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「はぁ!?」
俺の話とはまるで矛盾する樹里の発言に、圭がおもいきり素っ頓狂な声を上げた。
「おいおいおい……樹里、おまえ何言ってんだって」
「それはあたしが言いたいから! あんたたちこそ何言ってんの!?」
「落ち着けよ、ふたりとも」
俺がたしなめると、ふたりはひとまず口を閉じてくれた。
「樹里、本当なのか? 美姫がおまえと同じ高校のやつと付き合ってたって」
「たぶん」
「たぶんって……」
「た、確かにあたしはあんたと違って美姫から直接聞いたわけじゃないから絶対にそうだとは言い切れないよ? でも何回か見かけてるんだ……美姫とその後輩クンが、仲よく手をつないで高校の近くを歩いてるところ」
手をつないで、か――。
ただ隣を歩いていただけならまだしも、手をつないでいたとなるとふたりが恋人同士である可能性はぐんと高まる。樹里がその後輩とやらを美姫の彼氏だと認識していたとしても何らおかしくはない。
「最後に見たのはいつ?」
「美姫が……美姫が殺される前日。あのふたり、いつもべったりくっついて歩いててさ。声をかけようにもちょっと割り込みづらい感じがあって、一度も話しかけたことなかったんだよね。でも、こんなことになるなら……少しでも話をしておけばよかった……!」
樹里の瞳から、再び涙があふれ出す。永遠の別れになってしまった以上、どれだけ後悔しても、失った時間を取り戻すことはできない。この辺りの学校じゃ珍しいベージュのブレザーに身を包む樹里は、ひくひくと肩を震わせて泣いた。
「前日ってんなら、樹里のいう後輩ってやつと付き合ってたことは確実っぽくね?」
「でも、百瀬と別れたって話は聞いてない」
「おまえに言わなかっただけかもしんねぇぞ? 男を取っ替え引っ替えしてるって思われるのは誰だってイヤだろうからな」
そうなのだろうか。俺の知らない間に、美姫と百瀬は別れていた?
「……あ、あのさぁ」
俺と圭が顔を険しい顔を突き合せていると、入りづらそうにしながら優作が話しかけてきた。
「なんだよ優作。まさかおまえまで樹里みたいなこと言うんじゃねぇだろうな?」
「いや……実はそのまさかで」
「はあぁ!?」
圭だけでなく、俺も樹里も目を見開いた。気づけば碧衣も冴香も集まって、俺たちは再び六人で一つの輪を形成していた。
「どういうことだよ!?」
「ちょうど一週間くらい前かな? 美姫と男の人が一緒にいるところを見かけてさ。うちの学校の近くに小さな公園があって、そこでふたり並んでベンチに座ってて……」
「仲よさそうにしてたってか?」
「キスしてた」
思いもよらない爆弾を落とされ、優作以外のメンバー全員がギョッとした表情を浮かべる。
「マジかよ」
圭が言った。「うん」と優作がうなずく。
「見ちゃいけないものを見た気がしてすぐにその場から逃げちゃったんだけど、あれで付き合ってないって言われても信用はできないね」
「だろうな。……で? おまえが見たそいつってのは一体どこの誰なんだ?」
「僕の先輩だよ」
「先輩?」
「いや、もう少し正確に言うと元・先輩かな。あの人、高等部に上がってすぐ学校を辞めちゃったから。二つ上で、名前はキノマエハヤトさんっていうんだけどね。中等部の頃、同じ弓道部に入ってたんだ」
優作が言い終えると、それまで優作を追及してきた圭がついに黙った。六人の空間が、再び静寂に包まれる。
――何が一体、どうなっている……?
美姫の彼氏は百瀬じゃないのか? うちの高校の誰もがみんな、美姫は百瀬と付き合っているものだと認識しているはずだ。もちろん俺だって例外ではないし、美姫と百瀬が一緒にいるところなんて数え切れないほど目にしてきた。
思い返せば美姫が殺される前々日、あのふたりは中庭で仲よく昼飯を食べていた。別れているのならそんなことはあり得ない。やっぱり、ふたりは恋人同士だったんだ。
だとしたら、樹里と優作の話はどうなる? 百瀬っていう彼氏がいるのに、美姫は他の男とも……?
「…………違うよ」
今にも消えてしまいそうな、しかしどこか祈るような声で、冴香がぽつりとつぶやいた。
「美姫ちゃんはそんな子じゃない。みんなだって、よくわかってるはずでしょ?」
全員の目に、同じ想いが宿った。
冴香の言うとおりだ。
美姫はそんなヤツじゃない。確かにあいつは順応性が高くて何でも要領よくこなす器量を持ち合わせていたけれど、それとこれとは話が別だ。
美姫という女の子は、こと恋愛に関して非常に高い理想を掲げていたのだから。
まず何よりも、優しい人でなければならない。ルックスに関しては目が二重で、自分より背が高くなければ絶対にイヤ。勉強はそこそこできればいいけれど、頭の回転の速い人がいい。食の好みが合わない人は論外。ポテトサラダが好物だとなおよし。などなど。
今列挙したのは氷山の一角に過ぎない。挙げ出したらキリがなく、その高すぎる理想のおかげで中学の頃は誰からの誘いも受けず、彼氏らしい彼氏を作ったことは一度もなかった。
ただし、それは美姫が転校してしまう前までの話。三年前のあの事件をきっかけに美姫の中で何かが変わってしまったのだとしたら、それは俺たちの知るところじゃない。
「何かの間違いだよ。美姫ちゃんに限って三股なんて……」
「間違いじゃないとしたら、何か深い事情があったってことかもしれないね」
冴香の隣で、優作は何やら考え込むような顔をして顎に手を添える。
「何なんだよ? その深い事情ってのは」
「それがわかったら苦労しないさ。君にだってわからないだろ? 圭。みんな一緒だよ。推測することはできても、美姫本人が死んでしまった以上、彼女が本当は何を考えて行動していたのかなんてことは絶対にわからないんだ」 「なんで三股かけてたのかはよくわかんないけどさぁ」
優作に倣い、樹里も難しい顔をして言った。
「殺された理由はあきらかにそれっぽくない?」
核心をつく一言に、俺たちは揃って息をのむ。
こう見えて樹里は医者の息子である優作に引けを取らない秀才だ。実際、樹里が通うのは県内の公立高校でも五本指に入る偏差値70超えの進学校で、校内自治のほとんど全権を生徒に委ねているため、生徒会規約により普段は私服で通学することが許されているらしい。校舎内も土足で入ることができるなんて、まるでアメリカのような学校だ。
「ドラマとかでもよくあるじゃん? 痴情のもつれってやつ。彼氏だった男のうちのひとりが、三股かけられてたことに気づいてキレちゃって、みたいな……」
「それこそただの推測だよ、樹里。根拠なんてどこにもない。それに美姫の場合、殺される理由は痴情のもつれ以外にもあるわけだし」
「――三年前の事件」
ほとんど無意識のうちに、俺は優作の言葉を継いでいた。美姫なら、殺されるだけの理由を作ってしまう可能性は大いにある。
「もしかしたら美姫は、ひとりであの事件の犯人を追ってたのかもしれない。美姫にとってあの事件は、誰よりも特別なもののはずだから」
「そっちの線だとすると、美姫は自力で三年前の事件の犯人にたどり着いて追い詰めたけれど、返り討ちにあって殺された……?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。おまえの言葉を借りれば、それだってただの推測だよ」
優作がフォローしてくれたけれど、何の確証も得ていない今の俺にはただ曖昧に返事をすることしかできなかった。
「どっちもあり得るな。樹里の話も、祥太朗の話も。美姫ならやりそうだもんな、そういう刑事っぽいこと」
圭がそう言うのももっともな話だ。
なんたって美姫は正真正銘、刑事の娘なのだから。
「……どっちも、かも」
そっと声を上げたのは冴香だ。一同の視線が彼女に集まる。
「もし美姫ちゃんが三年前の事件の犯人を捜していたなら、同時に三人の男の人と付き合ってたのって、それが理由なんじゃ……?」
「そうか」
優作が顔を上げた。
「美姫にはわかってたんだ……あの金髪の男の子と、樹里の後輩、それから隼人先輩。この三人のうちの誰かが、三年前の事件の犯人だってことが」
なるほどな、と俺はつぶやいた。
「同時に三人の男と付き合うような真似をしたのは、事件の真相を探るため。相手の懐に入り込んで、ボロを出す瞬間を狙ってたってわけか」
「そう考えれば一応の筋は通るよね」
冴香がきっかけをくれたおかげで、俺と優作の考えが同時にまとまった。ただし、これもまた推測の域を出ないことではあるのだが。
「…………やめてよ」
震える声で、碧衣が首を横に振った。
「もうやめて……聞きたくない……ッ!」
ギリギリまで短くしたライトグレーのスカートが一瞬ふわりと宙を舞う。嗚咽を漏らし、両手で顔を覆った碧衣は、力なくその場に崩れ落ちた。
「碧衣!」
「おい、大丈夫か!?」
樹里と圭が慌てて碧衣の両サイドにしゃがみ込む。俺、優作、そして冴香も、泣きじゃくる碧衣から目を逸らすことができなかった。
丸まり、震える碧衣の背中を見つめていると、言いようのない不安が込み上げてくる。
碧衣が泣き崩れてしまった理由は、心ない誰かに殺されてしまった美姫を思ってのことだけではないのではないか。
漠然とした感情ではあるのだが、俺にはそう思えてならなかった。
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