【夏の日】

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【夏の日】

近くのコインパーキングに車を停め、クーラーバッグを掴み、車を降りる。 梅雨らしい梅雨となった連日の雨の中、商品を運ぶのにもうんざりしていたが、梅雨が開けた途端の酷暑の中歩くのも苛立ちが募ってくる。 薬局に薬を届ける仕事を始めて五年、慣れは飽きを産み、日々の些細なことがつまらなく思えてしまう。そんな毎日を懸命にこなしていくのが精一杯だった。 うだるような暑さの中、ぼんやりと信号が変わるのを待つ。青になり横断歩道を一斉に歩き出す人ごみに、見覚えのある背中が見えた。 ──父だ。 8年前、家の中で動けなくなっていたのを、母が見つけた。 救急車で運ばれた先で、ガンを宣告される。前立腺ガンだそうだ。 しかし父は違うと言い張り、治療は要らない、今すぐ家に帰ると大騒ぎ。 昔から頑固だった、そんな父が俺は嫌いだった。 母や姉をよく叩いていた、理由は……特にない。 女同士だ、こそこそ話すこともある、それを自分の悪口を言っただなんだと言いがかりをつけて、殴るのだ。 「俺は九州男子だ」 それが、口癖だった。 だからなんだと言いたい、それが女を殴る言い訳か。九州産まれの皆様に謝れと言いたい。 でも、だからなのか、俺は男だからか殴られる事も、意味もなく怒鳴られる事もなかったが嬉しくはなかった。俺の方が体が大きくなると、俺は母や姉の味方し言い返した。それが面白くなかったようだが、幸いに暴力がなくなったのはよかった。 その父が、ガン宣告以後は、ずっとベッドの上だった。 ヘビースモーカーだったが、強制的に禁煙させられた。そのせいか食事をよく摂るようになり、前より元気に見えたほどだ。二年と余命宣告を受けたとショックを受けていた母も驚く食欲で、まだまだ死にそうにないと笑っていたほどだった。 しかし、昨年の正月の時には、父は弱気になっていた。 そうか、と納得するわけにも行かず、 「あと一年頑張ろう」 と励ましていた。 正直、死が迫っている人間に、頑張れは正しいのか。 だからと言って「さっさと死ね」とも言えない。 その翌年になる今年の正月。 父が小さく見えた。 「俺はもう駄目だ」 去年もそう言ってて今年を迎えたんだ、来年もな、と伝えた。 父は、本当はどんな言葉をかけて欲しかったのだろう? 何度考えても答えは出ない。 春が過ぎ、梅雨が訪れた頃、食事も摂れなくなったと、緩和ケアがある病院に入院した。 そんな状態の父が、こんな日差しの中、こんな人ごみに居るわけ──案の定、全くの見間違いだった。それは父と同じ角刈りの、背格好こそよく似ているけれど、はるかに若い青年だった。 そんな見間違いをしまうなんて……入院してから見舞いにも行っていなかった。そもそも大学進学のために上京してからも、正月程度しか会っていない。 緩和ケアに入る程の、末期と言える父──一応は気がかりなのらしい。 今度の土曜日は、逢いに行ってやるか。
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