リベンジ

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「重い・・・・」 「そんくらい男らしくひとりで運べよ」 「無茶いうな」 「ったく、だらしねえなあー」  呆れながら、相葉は藤からダンボールを受け取る。  やたらと重いそれをテーブルの上に置き、相葉はふうと息を吐いて、しゃがみこんだ藤に視線を送った。 「おいおい、なにへばってんだよ。先は長いぜ?」 「少しは休ませろよ・・・・」 「根性ねぇ」 「・・・・煩い」  けらけらと笑う相葉を無視し、藤はそのへんにあったパイプ椅子を引っ張り出し、腰を下ろした。  深いため息を吐きながら項垂れた藤を見て、相葉はさらに愉快そうに笑った。  いったいなぜこんなことになっているのだろう。  そう、今日はバイトがない平和な水曜日。  講義も午前中だけだったから、さっさと帰って寝ようと朝から決めていた。  なのに、どっから湧いてきたのか、教室を出たところで見慣れたにやけ顔と出くわした。  ありえない場所で、ありえない顔と対面したおかげで、驚いて逃げるタイミングを失った自分の腕を、相葉はしっかりと掴んで、にこりと笑った。  他の人が見れば爽やかな笑顔。  でも自分が見れば、ただ悪魔の笑顔。  嫌な予感は的中した。 「おい、藤。はやくしないと日が暮れるぞー」 「・・・・」 「貸しなんだから、ちゃんと働けよ」  その言葉に恨めしげに顔を上げると、やっぱり相葉はおもしろそうに笑った。  連れてこられたのは、経済学部にある一室。  ドアを開けるやいなや、おもわず絶句した藤に、相葉は「掃除、得意だろ?」と、あっけらかんといってのけた。  足の踏み場もないほどのダンボールの数々に、そのへんに散乱する本や書類。  まるで泥棒にでも入られた後のような有様だった。  いっておくが、断じて掃除は得意ではない。  自分の部屋だって、とてもじゃないが綺麗とはいえない。  だけど、ここまで酷くはない。 「・・・・だいたいなんなんだよ、この部屋」  それでもなんとかふたりがかりで、足の踏み場くらいは確保したものの、まだまだ完全とはいえない。  棚に収まりきらない本などは、いき場がないまま放置されている。  相葉はダンボールの中をあさりながら、ああ、と顔を上げた。 「ウチの教授の部屋なんだけど、掃除が苦手らしくてさ」 「・・・・だろうな」 「んで、代わりに片づけてくれないかってたのまれたわけよ」 「なんで引き受けるんだよ・・・・」  こんな面倒なこと。  ましてはまったくといっていいほど、関係のない自分を巻き込んでまで。  睨むような視線を送ると、相葉は肩を竦めて苦笑を洩らした。 「バイト代くれるっていうから」 「・・・・」 「それに、おまえもいるからいいかなーと思って」  そういうことか・・・・。  がくりと項垂れた藤を見て、相葉は声を上げて笑った。 「ほら、さっさとやっちまおうぜ。飯くらい奢ってやるからさ」  その言葉に、藤は軽く息を吐いて、渋々ながら腰を上げた。  足元に転がっている本を手に取り、机の上のダンボールに放り込む。  片づけというより、とりあえずはつめこみ作業。  見た限りでは、本棚にある僅かな空きスペースに、山ずみにされた本がすべて収まるとはとてもじゃないが思えない。  要は、なんとか見れる部屋になればいいのだろう。  自分には到底理解できないような内容の分厚い本の数々を、着々とダンボールの収めながら、藤は視線を上げた。 「・・・・なあ」 「ん?」 「バイト代っていくら貰ったんだ?」 「一万」 「半分は俺のモノだろ?」  はっきりいって掃除なんてまだ半分も終わっていない。  この状況を見れば、少なくともあと2時間はかかるはず。  やりたくもないものにつきあわされてるんだ、そのくらいの報酬は当然だろう。  藤の言葉に僅かに首を傾げた相葉は、すぐに口元を吊り上げた。 「おまえにやる分はねぇよ」 「・・・・なんでだよ?」  当たり前のようにいい放たれた言葉に、藤は口を尖らせる。  それを見て、相葉は小さく笑った。 「おまえは俺に借りがあるんだから、無報酬は当然だろ」  ・・・・そんなことはわかってる。  わかっていても、割にあわないことだってあるんだ。  だいたい自分はここまでデカイ借りをつくった覚えはない。  思ったことが顔に出ていたのだろう。  眼があった相葉は藤の顔を見て小さく吹き出し、そしてにやりと嫌な笑みを浮かべた。 「じゃあ・・・・今回はやめとくか」 「え?」 「今回はおまえに報酬の半額を払って、借りはまた次の機会ってことで、どう?」 「・・・・」  相葉の提案に、おもわず眉を寄せた。  おもしろそうに口元を吊り上げた相葉の顔が近づいてくる。 「そのかわり、次はなにを要求しても文句はいうなよ?」  触れそうなくらい近づいた薄い唇が、ゆっくりと弧を描いた。  まただ、と思った。  また、あの顔。  流されるのはいつも自分で。  キッカケをつくるのはいつも相葉。  流されることが嫌ではないと思う自分がいて。  それでも、おもしろくないと思うのは事実で。  ささやかな抵抗か。  手元にあった本を掴んで、相葉の頭上に振り落とした。 「いてっ!」 「やっぱいらねえ」 「は?」 「金」  吐き捨てるように呟いて、眼を丸くする相葉に背を向け、さっさとつめこみ作業を再開させた。  後ろからは微かな苦笑と、「残念」という言葉。  なにを要求しようとしていたかは、この際、訊かないでおこう。  「なに食いたい?」といわれ、考える間もなく「肉」と答えた。  一人暮らしの学生には食べたくてもなかなか手が届かないもの。  でも今日という日は話が別だ。 「おまえ少しは遠慮ってもんをしろよ。高い肉ばっかりたのみやがって・・・・」 「好きなもん食わせてやるっていったのは、おまえだろ」 「そりゃそうだけどさー・・・・」  所詮は食べ盛りの若者。  肉といえば焼肉で。  しかも安っぽい食べ放題なんて断固拒否。  高級とまではいかなくても、それなりの金額の店で、一年分の肉を食いだめするかのようにひたすら食い続けた。  残ったのは、一万円をギリギリ越えなかっただけマシと思われるレシートと、僅かな小銭。  うっすらとした街頭に照らされる夜道を歩きながら、相葉は手の平の小銭を握りしめ、がくりと項垂れた。 「・・・・ったく、せっかくの稼ぎがパーだ」 「べつにいいだろ」 「よくねぇよ。これでパソコン買おうと思ってたんだぜ?」 「一万ごときで買えるわけないだろ」 「そりゃそうだけど・・・・」  足しにしようと思ってたんだよ、と、相葉は未練たらしく呟いて、小銭を指で弾いた。  ふと視線を上げると、数メートル先にやたらと明るく光る自動販売機が眼に入った。 「相葉」 「ん?」 「金」 「は?」 「金よこせ」  訝しげに眉を寄せる相葉。  いっておくけど財布をよこせといっているわけではない。  握りしめた手に向かって顎をしゃくると、相葉は首を傾げながら差し出した藤の手に小銭を落とした。  手に入れた金は百円玉一枚と、十円玉が三枚。  充分すぎるほどの額だ。  自動販売機の前までいき、金を入れて迷わずボタンを押す。  ゴトン、という派手な音が人気のない道路に響いた。 「おまえ・・・・意地でも使いきる気か?」  ゆっくりと近づいてきた相葉は、その行動に呆れたようにため息を吐いた。  座り込んでよく冷えたウーロン茶を取り出し、もう片方の手の平を確認する。  握りしめているのは、残った十円玉。 「相葉」 「なに?」  自分を見下ろしている相葉に向かって、十円玉を指で弾いた。 「わ・・・・って、なに?」 「十円」 「んなこたわかってるけどよ・・・・」 「ほしいんだろ?パソコン」 「は?」  足しにしろよ、といいながら、ゆっくりと腰を上げた。  ぽかんと口を開けた相葉のシャツの襟元を掴んで、自分より少し高い位置にある頭を引き寄せる。  前のめりになって近づいた口元に、触れるか触れないかのキス、一回。  呆気にとられて、はっきりいってオトコマエ台無しの顔に、いつもヤツがするような嫌な笑みを向けた。 「借りは返したからな」  にやりと笑って、襟元から手を離し、さっさと身を翻した。  少しだけ冷たくなった夜風に乗って、後ろから微かな苦笑と「やられた・・・・」という呟きが耳に届いた。  そりゃそうだ。  いつも流されてばかりじゃないんだよ。  たまには、反撃だってしておかないと。  こういうヤツは、調子にのらせると厄介だ。  頬に当たる冷たい夜風。  ゆっくりと近づいてくる足音。  十円玉を爪で弾く微かな音。  それらを感じながら、ちょっと笑った。
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