物語が生える森

1/1
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ

物語が生える森

 空を見上げると、黒い雪が降っていた。  この森は、いつでも半袖で過ごせるぐらいに暖かい場所だ。  雪が降るような地域ではない。  僕がこの場所に来てから、そんなに日にちは経っていないが、あんな色の雪を見たのは初めてだった。  少し離れたところで、大きな樹木の剪定作業をしていた、青猫師匠に声をかける。 「青猫師匠、あの雪はなんですか」  返事がない。青猫師匠は、作業に没頭していると、声が聞こえにくくなるらしい。  その気持ちは僕にもわかる。新しい本を読んでいる時は、夢中になっていると、僕だって外の音が聞こえていない時がある。  僕は青猫師匠のそばまで行って、耳元で大きな声を出して、もう一度質問した。 「青猫師匠、あの雪はなんですか」  作業を止めた青猫師匠は、空を見上げた。少し目を細める。険しい表情を見せた。 「……死を知らせる雪だ」 「死を知らせる雪?」  物騒な言葉に、胸がドキリとする。 「この森はもうダメなようだな」  そう言った青猫師匠は、道具を片付けると、小屋がある方へと歩き出した。 「ダメってどういう」 「おい小僧、急がないと崩壊に巻き込まれちまうぞ」  僕は慌てて荷物をまとめると、青猫師匠の後を追った。  壊れ始めた森を駆け抜けていく。 「なにが起こってるんですか」 「この森の持ち主が亡くなったんだ。物語を愛してくれるとても良い人だったのに。実に残念だ」  森を抜けて振り返ると、黒い雪が降り積もった森が、どんどん消滅していくのが見えた。  青猫師匠は森を守る管理人だ。  物語が生える森を見回って、樹木を治すことを主な仕事としている。  森で迷子になっていた僕は、青猫師匠に拾われて、しばらく小屋に厄介になっていた。  青猫師匠は僕と違って、人間ではない。毛深くてフサフサしていて、体も小さい。青猫と呼ばれるグレーな毛色をした猫族だ。  あんな体でよく、あの広大な森の手入れをできるなと、とても感心している。  僕は宿に泊めてもらう代わりに、少しだけ仕事を手伝っているだけだ。僕が来るまでは、一人で、いや一匹でこの作業をしていたと思うと、尊敬しかない。  小屋に戻って、一息つく。久しぶりに全力疾走した気がする。すっかり汗だくだった。  まだ心臓がドキドキしていた。思いの外、動揺しているみたいだ。  今回のように、森が崩壊するのを見るのは初めてだった。 「あの森は、もう蘇らないんですか」  タオルを貸してくれた青猫師匠が答える。 「そうだな。人間が死んだら生き返らない。それと同じだ」  こことは違うどこかで、あの森の持ち主が死んだのだ。どうして死んだのかはわからない。病気か、事故か、寿命なのか。きっと今頃は、どこかの誰かが、その死を悲しんでいることだろう。  僕にはそんな人はいただろうか。ふと考えてみたが、思い出せない。  いつの間にか僕は旅人になっていた。そうなる前の記憶がない。この森に来たのだって、なんとなくさまよっていただけだ。  こんなに怪しい人間なのに、青猫師匠は何も聞かずに、小屋に泊めてくれた。体は小さくとも、器が大きい猫なのだろう。  窓の外を見ながら、青猫師匠はポツリと言う。 「今日は黒い雪だったが、持ち主が生きてるのに、森が枯れる時もあるんだ」 「生きてるのに森が枯れる? それはどうしてですか」 「本を読まないで、物語に触れていない期間が長くになると、物語の森は枯れてしまうんだ。そんな時は、赤い雪が降る」 「赤い雪……」  森の持ち主がどれだけ本を読むかで、樹木の大きさや成長の仕方が変わるらしい。  よく本を読む人の森は元気だが、あまり読まない人の森は、樹木が虫喰いになることが多い。  ほっておくと樹木から文字がこぼれ落ちる病気になってしまうので、虫を退治したり添え木をしたりしなければならないそうだ。 「最近増えてきたんだ。今時はいろんな娯楽があるからね。わざわざ本を読む人が減ったんだろうな」  青猫師匠が住んでいる小屋の壁には、本棚がいくつも並んでいる。それでも入りきらなかった本が、床や階段にたくさん積み上げられていた。  本に目をやった青猫師匠は、寂しそうな表情をしていた。 「僕は好きですよ。青猫師匠が作った本を読むのが」  ベッドで眠りにつくまでの間、青猫師匠が作った本を読むのは、至福の時間だった。そのせいで予定より長居をしてしまっている。  青猫師匠は苦笑いをした。 「小僧と違って、みんな忙しいんだ。仕事や勉強が大変で疲れてるんだろうよ」  僕はなんだか申し訳なくなって、頭をかいた。 「どうせ僕は、暇を持て余している、ただの旅人ですから」 「卑屈になる必要はなかろう。物語を楽しむなんてのは、平和だからできるこった。ワシが若い頃は、いつだって男は、戦いに駆り出されていたもんだ」  青猫師匠の右足は義足だった。昔の戦争で地雷を踏んだ時に死にかけたそうだ。 「たっぷり本を読む時間がある人間ってのは、それだけで恵まれてる。ワシはここで仕事をするようになって、やっといろんな本が読めるようになった。物語が生える森のおかげだ」  森でよく育った樹木は、黄金に光る果実をつけることがあった。その果実を絞って、青猫師匠は本を作り出していた。 「小僧も読める時に読んでおいたほうがいい。いつ本が焼かれるかわからないからな」 「本を焼くなんて、そんな酷いこと」 「あったんだよ、昔はな。あちこちで本が焼かれた時は、このあたりの森は、ほとんど消えちまったぐらいだ。世界中でたくさん人が死んでいた。毎日のように、黒い雪や赤い雪が降っていた。酷い時代だったよ」  当時を思い出しているのか、青猫師匠は遠くを見つめている。 「小僧には関係ない、遠い昔の話だがな」  青猫師匠は笑みを浮かべると、僕の肩の上に飛び乗って、肉球のついたフサフサの前足で、僕の頭をガシガシ撫でた。子供扱いされてるみたいで、なんだかちょっと恥ずかしい。 「今日は立派な果実も手に入ったことだし、小僧のために新しい本でも作ろうかね」  ニャーとひと鳴きした青猫師匠は、大きくジャンプした。  森から持ち帰ってきた、リンゴのような輝く果実を手にすると、作業台に向かった。  黄金の果実をすりおろし、液体にしてから布で絞ると、果実の中に凝縮されていた文字を搾り出すことができるのだ。 「あの森の持ち主が、最後に残した果実だ。大事に文字をこぼさんようにしないとな」  青猫師匠は絞り出した文字を、前足で器用につまみ上げると、丁寧に羊皮紙の上に並べ出した。  ふわふわと浮いていた文字が、徐々に本来あるべき場所を見つけると、羊皮紙の中に染み込んでいく。みるみるうちに物語となっていった。 「どうして文字の場所がわかるんですか」 「なんとなくだよ。文字の行きたがってる場所が、磁石みたいに吸い寄せられるんだ。小僧もやってみるか」  青猫師匠の横に並んで、見よう見まねで文字をつまんで並べてみる。青猫師匠の言うように文字が引っ張られるような感覚があった。  それでもなかなか文字が、ぴったりと収まる場所が見つからない。  もたもたしているうちに、残っていた文字が我先にと羊皮紙に集まっていく。文字と文字が絡まって喧嘩をしているみたいだ。 「小僧が並べるのを待ってられんようだな」  しょうがないなという風に、青猫師匠は微笑むと、絡まった文字を解きほぐしながら、文字をどんどん羊皮紙に染み込ませていく。  あっという間に一冊の本になった。何度見てもすごい。青猫師匠が魔術師に見える瞬間だ。 「ほら、今夜からこの本を読めばいい」 「ありがとうございます」  青猫師匠から本を受け取って、パラパラと中身を確認する。なかなか面白そうな本だ。寝る前に読むのが楽しみで仕方がない。 「そろそろ日も落ちる。晩飯の支度をせんとな」  青猫師匠と一緒に台所に行こうとした時、窓の外に雪が降っていることに気が付いた。  何の色もついていない。普通の雪だ。  黒い雪が降って崩壊した森のあたりに、白い雪が降っていた。 「新しい森が生まれたみたいだな」  青猫師匠が嬉しそうに雪を眺めている。 「残念だが、どうやら小僧は、その本を読んでいる時間がないかもしれんな。また来る時までお預けだ」 「時間がないって、どういうことですか」 「すぐにわかるさ。ワシについてきなさい」  白い雪が降っている場所に向かうと、地面から小さな芽が出ていた。  青猫師匠は傘を置いて、即席の雪よけを作っている。 「まだ生まれたばかりの森だが、この森の持ち主は、きっと物語を好きになってくれるだろうな」 「どうしてわかるんですか」 「この子のお父さんとお母さんは、とても立派な森を持ってる人たちだからだよ」  青猫師匠が、大きな森がある方向を指差した。  僕は思わず夕日が眩しくて手をかざす。  手の向こう側の風景が透けて見えた。僕の体がだんだん透き通っているようだ。 「青猫師匠、僕の体がなんか変です」 「大丈夫だ。あっちの世界から、お呼びがかかっただけだ」 「あっちの世界?」 「小僧が立派な森を作ってくれるのを、楽しみにしてるからな」  青猫師匠が手を振っている。嬉しそうに。でも少しだけ寂しそうに。 「今度は寄り道するんじゃねぇぞ。ちゃんと行くべきところへ行って、自分のするべきことをするんだぞ。世界を楽しんでこいよ」  体が消えると同時に、僕の意識は遠くなっていった。  気がつくと僕は、水が流れるような、懐かしくて安心する音に包まれていた。  真っ暗だけど、暖かい。  誰かの声が、かすかに聞こえる。 「昔むかし、あるところに」 「あなた、お腹にいる時から読み聞かせって。気が早いんだから」 「いいんだよ。僕が待ちきれないだけなんだから」 「今からそんなに張り切ってたら、この子が生まれてくる前に、物語が嫌いになったらどうするの」 「大丈夫。僕たちの子供なんだから。物語を嫌いになったりしないよ」 「それもそうだね」  優しそうな男女の声と、嬉しそうな笑い声がずっと聞こえていた。  それはとても幸せで、安らぎに包まれた世界だった。  その数ヶ月後、僕が生まれたのは、真っ白な雪が降った日だった。  だから僕は真白(ましろ)と名付けられた。やたらと色白だったせいもあるらしい。  予定より早く生まれたせいで、少し体が弱くて、両親は心配したみたいだ。  しばらくは何度か入院も繰り返したけれど、僕が退屈しないように、両親は、いろんな物語を僕に読み聞かせをしてくれた。  なんとか学校に行けるぐらいまで回復して、やがて文字を習ってからは、僕は自分ひとりでも本を読めるようになっていった。 「昔むかし、あるところに」 「勇者は旅立ちました」 「君にこの謎が解けるだろうか」  どんな本でも読んだ。童話やファンタジー、SFやミステリーなんかも、ジャンルを問わず、たくさんの物語を浴びるように読み続けていた。  いくら読んでも、僕は本を嫌いになることはなかった。どんな物語も、楽しくて、面白くて、悲しくて、感動的で、大好きだった。  夢中で本を読み続けていたら、両親は少し呆れつつも、嬉しそうに笑っていた。 「この子、もしかしたら私たちより本の虫になるかもね」  お腹の中にいた時から、僕は物語を聞いていたのだ。  好きになるに決まってるじゃないか。 「僕が小さい頃は、さすがにこんなに読まなかった気がするし。英才教育の賜物かな。もしかしたら未来の大作家さんを作り出してしまったのかもしれんな」 「ただの親バカっていうのよ、そういうの」  物語を作る仕事があるというのを知ったのは、その時だった。  青猫師匠みたいに、黄金の果実を絞って、羊皮紙に文字を貼り付ける、魔法のような作り方ではないと聞いて、その時はとても驚いた。どうもこちらの世界では、自分で文章を考え出さないといけないようだ。  できる人はできるし、できない人はできないらしい。少し変わったお仕事だと知った。  いつか僕も、物語を作れるようになれたらいいのに。そんなことを夢見るようにもなっていった。  まだ恥ずかしくて、誰にも見せていないけれど、最近は少しずつとはいえ、自分の物語を作り始めていた。いつの日か、完成させる時を夢見て、僕は今日もまた、物語を綴っている。  大きくなるにつれて、青猫師匠と過ごした日々の記憶は曖昧になっていく。でも、物語が生える森に降る、白い雪のことだけは憶えていた。  雪が降るたびに思い出す。  僕の森は綺麗に育っているのだろうか。虫喰いにあったりしていないだろうか。  青猫師匠は、僕の森を気に入ってくれているだろうか。青猫師匠が、僕の森から生えた物語を楽しんでくれているといいな。  そう思いながら本屋から出てきた僕は、空から降る白い雪を見つめていた。(了)
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!