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カウンターの中で雑誌のページを捲りながら欠伸を噛みしめていると、 ドアが開いた。
「いらっしゃいませ」
入ってきたのは、若い女性の二人組み。
二人はカウンターの中にいる自分を見て、コソコソをなにかを囁きあいながら、店内をキョロキョロと見渡す。
そしてもう一度自分に視線を向けて、やっぱりコソコソと話をして、雑誌コーナーに歩いていく。
その仕草におもわず首を傾げた。
たぶん高校生くらいかな?
大学生だとしても、自分よりは若い感じがする。
鮮やかな色のダウンジャケットと、ミニスカートとロングブーツ。
同じような服装をした二人組みは、店内の商品を見ているフリをしながら、背伸びをしたりして、他の通路の様子を伺っている。
ちなみに、いま現在、フロアに彼女たちの他には自分しかいない。
もともとヒマなコンビニなだけに、この時間となれば客も滅多にこないわけで。
しかも外は冬真っ盛りだし。
一つ一つ通路を確認しながら、店内の一番奥に辿り着いた彼女たちは、商品には眼もくれず、 なぜか自分にチラチラと視線を向けながら、やっぱりコソコソと話をしている。
どうやら、買い物が目的なわけじゃないらしい。
店の奥から、やっぱり背伸びをしながら店内を見渡すその仕草は、まるでなにかを探しているみたいだ。
ああ、もしかして、待ち合わせとか?
いやいや、でも、ここ数十分の間に、それらしい客はきてない。
きたとしても、十分ほど前に中年のサラリーマンが煙草とビールを買いにきたくらい。
あの中年男とこの二人組みが待ち合わせってことはないだろ。
なんだろ、と不思議に思いながらも、手持ち無沙汰から、おでんの中身を箸で突いていると、 二人組みが意を決したように、おずおずとこちらに近づいてきた。
「あのぉ~~・・・・」
「はい?」
箸を置いて顔を上げると、二人はチラッと自分を見て、またコソコソとなにやら話し合っている。
「どうする~?」
「えー、だって聞いてみるしかないってー」
「でもぉ~」
眼の前で話しているせいで、小声でも会話が聞こえてくる。
チラチラとこちらを見ながら、何度もコソコソと相談しあうその仕草は、ちょっといただけない。
はっきりいってくれなきゃ、わかんないし・・・・。
どうしたもんかな、と煙草ケースに手を伸ばしたりして仕事をしているフリをしていると、 彼女たちはやっと覚悟を決めたのか、もう一度話しかけてきた。
「あのぉ~、いつもいる人は今日休みですか?」
「え?」
その言葉に、ケースに収めようとしていた煙草を持ったまま、おもわず首を傾げた。
「いつもいる人って・・・・店長?」
「あんなオジサンじゃなくて、いつもこの時間帯にいる人ですよー」
二人は「やだぁ~」とキャッキャッと笑っている。
若い女の子から見たら、あの髭面店長は立派なオジサンに見えるらしい。
一応あれでもまだ三十代なんだけどなぁ・・・・不憫だ。
「やっぱり休みなんですかー?」
そう再度聞かれて、首を捻った。
このコンビニには他にも何人かバイトがいるわけで。
もちろん、この時間帯に入る大学生のバイトも何人かいる。
いったい、彼女たちが誰のことをいっているのかがわかんないんだけど・・・・。
「それってどんな人?」
「えー、あの超カッコイイ人ですよー。いつも一緒に働いてるじゃないですかぁ」
それを聞いて、ああ、と納得した瞬間、店の奥の扉が勢いよく開いた。
「おい、藤。肉まんやっぱり切れてるわ。店長、発注してたかわかるか?」
突然登場してきた男に、彼女たちは驚いて「キャッ」と見事に一歩後退さった。
客がいたことにはまったく気づいていなかったらしい相葉は、彼女たちを見て、しまったとばかりに小さく肩を竦めた。
「アレ?」
そういって指を差すと、二人は大きく頷きながらも、どうしよぉ~、と顔を赤くしながらハシャギだす。
こちらの状況なんて知るはずもない相葉は、「驚かせてスイマセーン」と謝って、再びドアに手をかけた。
それを見て、ちょっと待て、と声をかけようとした自分より早く、 二人は勢いよく相葉に駆け寄っていった。
声をかけられた相葉は、ちょっと驚いたような顔をしている。
なにを話しているのかははっきりとは聞こえないけど、差し出されたものを受け取って、相葉が僅かに眼を細めたのが見えた。
にこっと笑った相葉がなにかをいうと、彼女たちは途端に真っ赤な顔でキャーキャーとハシャギだして、 「ありがとうございました!」という言葉を残して、逃げるように猛スピードで外へと飛び出していった。
いったいなんだったんだろう?
その一部始終におもわず眼を瞬かせて首を傾げた。
当の相葉はなんだか落ち着いていて、受け取った小さな赤い紙袋を手の平に乗せて、愉快げにヒュウと喉を鳴らした。
「なにもらったの?」
そういうと、相葉はあっさりと「チョコだろ」と呟いた。
開けてもいないのに、なんで中身がチョコだってわかるんだ?
そんな疑問が表情にでていたのか、相葉は呆れた顔で、棚の一角を指差した。
そこにはカラフルなラッピングがされた商品が華やかに並んでいて、 上には『バレンタインコーナー』とデカデカと書かれている。
「ああ、バレンタインか」
「気づくのおせーよ」
相葉はしょうがねえな、とばかりに苦笑しながらこちらに近づいてくる。
いや、知らなかったわけじゃないんだけど。
ちょっと忘れてたっていうかね。
そういえば、大学で何個かチョコレートらしきものをもらったっけ。
もちろん全部義理だけど。
「もしかして手作り?」
「いや、違うだろ。手作りチョコをよろこぶのなんて、彼氏か親くらいだろ。 初対面の男にンなもん渡したって、引かれるだけだって」
「まあ、たしかに」
赤い紙袋の中からは、綺麗なリボンが巻かれた箱が出てきた。
よく見ると、これは駅前のデパートにある有名な洋菓子店のものだ。
チョコレートが有名で、一粒が五百円くらいするとかなんとか。
要するに庶民である自分には、到底手が届かないような高級品だ。
「なあ、知ってるか?」
「ん?」
「ここのチョコ、『恋が叶うチョコレート』っていわれてるんだってよ」
「なにそれ?」
相葉がするりとリボンを解いた。
箱を開けると、中には繊細な模様が施されたハート型のチョコが四粒。
「好きな人に贈ると恋が叶うんだってさ。口コミで話題になってて、予約が殺到してるってこの前テレビで特集してた」
「へえ?ってことは、これ本命チョコじゃん」
「たぶんな。しかしよく買えたよなー。 いつも予約だけで完売しちゃう超人気のチョコだって、リポーターのタマエちゃんが紹介してたんだぜ?」
人事のように感心している相葉に、だからおまえに渡すために予約してたんだろ、とおもわず突っ込みを入れそうになった。
こいつ、わかってんのか?
いや、本命チョコだってわかってる以上、意味は理解してると思うけど。
テレビで観たとおりだな、と相葉は箱の中をうれしそうに覗き込んでいる。
その表情はなんていうか、告白されたからうれしいとかそーゆーのじゃなくて、ただ単に、 テレビで偶然観た入手困難のチョコが手元にあるのがうれしいっていう感じだ。
相葉がハート型のチョコを一粒指で摘む。
その表面の模様を眺め、フッとなにやら微笑んだ。
「ホラ」
「は・・・・?」
「口開けて」
なにいってんだ?こいつは。
突然口元に突き出されたチョコに、おもわず顎を引いた。
「早くしろって。溶けるだろ?」
「・・・・いや、おかしいだろ」
「あ?」
なにが?と、首を傾げる相葉を見て、眉を寄せた。
そのチョコは、さっきの二人組みが予約までして相葉に贈ったチョコであって、もちろん自分がもらったものではない。
しかも、『恋が叶うチョコレート』・・・・。
味の感想くらいは訊こうとは思っていたけど、自分が食べるわけにはいかないだろ、しかも最初に。
「・・・・このチョコさ、いくらするか知ってるか?」
唐突に、相葉がそんなことを訊いてくるから、おもわず眼の前に突き出されたチョコに視線を落とした。
普段売っているチョコが一粒五百円だから・・・・。
「二千円?」
「ハズレ。四千円」
「はぁ!?」
ってことは、一粒千円か?
驚いてマジマジとチョコを見つめる。
表面は普通のチョコにしか見えないけど。
もしかして、なにか特別なものでも入っているとか?
「限定ってだけで、破格のチョコが飛ぶように売れるんだぜ? まぁ、『恋が叶うチョコレート』っていう噂が効いてるんだろうけどな。もしかして本当にご利益があるのかも」
「なんだよ、そのご利益って」
「さあね。でもまぁ、四千円の価値はあるのかもよ?」
愉快そうに笑う相葉を見て、おもわずチョコを凝視した。
見た目にはわからないけど、このチョコには値段に匹敵するくらいの価値があるってことか。
噂が流れるくらいだし、それ相応のご利益があるのかもしれないけど。
「おい、藤、早く食えよ。マジで溶けるって」
「だーかーらー、俺が食ったって意味ないだろ?」
「アホ、俺が食って、あの子らの恋が叶ったらどーすんだよ」
「それはおまえ次第じゃん」
相変わらずチョコを押しつけてくる相葉に呆れ顔を向けると、相葉はにやりとした嫌な笑みを浮かべて口の端を吊り上げた。
「もらったもんは俺のもの。手に入ったご利益は遠慮なく使わせてもらわねえとな」
「・・・・は?ンっ!」
一瞬油断した隙に、口の中にチョコを放り込まれた。
相葉の熱で溶けかけたチョコが、口の中でだんだん小さくなっていく。
あ、うまい。
これは千円の価値があるのかも。
コンビニで売ってるような安物のチョコと違って、鼻に抜ける微かな花の香り。
なんというか高級感漂う味だ。
チョコなんてどれも同じだと思ってたけど、やっぱり値段が違うと当たり前だけど味も違うらしい。
滑らかなチョコはあっという間に口の中で溶けてしまった。
もう少し味わいたかったな、と無意識に唇を舐めると、眼の前でフッと笑い声が聞こえた。
「うまい?」
「かなり」
素直にそう頷くと、相葉は「へえ」と呟いて、指先についたチョコをペロリと舌で舐めた。
「ホントだ。やっぱ高級品は違うねー」
そういって、綺麗になった指先で、新しいチョコを摘む。
「ちょ、なんで自分で食わないんだよ?」
「だって、太ったらヤダしー」
「キモイこというなっつーの!」
・・・・・・・・結局、一粒千円のチョコはものの数分で完食。
しかも全部自分の腹の中。
すべてを食べなければいけないはずの相葉が食べたのは、指先についたチョコだけ。
せめて一粒くらいは食わせようと思ったけど、結局相葉に強引に口の中に捻りこまれ、終了。
最後のチョコが口の中で完全になくなったのを感じて、おもわず小さく息を吐いた。
「なんで俺が全部食わなきゃいけないわけ?」
「いいじゃねえか。高級チョコ食えたんだから、得しただろ?」
「そういう問題じゃ・・・・」
たしかに滅多に口に入らないような代物だから、得したっていえば得したのかもしれないけれど。
けど、これはただのチョコではないわけで。
『恋が叶うチョコレート』
得したってだけでは済まないような思い意味が籠められているような気がしなくもないんだけど・・・・。
そこまで考えて、ふと思った。
あれ?でもこーゆー場合ってどうなるんだろう?
チョコをもらったのは相葉。
けど、結局食べたのは自分。
このチョコは、贈った相手が食べなければご利益がないのかな?
じゃあこの場合は、いったい誰の恋が叶うわけ?
なにか詳しい成分でも書いていないんだろうか、とチョコの空き箱を凝視していると、ふとあるものに眼が留まった。
「ん?」
チョコの入っていた紙袋の底に白い紙切れ。
取りだしてみると、それは手の平に収まるくらいの小さなメッセージカードで。
そこにはあの二人のどちらかであろう名前と、携帯番号とメールアドレス。
女の子らしい小さな丸い文字で、「連絡待ってます」と、一言。
「ホラ」
カードを相葉の眼の前に突き出すと、相葉は愉快そうに眉を吊り上げた。
「ま、たとえ連絡したとしてもこの子の恋は叶わないと思うけどな」
「なんでだよ?」
「だって、俺チョコ食ってないじゃん?」
「おまえが無理矢理食わせたんだろ・・・・」
おもわず呆れ顔を向けると、相葉は「まあな」と愉快そうに笑った。
「でもま、チョコのお礼くらいはしておいてもいいかもな」
そういって、相葉はカードを見つめる。
そりゃまあ、チョコをもらったらお返しをするのが一般的だし、当たり前だと思う。
けど、どうやら相葉のいっている意味はそういう意味ではないらしい。
「おかげで入手困難のチョコが手に入ったわけだし」
「は?」
意味がわからなくて、首を傾げ顔を上げると、こちらを見ていた相葉と眼があった。
「もしかしたら、俺の恋が叶うかもしれないだろ?」
ゆっくりと眼を細めて、相葉が意味ありげ笑う。
その言葉にどんな意味が隠されているのか、知りたいとは思わない。
いや、知らないほうがしあわせだと思う。
おもわず嫌そうに顔を歪めた自分を見て、相葉は愉快そうに笑った。
なんだか少しイラッとして。
空き箱とともに、携帯番号の書かれたカードを近くにあったゴミ箱に放り込んだ。
「うわ、酷いことするね、おまえ」
「煩ェよ。連絡する気なんてさらさらないクセに」
「ハハ、バレた?」
ケッとはき捨てるようにいうと、相葉はペロリと舌を出しておどけて見せた。
個人情報だし、破って捨てたほうがいいかな、とちょっと思ったけど、それはそれで罰当たりのような気もする。
とゆーか、そんなの関係ない。
どうせ、捨てたことがバレて責められるのは自分じゃないし。
なんだかたのしげに笑っている相葉に、フンと鼻を鳴らして、愛用のハタキを手にとりカウンターの外へ出た。
後ろから相葉の笑い声が聞こえる。
やっぱりなぜかイライラして。
駄菓子コーナーに置かれている、一粒十円のチョコを摘んで、相葉の後頭部めがけて投げつけた。
イテッ、という声とともに、見事に直撃してそのまま床に落ちたチョコを拾い上げ、相葉はさらに可笑しそうに笑った。
そして売り物だというのに躊躇いもなく封を切って、そのチョコを口の中に放り込んだ。
「ホワイトデーは倍返しにしてやるよ」
切れ長の眼を細めて、相葉は爽やかに笑った。
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