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暑い。駅の構内から出ると、8月らしい熱気が全身を包み込んだ。日傘や、帽子、手持ち扇風機で暑さ対策した人達が行き交う。夏に浮かれた人混みを掻き分け巨大な横断歩道にたどり着いた。信号が赤に変わると人で埋め尽くされていたその場所に、車が流れ込んだ。図らずしも、人混みに押され信号待ちの最前列に躍り出てしまった。大学は夏休み、特に急ぐ予定も無いが、癖で腕時計を見る。アナログ式の腕時計は10時54分を指していた。長針と短針が重さなる時間。一日に22回重なる時間があると、昔祖父が教えてくれたことを思い出した。 ふと、交差点反対側に立つ女性に目が止まる。僕と同じ年ぐらいだろうか、20才前後、肩までのストレートヘアーに水色のシャツワンピース。スマホの画面に釘付けで顔はよく見えない。どこにでもいそうなタイプたが、彼女に見覚えがある気がする。 大きなクラクションを鳴らし、トラックが目の前を通りすぎた。スマホから顔をあげた、彼女の美しい横顔が見えた。僕は彼女を知っている。 人付き合いが苦手な僕に特定の友達は少ない。どこかの店員だろうか。行きつけの服屋、美容室、カフェを思い出してみるが、どこにも彼女はみつからない。 巨大な交差点を次々と車が通り過ぎる。横断歩道の信号は赤のまま。頭上の見慣れた看板に視線を移し、記憶を探るが思い出せない。確認するようにもう一度彼女に視点を合わせる。心臓がドクンと音をたてた。彼女が僕を真っ直ぐに見つめていた。 彼女も僕を知っている。 思わず目をそらした。誰だっけ。思い出さなければ、信号が変わるまでに。同年代の女子を片っ端から思い浮かべた。大学の同期。サークルの仲間。高校の同級生。しかし彼女はどこにもいない。 車道の信号が黄色に変わった。もうすぐ交差点の信号が青に変わる。 もう一度彼女をそっと見る。真っ直ぐに僕を見つめる視線とぶつかった。無表情な眼差しに突き刺され、ドキドキが止まらない。このまま人混みに紛れてしまえば気まずい再会を回避できる。しかし、思い出したい。思い出さなければいけない気がした。彼女は誰だ。 横断歩道の信号が青に変わる。人混みをかき分け真っ直ぐ彼女に近づく。しかし、押し寄せる人の波は容赦なく壁となり、彼女を見失ってまった。僕は交差点の真ん中辺りで立ち止まり、迷子のように彼女を探す。しかしまた、人の波に流され、気付けば反対側まで渡りきってしまった。 仕方ない、彼女が知りあいだったかどうかも分からない。僕は目的の店に向かって歩き出した。
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