第一章 邂逅

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 垣内さんは、美姫が俺たちの住む東松町から引っ越すことになった三年前の事件を追っていた刑事のうちのひとりだった。  俺は当時、まだ所轄署勤めだった垣内さんから事情聴取を受けた。俺だけじゃない。圭、優作、樹里、碧衣、冴香……幼馴染みたちは全員だ。もちろん、俺たちの誰ひとりとしてあの事件に関わっている人間はいない。そうとわかっていてなお話を聞きに来る刑事たちに、あの頃の俺たちは誰もが嫌悪感を(いだ)いていた。  ただ、警察がなぜ俺たちに話を聞きに来たかという理由ははっきりしていた。  あの事件の犯人は子どもだという見立てが、当時の捜査でもっとも濃厚な線だったからだ。  そして、一番に疑われたのが美姫だった。どこからそんな話になったのか、そもそもなぜ犯人は子どもだという説に行き着いたのか、何も知らされていない俺にはさっぱりわからなかった。  あれ以来、俺は警察という組織を信じられなくなっていた。何せ、俺たちを散々疑った挙げ句、未だに犯人は逃走中。警察は無駄足を踏んだのだ。疑われる理由なんて、俺たちには何一つなかったのだから。犯人逮捕には初動捜査とかいうものが肝心らしいと聞いたけれど、当時の警察は完全に進むべき道を見誤っていたわけだ。  それから三年が過ぎ去って。  一週間前、美姫が死んだ。  事件発覚の翌日、垣内さんは昔とちっとも変わらない作り笑顔を貼りつけて俺の前に再び現れ、三年前と同じように俺から根掘り葉掘り聞き出そうとさまざまな話を振ってきた。そして今も、「出逢ったからにはこちらの質問に答えてもらうよ」とその目がありありと語っている。 「大丈夫だというなら、一つだけ教えてくれないかな」  そらきた。本当にこの人は容赦という言葉を知らない。 「何ですか」  あからさまに嫌な顔をしてやったけれど、垣内さんはどこ吹く風で質問を繰り出してきた。 「百瀬龍輝の行方を知っているかい?」  え、と俺はうっかり驚きの声を上げてしまった。この質問は完全に想定外だった。てっきり自分の話か美姫のことをしゃべらなくちゃならないかと思って身構えていたというのに、まさか百瀬の行方について尋ねてくるとは。 「知るわけないでしょう。あいつとは口をきいたことすらないのに」 「しばらく学校に来ていないんだってね。今日も?」 「……と、思いますけど」 「君が最後に彼を見たのはいつ?」 「美姫の通夜で。みんなそうだって言ってます」 「通夜の時、彼はどんな様子だった?」 「どんなって……」  そんなことを言われても、別段変わったところはなかったように思う。しいて言うなら、少し怒っているように見えたくらいか。  しかし、仮にも美姫の彼氏だった男だ。愛する恋人を殺されて、怒りの感情が芽ばえないわけがない。そういう意味では、あの日の百瀬の様子は至って普通だったと言えるだろう。 「……普通、でしたよ」 「普通? 普通とは?」 「普通は普通です。いつもどおりの百瀬龍輝って感じでした。……ていうか、垣内さんも来てましたよね? 美姫の通夜。百瀬には会わなかったんですか?」 「もちろん会ったさ。けど、僕の目に映る彼と君の目に映る彼の姿は違うだろう? 僕は君から見た百瀬龍輝の様子がどんな風だったのかを知りたかったんだよ」 「それを知ってどうなるっていうんです? 警察は百瀬が犯人だと考えてるってことですか?」 「池月くん」  俺の名を口にした垣内さんが、ピリッとした空気を連れてくる。 「僕らはもう、同じ過ちを繰り返したくないんだよ」  すぅっと目を細め、垣内さんは絞り出すような声で言った。  怒り、苦しみ、悔しさ……あらゆる負の感情がないまぜになって、彼の目の色がどんどん濁っていくのがわかる。 「この事件でも(つまず)いてしまったら、事件に関わったすべての人は誰ひとり救われないままになってしまう。いつまで経っても報われない思いを抱えて生きていかなきゃならないのは、僕ら刑事も同じなんだ」  ほの暗い影をその顔に落とし、垣内さんは自らの胸の内を静かに語った。  つい、ため息が漏れ出てしまう。  言いたいことはわかる。俺たちが美姫を失ったように、垣内さんにも失ったものがある。  この三年の間、彼は彼なりにあの事件を追ってきたことだって知っているし、彼があの事件に対して並々ならぬ想いを抱えていることもわかっている。刑事ならばきっと、あの事件ほど解決したいものはないだろう。  でも、だからどうだって言うんだ?  最大限の協力はしているつもりだし、俺にできることなんてそれ以外には何もないのが現実だ。言い訳なんて聞きたくない。一刻も早く犯人を捕まえてほしい……ただそれだけなのに。 「君が怒るのも無理はない」  俺の顔が曇ったからか、垣内さんは肩を落として言う。 「君たちが僕ら警察に不信感を抱くのは当たり前のことだと僕らも理解しているよ。もともと人に好かれる職業じゃないしね。だけど、僕らだって何も手を抜いているわけじゃない。今回は特に慎重に動いているんだ……三年前の事件が絡んでいる可能性があるからね」  最後の言葉に、まさか、と俺は一歩垣内さんに詰め寄った。 「やっぱり警察も三年前の事件との関連を疑ってるんですね?」  垣内さんは一瞬「しまった」という顔をした。感情が高ぶっていたのか、うっかり口を滑らせて捜査情報をいち高校生に漏らすなど、刑事としてあるまじき行為なのだろう。 「ごめん、今のは忘れ……」 「優作も同じことを言っていました」  俺は垣内さんの言葉を遮って言う。犯人捜しをするつもりは毛頭ないけれど、ここで話を終わらせてしまうのは惜しい気がした。 「美姫は三年前の事件をひとりで追っていたんじゃないかって。それであいつは自力で犯人にたどり着いて追い詰めたけど、返り討ちに遭って……」  へぇ、と垣内さんは心底驚いたような声を上げた。 「優作っていうと、お父様がお医者様だっていう?」 「そうです」 「なるほど、さすがはいい推理をするね」 「警察も同じ見解なんですか?」 「それは言えない」  ずるい。こちらから吸い上げるだけ吸い上げて、自分たちの手のうちは明かせないってか。 「不満そうだね? 犯人捜しでもするつもりかい?」  俺より十センチほど高い背をわずかに屈め、垣内さんは意味ありげに俺を覗き見てくる。ちょっとした仕草がいちいち男前なところが鼻について、苛立ちが募るばかりだった。 「しませんよ。でも、捜査の進展具合が気になるのは当然のことでしょう?」 「まぁ、それもそうか」  ふっ、と一瞬笑みをこぼしたけれど、次の瞬間にはキリッと頬を引き締めた顔で垣内さんは一歩距離を詰めてくる。 「いいかい? 池月くん。これは殺人事件の捜査なんだ。どこにどんな危険が潜んでいるかわからない。君たちはただの高校生だ。犯人は必ず僕らが捕まえる。だから……」 「わかってますよ」  本当は「だから」の後にどんな言葉が続くのかなんてわかっていないし、わかろうとも思わない。俺たちにできるのは、いまいち信用できない警察を無理にでも信じて待つことだけだ。 「じゃあ、俺はこれで」  恨み言の一つでも言ってやろうかと思ったけれど、俺は軽く頭を下げて垣内さんの横を通り過ぎ、駅へと続く坂を下り始めた。できることなら、次に彼と顔を合わせるのは事件が解決した時であってほしい。  スタスタと早足で歩いたけれど、追いかけてくる気配がなかったので少し歩調を緩めた。今日何度目かのため息がこぼれ出て、全身から力が抜けていくのを感じた。  だが、気を緩められていられた時間はほんの一瞬だった。 「えっ」  坂の中腹には信号のない小さな交差点があり、東西方向にそれぞれ一方通行の細い路地が走っている。いつものように、ほとんど人通りのない路地には目もくれずまっすぐ通り過ぎるはずが、不意に誰かが俺の左手首を掴んできた。そのまま強い力で引っ張られ、気がつけば俺はバランスを崩しながら路地を東に入っていた。 「()って……!」  あやうく転びそうになったところをどうにか体勢を保った結果、掴まれた左手首を変な方向へ捻ってしまった。突然の出来事に覚えた恐怖と痛みに思わず声を上げ、何事かと握られた手の先を見る。そして俺は、目の前に立つその人物に息をのんだ。  大きめの黒いパーカーを羽織り、フードを深くかぶった姿で俺の前に現れたのは、渦中の同級生・百瀬龍輝だった。
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