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だいたいにして、オンナは声がでかい。
べつにオンナのコがキライなわけじゃない。
けど・・・・。
頼むからこんな深夜に耳元でキンキン声を上げるのはやめてほしい・・・・。
「だからさ、カナコに会ってほしいのよ~」
さっきからヒトの耳元でオンナ特有の甲高い声を響かせているのは、相葉の彼女らしき女・・・・もとい、相葉のオトモダチ。
なにを思ったか、夜中の一時過ぎに藤たちのバイト先にやってきた。
イマドキのミニスカートとロングブーツ。
こんな格好で深夜のひとり歩きは少々危険じゃないか、と思ったが、そんなこと自分がいうセリフではないことに気がついてやめておいた。
そんなこと、彼氏がいうべきセリフだ。
そういえばこのオンナ、彼氏がいるはずじゃないか。
止めろよ、彼氏として。
というか、いまの状況を思えば、そこらへんの変質者よりも自分にとってはずっと厄介な存在だ。
こんな危険なオンナ、野放しにしておくな。
「ねえ、藤クン、彼女いないんでしょ?」
甘ったるい香水の香り。
あまりスキではない匂いだ。
鼻がむず痒くなる。
「いないけど」
「ほしくないの?」
「べつに」
「へんなの~」
おまえにいわれたくない。
と、何度心の中で毒突いたかわからなくなってきた。
あまり客足の伸びないこの時間帯。
いつものようにハタキを持って店内の陳列、及び、新商品のチェックをしながらウロついている自分の後ろを、このオンナはいつまでもつきまとってきて離れない。
おかげで甘ったるい香水の匂いが店内に充満してしまった。
換気扇を強にしておくべきだった。
「カナコってかわいいのよ。ちょっと純情っぽくてさ。男のコにも結構人気あるんだから~!絶対藤クンも気に入るって!」
と、今度はウェーブのかかった茶髪をかきあげながら、友達自慢を始める。
いま初めて気がついたけど、このオンナ化粧が濃い。
モトが美人なのはわかるが、もう少し薄くても充分見れるぞ。
というか、アンタから見れば誰でも純情っぽく見えるんではないのか・・・・。
いいかけて、やっぱり口に出すのはやめておいた。
「ねえ、相葉。カナコかわいいよね~?」
反応のない自分への攻撃を諦めたのか、レジのカウンターに肘を着いて傍観者と化していた相葉に相槌を求めた。
「まあまあだな」
「なによ、アンタまで。ちゃんと売り込んでよ~!」
「と、いわれてもねぇ・・・・」
そういいながら、相葉はにやにやした顔のまま、疲れ果てて商品の前にしゃがみ込んでいる藤に視線をよこした。
助けろ、という意味を込めて、視線を絡ませる。
意味は通じているはず。
なのに、相葉はおもしろそうに眉を吊り上げて、さっさと眼を逸らしてしまった。
意地が悪い。
この状況を一番たのしんでいるのはあいつだろう。
三十分もの間、藤とオンナのやり取りをおもしろそうにずっと眺めていたのだ。
なんだかもう立ち上がる気力さえもない。
甘ったるい香水の匂いからも逃れられない。
脳まで汚染された感じだ。
はっきりいって最悪な気分だ。
「さて、と・・・・」
不意に相葉が身体を起こして大きく伸びをした。
「なにすんのよ?」
「お仕事」
と、いままでの数時間はなんのつもりだったのか、と、突っ込みを入れたくなるようなセリフを吐いて、藤に近づいてくる。
いきなり腕を引かれ、咄嗟に顔を上げた。
「冷蔵庫いくぞ」
「え?」
「え、じゃねぇよ。今日まだ入ってないだろ。補充しとかなきゃ朝のヤツらに文句いわれるぞ」
「・・・・いく」
降って湧いた幸運に掴まらない手はない。
相葉に手を引かれながら立ち上がると、後ろからオンナの非難交じりの声が響いた。
「ちょっとちょっと!なにもふたりでいくことないじゃない。相葉ひとりでいきなよ!」
「酷なこというなよ。おまえがくる前エライ混んだんだぜ?ひとりでなんか入ったら終わる前に風邪引いちまう」
「店どうすんのよ~!」
「客きたら呼べよ。ドア叩けばわかるから」
「もお~~!」
ぶーぶーと文句をたれるオンナは無視し、そのまま奥にある冷蔵庫に縋る思いで流れ込んだ。
冷蔵庫という存在に心から感謝したのはこれが初めてだ。
身体中に感じる冷たい空気が、寒いとは思わなかった。
むしろ気持ちいい。
甘ったるい香水の匂いより、湿気臭い独特な匂いのほうがいいだなんて、どうかしている。
そのへんに転がっていた踏み台に腰掛け、がっくりと項垂れた藤を見て、相葉は愉快そうに声を上げて笑った。
「おつかれ~」
笑いを含んだ口調にゆっくりと顔を上げると、やっぱりにやにやした顔の相葉が眼に入った。
「・・・・薄情者」
「なんでだよ」
「助けてくれたっていいだろ」
「あー?」
「・・・・つかれた」
再び項垂れた藤を見て、相葉は苦笑を洩らした。
「『どうでもいい』んだろ?」
なにが、と、いいたかったが、声を出すのも億劫だ。
鈍い動作で顔を上げると、壁に寄りかかって腕組みをしている相葉が嫌な笑みを浮かべている。
自分の眉間に皺が寄るのがわかった。
「どっちでもいい、なんていわなきゃ助けてやったのにな」
「・・・・なんのこと」
「こないだ訊いたろ?彼女ほしいかって。そしたらおまえ『どっちでもいい』っていっただろ。だからべつに助ける必要ねぇかと思って」
「あー・・・・」
そういえばそんなこといったような気もする。
そんなこと律儀に覚えているなんて、結構細かい男だな。
そう思いながらも、口から出るのはため息のみ。
茶色い髪の毛をわしゃわしゃと掻きむしっている藤を見ながら、相葉は再び声を上げて笑った。
「・・・・もう、いらない」
「あん?」
「彼女なんかいらないから、あのオンナどうにかして・・・・」
心の底からそう願う。
バイトだってまだまだ終わらないというのに、もはや体力は限界に近い気がする。
肉体的苦痛より、精神的苦痛だろう。
このままじゃ、なけなしの体力さえも吸い取られてしまう。
「助けてほしい?」
その声に顔を上げると、眼の前に相葉の着古していい味が出ているジーパンが眼に入った。
上を見ると眼を細めて笑う相葉の顔。
さっきまでの嫌な感じの笑みとはちょっと違う、なんだかべつの顔。
この顔、前にも見たことがある。
そう、一ヶ月以上も前。
あのときの雰囲気に、近い。
忘れかけていたあの瞬間。
それでも・・・・。
「助けてほしい」
眼を逸らさずにいってみた。
相葉の口元が弧を描いた。
不意に相葉の手が伸びてきて、その瞬間、ふわりと相葉の香水が鼻を掠めた。
柑橘系の香り。
イヤじゃないと思った。
さっきまでの甘ったるい匂いとは違って、脳を刺激する匂いに、一瞬眩暈を覚えた。
相葉の手が乱暴に、藤の髪の毛を掴んだ。
強引に引っ張られ、少しの痛みに顔を歪めた瞬間、当然のように唇が降ってきた。
「・・・・っ」
少しカサついている唇と、進入してくる舌にも、嫌だと思わないなんてどうかしている。
相葉の香水の匂いが身体全体を刺激する。
角度を変えて繰り返される口づけに、翻弄されそうで、縋りつくものが欲しくて手を伸ばした。
相葉の二の腕あたりに触れると、相葉の身体がぴくりと震えた。
相葉の身体はやっぱり熱かった。
たぶん、自分の身体も。
もう、止まらないような錯覚に陥ってしまう。
そんなふうに思うなんて、どうかしている。
ヤバイ、このままじゃ・・・・。
ドン!ドン!ドン!
ドアを叩かれる音に、ハッと引き戻された。
客がきた合図だ。
あっさりと離れていく相葉の唇をぼんやりと眺めた。
見た目にも、やっぱりカサついている。
「・・・・298円」
「は?」
ぼそりと呟いた言葉に、相葉は意味がわからないかのように眉を寄せた。
「298円の新商品が入ってた」
「・・・・なんの?」
「リップクリーム」
きょとんとした表情のあと、相葉は勢いよく吹き出した。
親切心で教えてやったというのに、笑われるのはどうにも割に合わない。
この男、涙も浮かべてないか?
そこまで笑うことか?
眉を顰めると、それに気づいた相葉は眼を擦りながら肩を竦めた。
「・・・・なるほど、ね。藤らしいわ」
「なにが?」
「いやー・・・・」
笑いを噛み締めながらも、相葉はドアに手をかけた。
さっきから何度もドアを叩く音が響いている。
不意に相葉が振り返った。
「まあ、あいつは帰らせてやるよ」
「ああ」
「これは貸しだぜ?」
にやりと嫌な笑みを浮かべて、相葉は店内に消えていった。
貸し、か。
嫌なヤツに借りをつくってしまったような気もしなくもないが、仕方がない。
これも自分の身のためだ。
乱れた髪を整えていると、不意に再びドアが開いた。
「とりあえず、冷蔵庫、頼むな」
台風一過。
期待したほうがバカなのか。
散乱した冷蔵庫を眺め、天を仰いだ。
やっぱりというか、なんというか・・・・。
借りをつくったことを後悔した。
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