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第三章 融和
1.
垣内さんに送り届けてもらって家にたどり着いた頃には、午後六時を回っていた。きちんと頭を下げて彼の車を見送り、家に入ろうと門に手をかけたその時。
「よぉ、祥太朗!」
すっかり夜の帳が下りる中、自転車に乗って颯爽と現れたのは、幼馴染みのひとり・高川圭だった。
「珍しいな、圭。早いじゃん」
圭の所属する県立大春高校ラグビー部は全国高校ラグビー大会――通称『花園』への出場を何度も経験している県内屈指の強豪チームだ。毎日遅くまで練習し、家に帰る頃にはいつも八時を回ると聞いていたが、まだ六時過ぎだというのにもうこんなところにいるなんて。
「おう、明日からテスト週間だからよ。赤点取ったら試合に出させてもらえねぇんだ」
「あぁ、なるほど」
圭の通う高校は三学期制。俺たちの通う二学期制の高校と違い、十月末に二学期中間考査、十一月末に期末考査がある。ちなみに俺たち二学期制の学校では十二月の頭に後期中間考査が待っている。三学期制の学校と比べて一度のテストで出題される範囲が広く、中学では三学期制だった俺は入学してから慣れるまでにかなり苦労した。次のテストのことを考えるだけで今から頭が痛い。
「ってかさ」
圭が言った。
「今の車……あれ、あん時の刑事だろ?」
「あぁ、うん。そう、垣内さん」
「なんでおまえが刑事なんかと一緒にいるんだ? まさかおまえ、美姫の事件で疑われてたりしねぇよな?」
「いや、そういうわけじゃないよ。……たまたま、っていうか」
「たまたま? たまたまで刑事の車に乗るかよ、普通」
だよな、と俺は心の中だけで同意した。どう考えたって不自然だ。
「あー、えっと…………まぁ、その……いろいろあって」
案の定口ごもる俺に、圭は大きくため息をついた。
「相変わらずはっきりしねぇなぁ、おまえは。誤魔化すならせめてもうちょっとうまくやれっての」
どっかの誰かと同じようなセリフを吐かれ、俺は肩を落としてうつむくことしかできなかった。
「大丈夫か?」
自転車を降りて路肩に寄せて停め、圭は俺のもとへと歩み寄ってきた。頭一つ分は優にデカい圭をそっと見上げる。
「心配してたんだぞ? おまえのことだから、すげー落ち込んでんじゃねぇかって。ほら、おまえって嫌なことがあるとすぐふらっとどっか行っちまうだろ? 昔、美姫とケンカした時だってさ」
「あぁ……」
あの時のことはよく覚えている。俺の家で好きな漫画の取り合いになって大ゲンカした、小学生の時の話だ。
譲り合って交代で読めばよかったものを、なぜか俺も美姫もムキになって、怒り狂ってどうしようもなくなった俺は美姫を自分の部屋に残したままひとり家を飛び出した。
昔から俺は、自分の感情をうまく人に伝えることが苦手だった。
たとえばあの日みたいに怒りが込み上げてくると、要点の定まらないままただただ感情的になるばかりで言っていることが支離滅裂になってしまう。どうして怒っているのか、何が気に入らないのか……そう問われてもうまく答えられず、最後には自分でも何が言いたいのかわからなくなって口をつぐむ。結局本当の気持ちは少しも伝わらないまま、いつの間にか事態が収束していることも少なくなかった。
原因はわかっている。俺が重度の怖がりだからだ。
相手に自分の気持ちをぶつけて、否定されるのが怖い。悲しませてしまうことが怖い。困らせてしまうことも、呆れられるのも。
言葉にする前に、つい考えてしまう。
口にしたその後で、相手はどんな顔をするだろうか、とか。今から俺が話すことを、相手は知らないほうがいいのではないか、とか。言葉足らずになってしまって、結局は何も伝わらないのではないか、とか。
口下手、という言葉がある。俺はきっと、そういう人間だ。
大事な時に、うまく言葉が出てこない。上手な嘘で誤魔化すこともできない。そうして口ごもっているうちに、はっきりしろといつも相手を怒らせてしまう。口にしてもしなくても、結局俺はコミュニケーションに失敗する。救いようのないダメ人間。それが俺だ。
たとえば、誰かを好きになって。
あふれる気持ちを伝えたくなったとしても。
それでも俺は、想いを伝えることなどできないだろう。
俺の想いはいつだって、はらはらと指の隙間をすり抜けては消えていく。
誰にも伝わることのないまま、灯っては消え、灯っては消えを繰り返すだけ。
部屋を飛び出し、あてもなく走り続けて、気がついたらまったく知らない土地にいた。 すっかり迷子になった俺は、美姫に対する怒りと、怖さと、悔しさとで、しばらくその場にしゃがみ込んで泣き続けた。
結局しゃがみ込んでいた場所の近所に住む人に保護されて、日が暮れてからようやく家に帰ることができた俺は、美姫から事情を聞いていた母親にこっぴどく叱られ、美姫からは泣きながら謝られた。俺たち七人の間では有名なエピソードだ。
ふっ、と俺は笑みをこぼす。
「似たようなことならもうやった」
「マジで?」
「うん、学校でね。無意識のうちにふらふら歩き回ってて、気づいたら音楽科の校舎の前にいた。そしたらちょうど冴香に会ってさ。心配されたよ、今のおまえみたいに」
だろうな、と圭は苦笑いした。圭といい中井といい冴香といい、俺の周りは誰も彼もがすごく優しい。いつだってその優しさに甘えるばかりで、俺自身はみんなのために優しくできた試しがない。どこまで行ってもダメなヤツだ、俺は。
「冴香はどうだ? もう落ち着いてるか?」
自己嫌悪に陥る俺をよそに、圭は冴香の話を振ってきた。気を取り直し、何事もなかったような顔で答える。
「うーん、どうだろ。あんまり眠れてないみたいで、早く犯人が捕まればいいって言ってた。怖がってる感じというか」
「怖がってる?」
「ほら、うちの高校の百瀬ってやつ。通夜で会ったろ?」
「あぁ、美姫の彼氏だっていう金髪のか」
「うん。あいつが犯人じゃないかって噂が学校中に広がっててさ。それで」
「なるほどな。確かにそんなやつが同じ学校にいたんじゃビビるのも仕方ねぇか」
本当はこんなことを言いたくなかったけれど、変に百瀬の肩を持つような発言をすれば俺が疑われてしまう。百瀬と裏でつながっていることは誰にも知られてはならない。
「……大丈夫かな、みんな」
自分の発言にドキドキしている俺とは対照的に、圭は神妙な面持ちでつぶやいた。
「大丈夫って?」
「いや、樹里は結構図太いとこあるから放っといても大丈夫だと思うけどよ。優作とか碧衣なんかはさ……やっぱりヘコんでんじゃねぇかなって」
すぅっと、夜風が俺たちの間をすり抜ける。この時期になると夜はしっかりと冷え込むようになって、ただこうして立ち話をしているだけではどんどん体が冷えていくばかりだ。
けれど、圭がみんなを想う気持ちはどこまでも熱く、外気の冷たさを忘れてしまうくらいに俺の心をじんわりと温めてくれる。圭は昔からそうだ。人柄のよさから学校の友達ももちろん多かったけれど、圭は俺たち七人で集まって遊ぶことが何よりも、誰よりも好きだった。公園に来ないやつの家までわざわざ誘いに行ったりして、誰かがひとりぼっちにならないよう一生懸命気を遣うような男なのだ。関わり合いの薄くなってしまった今だって、誰よりもみんなのことを気にかけている。
そんな圭自身もきっと、ひどく傷ついているのだろう。
いつもの七人が、六人になってしまった。
圭にとっては、何よりも悲しい出来事のはずだから。
「……そういえば」
今の圭の話を聞いて、一つ思い出したことがある。数十分前の話だ。
「なぁ、圭」
「ん?」
「おまえさ、ここ最近碧衣に会った? 通夜以外で」
「碧衣?」
いや、と圭は腕を組んで考えるように視線を斜め上に流す。
「通夜で会ったのがかなり久しぶりだったような…………あ、違うな」
「え?」
「ちょっと前……夏休み明けかな? 碧衣んちのアパートの前で一回だけ会ってる」
「マジで?」
俺は少し前のめりになった。碧衣の住むアパートは俺と圭の自宅のちょうど中間地点にあり、圭は通学の際、いつも碧衣の家と俺の家の前を自転車で通る。
「おう。ちょうど部活帰りで夜の八時ちょい前くらいだったと思う」
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