第1章 4話

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第1章 4話

 12月。街は賑わい始める。特に自分に何かある訳ではないが、加波子はその雰囲気が嫌いではなかった。街中が忙しそうで楽しそう。それを微笑ましく見てきた。  加波子の住むアパートは小さな商店街に面していて、特にその賑わいを感じてきた。毎年、ひとりで。  その後といえば、変わったことは何もなかった。ラインの通知が来る度に期待をするが、亮ではない。ずっと来ないかもしれないラインを、加波子は待っていた。  ある日の仕事帰り、アパートの目の前で工場の社長に会う。 「おー、いつかのお嬢ちゃん!」 「社長さん…、先日はお邪魔しました。」  加波子は深々と挨拶をする。 「何やってんだ、こんな所で?」 「あ、私このビルの三階に住んでるんです。」  加波子の住むアパートは四階建てのビル。築二十年の小さなビルだ。その三階に加波子は住み、一階は整骨院になっている。社長はその整骨院の帰りだった。 「おーそーだったのか!俺はここにたまに来るんだよ!奇遇だなぁ、お嬢ちゃん!おお、お嬢ちゃんといえばよ、どうなんだ?亮は。」 「え?」  加波子は意味がわからないまま社長は言う。 「あいつ風邪ひいたって、2日仕事に来てねぇんだよ。仕事は何とかなっても、あいつ自身はどうにもならねぇ。お嬢ちゃん、見てきてやってくれねぇか?」 「え??」  加波子は展開についていくのがやっとだった。 「でも、連絡先も知らないし、どこに住んでるかなんて…私あの…。」 「亮は工場のすぐ裏のアパートに住んでるよ。小さくておんぼろのアパートだからすぐわかるさ!あ、203ね!じゃあ頼んだぞ、お嬢ちゃん!」 「あ…。」  去っていく社長。加波子は状況を把握するまで少し時間がかかった。 「えっと、どうしよう…。」  加波子の足はドラッグストアに向かっていた。カゴに大量のスポーツ飲料とゼリー飲料、そして薬。どんな症状なのかわからず、とにかく急いでいたので総合薬を買った。そして亮の住むアパートへ向かう。後先など考えず。亮のことを想う。それ一心だった。  急いでいるのに荷物が重く、思うように進めない加波子。焦っていたが、社長の言う通り、アパートはすぐに見つけることができた。 「ほんとにあった…。」  関心する加波子。上がった息を整える。ゆっくりとアパートの階段を上る。 「203、203…。ここだ…。」  ドアの前。荷物を置き、一度深呼吸をする。そして加波子はノックする。少し大きめの声。  コンコン 「ヒラノさん?井川です。いらっしゃいますよね?」  応答はない。  コンコン 「ヒラノさん?聞こえてますか?」  その時だった。声がした。亮の声ではなく、咳の声。しかもひどく咳き込んでいる。加波子はドアに手を当て呼び続ける。 「ヒラノさん!ヒラノさん!」  加波子は気が引けたが、ドアノブに手をかけてみた。スルッとノブが回る。ドアに鍵が掛かっていなかった。亮は咳き込み続けている。加波子はドアノブを少しずつ引く。 「ヒラノさん…?入りますね…?」  咳き込みながらベッドから起き上がろうとする亮。加波子は急いでブーツを脱ぐ。大量の荷物をドサッと置き、亮のもとへ向かう。 「だめです!横になっててください!」  亮にとっては全く読めない状況。 「…お前なんでここに…。」 「さっき社長さんと偶然会ったんです。風邪で仕事休んでるから診てきてやってくれないかって。…でも今はそんなことどうでもいいんです。あ、じゃあ起き上がったついでに薬飲みましょう!咳がひどいみたいですね、咳止めの薬買ってくればよかった…。」  加波子はひとりぶつぶつ言いながら、大量の荷物をテーブルに置き、整理をする。 「大きいペットボトルより小さいほうが飲みやすいと思っていっぱい買ってきました。一本、枕元に置いておきますね。それから…。」  亮は大きく咳き込む。思わず加波子は近寄った。 「ヒラノさん…。」  その時、布団の上の亮の手に、加波子は触れてしまった。少し触れただけでもわかるくらい、亮の手は熱かった。 「…熱も…あったんですか?」  パシッ  小さく悲しい音。心配が膨らむ加波子の手を、亮は勢いよく払いのけた。屈辱的だった。ショックが大きく、熱のある亮とは逆、加波子の体は凍り付く。  ずっと咳き込んでいた亮が咳を我慢しながら言う。 「…お前、何しに来た…。」 「何しにって、お見舞いですよ。来てよかったです、そんなにつらそうで…。」 「帰れ。」 「え?」 「帰れよ。」 「でも…。」 「…うっとうしいんだよ…。」  亮は加波子に背を向け布団にうずくまる。『うっとうしい』その言葉が、その時その場の全てを物語っていた。 「そうですよね。うざいですよね。」  力の抜けた目で呟く加波子。本当は1秒でも早くその場と立ち去りたかったが、体が鉛のように重くなり動くことができなかった。  加波子は、ゼリー飲料と風邪薬をテーブルに並べて置いた。  気づかなかった部屋。脱いだそのままのダウンジャケット、投げ捨てられたかのように床にある財布とスマホと鍵。加波子は音を立てないよう、きれいにまとめて床に並べた。  そして乱暴に置かれたそれらとは違い、テーブルの隅ぴったりに置かれた紙があった。くしゃくしゃだが、ちゃんとそこに置いてある。見覚えのある紙。  それは加波子の手帳の1ページ。加波子の名前とラインのIDが書かれた紙だった。加波子はその紙の空いているスペースに、せめてもの想いを残した。   何かあったら言ってください   力になりたい    加波子  その紙を風邪薬の隣に置いた。加波子は振り返ることもなく、静かに部屋を出て階段を降りる。その音を聞き終えた亮は起き上がる。  亮の咳は止まらない。加波子が枕元に置いたペットボトルで、喉も心も潤した。そして亮は部屋の変化に気づく。加波子の気配りが見える。 「あいつ…。」  そして亮は、あのくしゃくしゃになった紙の位置が変わっていることにも気づいた。咳き込みながら、亮はその紙を手に取る。ストレートな愛の告白でもない、『力になりたい』、その言葉が亮の心を動かす。  どうしたら伝わるのか、どうしたら届くのか。どうしたら一緒にいられるのか。  悲しいすれ違いと亮を治した風邪薬。
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