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雲の隙間から顔を出した月明かりの中、血にまみれたレナトを発見したが、すでに呼吸は完全に止まっている。
(レナト、悪いけどおまえを埋めてあげる時間はないんだ)
レナトの亡骸に手を合わせ、ほんの数秒祈りを捧げた後、エルネストは素早く馬車から離れた。
馬車道から外れ、森の中に駆け込む。
とにかく西に向かって進まなければならない。
晴れていれば星の位置から方角を割り出すことは出来るが、雨季の夜空はそれを許さない。
とりあえず馬車が進んできた方向と逆方向に走り出す。
森の中はほとんど漆黒の闇で、走り辛いことこの上ないが、のんびり歩いているわけにはいかない。
何度も躓き、時には派手に転びながら、それでもエルネストは全力で走り続けた。
空腹も喉の渇きも全身を襲う疲労も、今は忘れなければならない。
気が遠くなるほど長い時間走り続け、ようやく東の空が白み始めた頃、前方に小さな砦を発見した。
ガルシャのものか、それともサロメニアのものか。規模としては大きくないが、破損個所がほとんど無いところを見ると現役の砦であることは間違いない。
叢に身を潜めながら用心深く近づく。
東の稜線から少しずつ顔を見せ始めた朝日が、砦の中央付近に立つ見張り台を照らし出す。
見張り台に掲げられた旗に描かれているのは、青地に黄色の五連星。
(ガルシャだ、ガルシャに入ったんだ!)
全身の力が抜け、エルネストはその場に座り込んだ。
太陽は完全に上り、岩に、草木に、叢の虫たちに、朝の到来を告げる。
仰向けに寝転がり、手足を大の字に広げると、朝露を吸った湿風が顔の上を流れた。
(なんて素晴らしい朝なんだ……)
それは神秘的なまでに美しい朝であった。
西の空には巨大な雲が山のようにそびえている。その灰色の山塊を東から上った朝日が照らし、東の峰を黄金色に染める。黄金色に染まった雲の斜面を、一羽の大鷲が悠然と横切っていく。その力強く逞しい翼を見つめながら、エルネストはもう羨ましいとは思わなかった。
「オレは、自由だ……これから、俺の本当の生が始まるんだ」
エルネストは無意識のうちに笑みを浮かべていた。
この先どんな苦難に出会おうと、どんな修羅場が待っていようと、その時自分は持てる力を全て出し切って良いのだ。もう弱いふりをする必要もないし、愚かな子供を演じる必要もない。自分を偽ることなく全力勝負ができる。それだけで、ゾクゾクするほど心が躍動する。
これからとてつもなく楽しい未来が待っている。そう確信してエルネストは立ち上がった。
幻魔剣記エルネスト伝Ⅰ(亡国の翼)完
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