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第1章 6話
やがてストーブの灯が大きくなり、少しずつだが部屋も暖まってきた。加波子はマグカップを片手に、もう片方の手をストーブに当てている。そして同じく言う。
「あったかーい。」
コーヒーをすぐに飲まない加波子。
「飲まないのか?コーヒー。うちに砂糖なんかないぞ。」
「ブラックだって飲めます!ただちょっと猫舌なだけです…。」
「やっぱり子供だな。」
少しだけ笑う亮。加波子は亮の笑顔を初めて見た。嬉しかった。亮の笑顔に見惚れた後、加波子はコーヒーを見つめる。温かいコーヒーとその笑顔、それだけで充分だと思った。
やさしい時間が灯っていく。
猫舌の加波子がコーヒーを飲み終えた。カップをテーブルに置き、礼を言う。
「ごちそうさまでした。暖まりました。」
そして加波子はまた元の位置に戻り、ストーブの前に座る。手をストーブに当てて暖をとる加波子。
亮はベッドから降り、加波子とは反対側のストーブの前に座る。ふたりはストーブの灯を見つめる。ストーブの背が高いため、お互いの顔は見えない。そして亮が話し始める。
「お前、俺が怖くないのか?」
なぜ亮がそんなことを聞くのか、疑問に思う加波子。決まっていたかのように答える。
「怖くないです。どうしてですか?」
「これを見てもか?」
亮はストーブの横から手を出す。左手だ。小指に三本目の線のある左手。加波子はそっと見た。三本目の線は確かにあった。第一関節と第二関節の間。限りなく黒に近い赤。太く濃い線。縫い目も見えた。色は同じ、線は鋭かった。加波子は目に焼き付ける。
「しまってください。」
やさしく加波子は言う。亮は手をゆっくり戻す。加波子もゆっくり話し出す。
「なんとなく、気づいてました。初めて公園で会った時、はっきりとは見えませんでしたけど。それに、まだほとんど会ったことないですけど、何かと右手右腕を使ってるような気がして、もし…もしそうなら、つじつまが合うかなって…。」
「お前、賢いんだな。」
「いえ…。」
そんな加波子も見せたくなったものが。
「見てください。」
加波子は左手首の腕時計を外し、袖を少しめくる。加波子もストーブの横から腕を出す。亮が目にしたのは手首にある傷、リストカットの痕だった。みみずばれが二本。加波子の手首が細いせいで、余計痛々しく見えた。
「しまえ。」
加波子はそっと自分の元へ腕を戻し、袖を下げた。
亮がどんな顔をしているのか加波子は知りたかった。でもストーブの背は高く、見ることはできない。しかし加波子自身も、自分が今どんな顔をしているのか自分でもわからず、亮に見られたくなかった。きっと悲しい、憂い顔。
結果、ストーブでお互い顔が見えないことは都合がよかったのかもしれない。
加波子はゆっくり亮に近づき、亮の左手を自分の両手で包む。切なく、でもやさしく。その手を見ながら加波子は言う。
「見られたくなければ、見せなきゃいいんです。」
亮を想いながらゆっくり加波子は言った。そして自分のとった大胆な行動に恥ずかしくなり、慌てて加波子は元の位置に戻る。
「悪かった。」
「何がですか?」
「うっとうしいなんて言って。」
加波子は反省し、申し訳なさそうに言う。
「仕方ないです。風邪でつらいのに、側で騒がれたら誰だってうっとうしく思います。」
加波子がそう言うと、亮は立ち上がる。少し離れた後、加波子の横に立つ。小さな白い紙袋を加波子の顔に近づける。加波子は袋を見た後、亮を見る。
「なんですか?これ。」
「プレゼント。」
「?何のですか?」
「誕生日、風邪の見舞い。それから、クリスマス。」
「あ!今日クリスマス・イヴだ…忘れてた…。…そういえば私ケーキ買ったのに、どうしたんだっけ…。」
「ケーキならいつでも食える。」
「でもすごく可愛いケーキだったんです。」
「それよりこれ、いらないのかよ。」
「いえ!…いただきます…。」
加波子はプレゼントを両手でそっと受け取る。少しの間眺め、思いつく。
「開けてもいいですか?」
ベッドの上に戻った亮が答える。
「どーぞ。」
テーブルに移動する加波子はどきどきしていた。白い紙袋に赤いリボン。眺めた後、ゆっくりリボンをほどく。袋を覗くと小さな箱が見えた。ゆっくり出したその箱も白く、赤いリボンで飾られている。少し眺めてリボンをほどき、そっとふたを開ける加波子。加波子の動きが止まる。
中身はネックレスだった。ゴールドの月と星がそこにあった。華奢で小さなネックレス。そっぽを向く亮がぶっきらぼうに言う。
「やたら沢山あったけど、それしか見えなかった。」
ネックレスから目を離せない加波子。
「それでもう、雨に降られない。」
加波子はパッと亮を見る。適当ではない、亮は加波子のためにちゃんと考え選んでくれた。それが加波子はとても嬉しかった。
そして加波子はまたネックレスに目線を戻す。色んな角度から見る。加波子の目は輝いていて、加波子が何も言わなくても亮には気持ちが伝わっていた。
「ありがとうございます。」
感情を抑える加波子の声は少し震えていた。
加波子はそのネックレスを箱から出し、首に付けようと手にした。しかし、なかなか付けられないでいる加波子。何かあったのかと思う亮。
「どうした?」
「手は暖まってるはずなのに、指が動かなくて…。」
苦戦する加波子。
「貸せ。」
ネックレスをゆっくり亮に渡し、付けやすいよう髪をまとめる加波子。動かないし、動けない。
「なんでこんなにちいせぇんだ。」
「ふふふっ。」
「動くな。」
「…はい…。」
加波子は緊張する。すぐ近くに亮がいる。
「できた。」
「…ありがとうございます。」
加波子はバッグの中から小さな手鏡を取り出し、その鏡にネックレスを映す。感動が膨れ上がる。いろんな角度から見る。見ては喜び、見ては喜び。そして手鏡を閉じ、目も閉じる。涙をこらえ、ネックレスに手を当て感謝する。
「本当に嬉しいです。大切にします。ありがとうござい…。」
振り向くとすぐ近くに亮がいた。ネックレスを付けてくれた時の態勢のままだった。距離が近い、顔が近い。加波子は焦る。そのまま加波子は礼を言う。
「ありがとう…ございました…。」
動けない加波子、動きたくない加波子。動揺を隠せない加波子に対し、亮はいつもの亮だ。そんな亮の目を見るだけで精一杯の加波子。亮も加波子を見ている。ふたりは見つめ合っていた。
そして亮はゆっくりやさしく加波子にキスをした。
「お前、震えてる。」
「それは…。」
亮は後ろから加波子を抱きしめる。
「まだ寒いんだろ。」
震えが増す。寒さでも怖さでもない、どきどきする胸の震え。亮は気づいていない。
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