【別れ】

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父の妹が来て、ようやく医師が呼ばれて死亡宣告された。 俺達が死を悟ってから、20分以上が経っていた。それでもその時間が死亡時刻になるのだと言う。 父の死に間に合わなかった事に叔母は号泣した、一緒に来た従姉妹も涙を流して泣いていたが、俺は泣けなかった。 病院で体を洗ってもらう、死に化粧もした。 その間に葬儀屋に連絡して、遺体安置を頼む。そこでも遺体を洗って化粧をするらしい。 日に二度も風呂に入るなんて。綺麗にしてもらえてよかったな。 翌週の火曜日に通夜をした。 父の遺体を前に、通夜ふるまいを食べた。 父が大好きだったウィスキーと煙草を供える。ジャックダニエルとハイライト。それが父のイメージ。 棺の中の父を覗く。 死に顔は綺麗だった。まさしく眠るように死んだのだ、最期は苦しまなかったのだと信じたい。 水曜日、告別式の後、出棺となる。 火葬場で最後の焼香だ。そして炉へ向かう。 いざ扉が開き、恭しく棺が動き出した時──。 初めて涙がこぼれた。 いい年をして、嗚咽しながら泣いた。 もし誰もいないなら、叫びたかった。 「父を燃やさないでくれ!」 でもそんな気持ちより、周囲の目を気にしていた。 友引の翌日の火葬場は混んでいた。 そのエリアには他にふた家族もいた。皆粛々と送り出している。 そんな中、大の男が泣いて取り乱すなど、流石に理性が制した。 俺だって、火葬場は初体験ではない。 ふたりの祖母も送り出したし、伯父の時もいた。 でもこんな気持ちは初めてだった。 肉体を高温で焼いて骨だけにする、そうしなければいけない、そう言うものだと理解している。 なのに、父だけは嫌だと感じた。 昨夜もその顔を眺めていた。 その父が、顔も体も失うことに、激しく抵抗したかった。 遺影の父は、所詮写真だ。 冷たく硬くなっていても、その肉体に触れられなくなるのは、嫌だと思った。 無理だと判っていても、引き止めたい。棺にすがりついて、燃やすのはやめてくれと懇願したい。 叶わないと判っていても、そうしないと気が済まなくて──。 でも、係員の邪魔はいけないし、他の家族もいる……戸惑う間に、父は炉に入れられた。 もう、助けることはできない。 扉が閉じられた。 父は高温の炎で焼き尽くされる。 ☆ 遺骨を持って、実家に帰った。 四十九日の法要の日付を確認し、俺は都内の自宅に戻った。 泊まっていけば、と母に言われたが、父のそばにいたくなかったのだ。 後悔と淋しさに押し潰されそうで──。 ☆ まだ忌引き中だが、翌日は少し仕事を片付けようと、早い時間に出社した。 今日も係長がいた。 「どうした、忘れ物か?」 「いえ、他の連中に回してしまった仕事の進捗の確認に」 「真面目だな。仕事よりお母さんを気遣ってやれよ? ばたばたしていた葬儀も終わって、急にぽっかり穴が開いたような気分になったりするぜ?」 「はい」 姉もそんなことを言っていた。今までより、もう少し実家に帰って来てあげて、と。 元より都内に出るのに便が悪いわけではない、都会への憧れと、父が嫌だから、大学進学を言い訳に家を飛び出しただけだ。 だから、母には会いに行こうか。戻る事も視野に──ついでに、父に線香も上げればいい。 30分ほどで雑務を終えて、会社を出た。 駅から向かってくる人々に逆行して歩き出す。 先日見た、他人の空似の背中を思い出す。 あれは父が見せた幻だろうか。 もしまた見る機会があったなら。 そっと呼びかけてみよう。 「おかえり、会いたかったよ。たまには一緒に酒でも飲もうか」 終
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