご?」  彼女の丸く見開かれたきれいな黒い瞳を見てまいごくんは――どこか、シャボン玉に包まれて、ふわりと宙に浮いたような、そんな心地(ここち)がしました。 「そう。まいごかぁ。こまったねぇ。お父さんかお母さんの電話番号はわかる?」  先生は、まいごくんの髪をやさしくなでながら、そう聞きました。  まいごくんは、あ、とつぶやいて、黙(だま)ったまま、その瞳に悲しみの色を浮かべました。そのかすかな変化に、先生は気が付いたようで、 「あ……ごめんね。なんか……変なこと聞いちゃったね」  と言って、口を閉じました。まいごくんは、いいえ、と首を振って、また、ハンガーを水たまりに浸(ひた)しました。そして、再び、しょぼん玉を作ろうとハンガーを動かしたとき――何を思ったか、まいごくんは、そのハンガーから手を離し、ハンガーを捨てました。 「お姉さん、あの……」  まいごくんは、そう言って、先生を振り返りました。じっと、先生の瞳を真面目(まじめ)な表情で見つめています。  先生は、ひざを曲げて、まいごくんに視線を合わせてくれました。じっと、まいごくんの次の言葉を待ちます。 「僕の……お友達になってくれませんか?」  えっ、と彼女の口がかすかに開きました。  ――と、ここから先は、また別の物語です。  完
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