快楽人生

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 もしかして、このまま死ぬのかな。  死ぬ直前にはむかしのことを思い出すってよくいうけれど、まったく浮かばない。  たかだか十九年間生きただけで人生を語るなんて、ちょっと早すぎるような気がする。  いや、でも、どうせ死ぬなら、語ったっていいだろう。  誰に訊かれるわけでもないし。  そう、思い起こせばなんともつまんない人生だった。  この一言に尽きる。  もういうことない。  ここで死んで、悔いとか残るんだろうか。  なんだろう。  べつにやり残したこともないし、なにかをやりたかったわけでもない。  もしかして、自分で思っている以上に自分はつまんないヤツなのかもしれない。  いや、きっとそうだろう。  どうでもいいで済ませるヤツ、ってよくいわれるし。  相葉にもいわれたっけ。  だいたい人生の最期に思うことがコレでは、話にならない。  我ながら呆れる。  ああ、相葉といえば、今日もバイトだったはずだ。  ここで死んでしまったら、もちろんいけないし。  相葉怒るかな・・・・。  そういえば、あいつには借りがあったはずだ。  あれはどうなったんだろう。  あれからなにもいってこないし、もしかしたら忘れてしまっているのかも。  それならありがたい。  あいつにはなるべくなら借りはつくりたくない。  なにを要求されるか想像できないところが、恐い。  たのむから忘れていてくれ。  まあ、もうどうでもいいけど  ・・・・そろそろ死ぬか。  こんなもんなのか、死の直前というモノは。  ドラマティックとはほど遠い、随分と情けないエンディングだな。  まあ、所詮、人生なんてそんなものなのかも。  情けないを通り越して、バカらしくなってきた。  最期の最期に気になったのがバイトのことで。  それでもって浮かんでくるのは、相葉のにやにや顔。  マジで消化に悪そうだ。  でも・・・・。  もう少し生きれたら、ちょっとはおもしろくなったかもしれない。  つまんない人生が、ちょっとだけおもしろくなったかもしれない。  なんとなくだけど、そう思う。  これが悔いってヤツなのかな。  まあ、それでももう遅い。  死ぬ直前って、結構虚しいな・・・・。 「・・・・じ・・・・藤!」  耳元に響く声に、微かに薄目を開けると、眼の前にぼんやりとした輪郭が浮かんできた。  何度か瞬きをし、なんとか焦点の定まった眼を細めると、端正な顔立ちがはっきりと視界に映った。 「・・・・相葉?」  小さく呟くと、至近距離にあった相葉の顔が苦笑いをしながら離れていった。 「まいったぜ。なかなか眼ェ覚まさないんだもんな」  見覚えのある天井。  何度かお世話になった硬いベッド。  薬品臭い独特の臭い。  ゆっくりと辺りを見回すと、どうやらここは大学の医務室らしい。 「・・・・俺、生きてるんだな」  どうやら死ぬ直前ではなかったらしい。  どうりで人生を振り返ることができなかったわけだ。  納得しつつ、ため息を吐くと、小さく吹き出す相葉の顔が眼に入った。 「おまえがあんな簡単に死ぬかよ」 「・・・・俺、どうしたんだっけ?」 「おいおい、記憶喪失は勘弁してくれよ」 「そんなんじゃない・・・・」 「階段から落ちたんだよ」 「階段?」 「そ」 「・・・・」  そういえば・・・・。  来週提出のレポートを終わらせるために、たしか自分は図書館にいこうと思っていたはず。  それで階段を下っているとき、頭上から誰かに呼び止められて。  見上げた瞬間、視界がぐらりと反転した。  そう、階段から落ちた。  一瞬だけど、自分を呼び止めたヤツと眼があった・・・・ような気がする。  それは・・・・。 「おまえだ・・・・」  睨みつけるように視線を送ると、相葉は苦笑しながら肩を竦めた。  どうりで気を失っている間、相葉の顔ばかりがちらついたはずだ。  死ぬ直前・・・・もとい、落ちる直前、視界に入ったのが相葉の顔だったせいだ。  アホらしい。  ため息を吐きつつ、ゆっくりとベッドから身体を起こすと、後頭部に鈍い痛みが走っておもわず顔を歪めた。  そんな様子をたのしげに見ていた相葉の手が、不意に藤の後頭部に触れる。 「でけぇタンコブ」 「・・・・」  いったい誰のせいだ。  相変わらず相葉は、そのでかいタンコブが珍しいのか、しきりに藤の頭を撫でている。  自分がベッドに座っているせいで、相葉の身体に覆いかぶされている感じ。  眼だけで見上げると、相葉の薄い唇が視界に入った。  衝動っていうのだろうか。  おもわず相葉のシャツの襟元を掴んだのは、まさしく衝動。  驚いている相葉が、下から突然かかった重力に逆らえるはずもなく。  一瞬だけ、掠めた唇。  名残惜しげもなく手を離すと、驚いていた相葉の唇が、ゆっくりと弧を描いた。 「・・・・なに、ご乱心?」 「頭打ったからな」  なるほど、と、苦笑する相葉を尻目に、藤はベッドから降りて、大きく伸びをした。  医務室は自分たち以外誰もいないらしく、どうやら相葉は勝手に入って勝手に自分をベッドに転がしたらしい。  結構な薬品を置いてあるわりに、無用心な大学だ。  何気なく壁にかかっている時計を見ると、時間はすでに六時を回っていた。  たしか図書館にいこうとしていたのが四時頃だから、約二時間もの間、自分は気を失っていたわけだ。  随分と恐ろしい体験をしたものだ。  というか、二時間もずっと、相葉はココにいたわけだ。  まあ、責任の半分は相葉にあるわけだから、それは当然のことだろう。  あれ。  不意にひとつの疑問が脳裏を掠める。 「なあ」 「ん?」 「なんであんなところにいたんだ?」 「あん?」  あんなところ、というのは、あの階段。  自分の学部内にある階段を、学部の違う相葉が利用するわけがない。  ただでさえ、キャンパス内で会ったのなんて学食での一回だけだ。  しかもホントの偶然。  ああ、と頷きながら、相葉はうっすらと笑った。 「図書館にいこうと思って」 「図書館?」 「そ。来週提出のレポートが未完成なのよ」 「へぇ・・・・」 「んで、偶然おまえを見つけて・・・・」 「ああ」 「声をかけてみたら、転がり落ちたと」 「それはそれは」  お気の毒に。  そう返すと、相葉は声を出して笑った。 「おまえもだろ?」 「え?」 「レポート」 「・・・・なんで知ってんだ?」  記憶にある限り、来週提出のレポートの話を相葉にしたことはないはず。  なぜなら、お互いバイト中は、ほとんど大学のことを話さないから。  べつに理由なんてないけど、話すことといえば、映画のことやスポーツのことなど、雑学的なことが多い。  訝しげに眉を顰めた藤の顔を見て、相葉は愉快そうに笑った。 「企業秘密」  ・・・・食えない男だ。 「なあ・・・・」  とりあえず、もう用のない医務室を出ようとドアに手をかけた瞬間に声をかけられて、藤はゆっくりと振り返った。  少しだけ高い位置にある相葉の顔がやけに近くて、反射的に顔を顰めた。  なに?と、呟こうとした口は、いとも簡単に塞がれた。  さっき自分が衝動的にしたキスとはまったく違う。  中にあるものをすべて吸い取られそうになるような、深い口づけ。  絡みついてくる舌だって、嫌じゃないことはもう知っている。  それでも、荒々しく噛みついてくる唇に、さすがに呼吸さえも危うくなってくる。  苦しさから身を捩って離れようとするが、逆に相葉の身体によってドアに押しつけられてしまう。  いわゆるサンドウィッチ状態 「おい・・・・」  僅かに離れた瞬間、抗議をしようと開いた唇は、その言葉ごと呑み込まれた。  食い込むほど肩を押さえ込まれて、逃れることはできない。  逃れられないことを知っている。  逃れたいとも、思わない。  さらに深くなっていく口づけ。  応えるように舌を動かすと、さらに激しく絡みとられた。  衝動、なのだろうか。  相葉も自分と同じように、衝動に駆られたのだろうか。  衝動なんてばかげてる。  それでも・・・・。  この状況にそれを感じる自分は、やっぱりどうかしている。  ちゅっ、と耳障りな音を残して、相葉の唇が名残惜しげに離れた。  それでも触れそうなくらい近い位置。  荒くなったお互いの呼吸さえも肌で感じる。 「・・・・どう?」  相葉が小さく囁いた。  わけのわからない問いかけに、藤は息を整えながら眉を顰めた。 「なに・・・・?」 「リップ」 「は?」 「藤くんオススメのリップクリーム。使ってみたんだけど、どう?」  近すぎてうまく焦点の合わない相葉の顔は、それでもはっきりとわかるくらい不適に笑った。  相葉の薄い唇。  いまはどちらのかわからない唾液でしっとりと濡れている。  ぼやける表情さえも艶を帯びて見えた。  妙な感覚だ。  おもわず手を伸ばした。  感触を確かめるように指でなぞると、相葉は愉快そうに口元を吊り上げた。  意外とやわらかい唇。  触れたくなるのもやっぱり衝動なのだろうか。 「お気に召しましたか?」  発せられる言葉は意外性がないくらい、嫌味っぽい。  まだまだだな、と、素っ気なくいった藤の言葉に、相葉は苦笑しながら肩を竦めた。 「で、調子はどうよ?」  こんな状態では図書館でレポート作成なんてまず無理だろう、と判断をし、とりあえず我が家へ帰ろうと歩き出した藤は、相葉の言葉に顔を上げた。  自分の後頭部を手を伸ばすと、相葉のいったとおり、見事なタンコブができている。  少々痛みも走る。 「最悪。休んでいいなら休む」 「そんくらいのタンコブじゃ認められねぇな」  さっきは散々物珍しそうに触っていたくせに、随分な言い草だ。 「脳に異常があったらどうする」 「ありえねぇ。あのくらいの段差から落ちたくらいじゃせいぜいタンコブ止まりだ」 「・・・・階段だって打ち所が悪ければ死ぬぞ」 「死なねぇよ」  はっきりとした口調で相葉が言い切る。  なにか根拠でもあるのだろうか。  いや、ありえない。  こいつは医者じゃないんだから。  だいたいわかっていないようだが、自分は気を失っている間、ふと意味のない人生を思い返し、このまま死ぬつもりだったのだ。  死ぬ直前は虚しい、ってなんとも情けない最期の言葉まで心の中で吐いたというのに・・・・。  眉を寄せて相葉の横顔を見ていると、不意に相葉がゆっくりと顔を向けた。  絡みつく視線は痛いくらい突き刺さる。 「死なれたら、困るな」  低い声。  いつもの調子のよい雰囲気とは違う、どこか真剣な表情。  こんな顔もできるのか・・・・。  初めて見る表情におもわず感心すらしてしまった。  でもそれもほんの一瞬で、すぐにいつも見せるヒトを小馬鹿にしたような顔つきへと変わる。  にやりと笑った顔。  いつもの相葉だ。 「おまえには貸しもあるしな」 「・・・・」  やっぱり覚えていたのか。  反射的に嫌そうに顔を歪めた藤を見て、相葉は吹き出した。 「ま、そのうちな。考えておくさ」 「・・・・忘れてくれていいよ」 「そんな勿体ねぇことできるかよ」  忘れられねぇ、と、たのし気に笑う相葉から視線を外し、藤は小さくため息を吐いた。  死ぬ直前はたしかに虚しかった。  もう少し生きていたら、と思ったのも事実。  でも。  すべてがおもしろくなるとは限らない。
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