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 ブラント老に代わってレナトが来るようになってから丁度一年くらいの頃である。  レナトはいつも朝食と昼食の間にやってくる。朝食を食べてから彼が屋敷に来るまでの時間がエルネストが最も自由に過ごせる時間で、この時間に庭の散策をすることがエルネストの最大の楽しみと言って良かった。いや、十に満たない少年にとってそれは散策と言うより冒険と言うべきだったかも知れない。何しろ庭は凄まじく広く、川が流れ、林があり、昆虫や小動物で溢れていたのだ。  が、広大な敷地とは言え、無限に広がっているわけではない。子供の足でも十五分も歩けば塀に突き当たる。敷地を囲む煉瓦塀は赤茶色で、三メートルほどの高さが有った。いつしかエルネストはこの塀の向こう側に行ってみたいと切望するようになっていたが、どう頑張っても子供が乗り越えられる高さではない。 (この塀の向こう側には、きっと素敵な事がいっぱい有るんだ)  何の根拠もなく、エルネストはそう信じた。  エルネストにとって最初で最後のチャンスが訪れたのは、睡眠を脅かすほどの豪風が吹き荒れた日の翌日であった。  朝食後にエルネストが庭に出た時には雨も風もすっかり止んで、雲一つない青空が広がっていた。  台風一過の青空の下、いつもの如く庭を探検していると、塀の近くの松の大木が倒れているのが見えた。  エルネストの小さな胸は大きく波打った。嵐で倒れた松の木が、塀に斜めにもたれ掛かっていたからである。 (行ける、塀の向こうに行ける!)  エルネストは斜めになった松の木を夢中で上り始めた。  途中で何度か足を滑らせ落ちそうになったが、五分ほどでなんとか登りきった。  塀の上に立ち、前方に視線を投げれば、息を呑むようなパノラマが広がっていた。左から伸びる山並みは鮮やかな新緑を纏い、右には青緑色に輝く湖面が見える。遥か遠方を望めば、上部を白く染めた山々が悠然とそびえ立っている。 (凄い、凄い! 世界はこんなに広いんだ!)  エルネストはしばし放心したように立ち尽くした。  が、我に戻り下を見て、事がそう容易ではないことを悟った。  塀の外側は内側より地面が低くなっていて、下まで4メートルほどの高さが有る。  4メートルと言えば大人でも躊躇する高さである。八歳のエルネストが恐怖を感じないわけがない。  少しでも降りやすい場所を探して、エルネストは塀の上を移動した。  塀の幅はエルネストの肩幅よりも狭く、少しでもバランスを崩せばあっというまに転落する。だが、恐怖よりももっと大きな希望がエルネストを動かしていた。
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