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【病院】
土曜日、父は声は発しなかったが、目と仕草で会話していた。
「もう喋れないの」
母が哀しげに言う。
「そっか。まあ静かでいいな」
言うと、瞳は怒り、手はパタパタと動いて、俺に帰れと言っているようだった。
☆
水曜日、姉からメッセージが来た。
『呼吸も弱くて、血圧も80台後半だって。もうダメかも』
しかし土曜日の様子を思い出す、まだ元気だった。
『そっか。また日曜日に行くよ』
返事は早かった。
『そこまで持たないかも』
馬鹿な、まだ元気だったろう?
それでも姉を安心させたかった。
『じゃあ、明日行く』
『よろしくね』
☆
木曜日。
父は俺の姿を目で追わなかった。ずっと天井を見つめたままだった。
それまでの父は、年に一度しか逢わなくても大して変わったようには見えなかったのに。
たった数日で、急激に死が近づいているのは判った。
「来たよ」
顔を覗き込むと、ようやく視線が合った。その時にはまだ意思があった、「来たか」と言っているような気がした。
口髭がトレードマークだったのにそれも剃られ、角刈りの少しマッチョの父は怖いくらいだったのに──そんな面影はどこにもなかった。
母が話がしたい言うから談話室に行った。
今後の不安を口にし始めた。
葬式の段取りは勿論、ひとりになったらどうしよう、と。
なんとなくそんな話はしたくなかった。その時になったらまた考えよう、姉にも相談して、などとはぐらかすように話し、帰宅した夜。
スマートフォンは、いつも枕元で充電している。
DMの着信などがうるさい時もあるからミュートしているが、今日はそのスイッチに触れて、躊躇った。
もし、亡くなったと電話があったら、気付けるか?
いや、でも。
いつもと変えるのが怖かった、俺はいつものようにミュートにして部屋の電気を消した。
それは虫の知らせだったのか。
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