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 エルネストには一つ、誰も知らないクセが有った。  それは、大人になった後に考えれば十分な理由付けが出来るのだが、この日十歳の誕生日を迎えた彼には自分がなぜそうするのかがわかっていなかった。  心の中で自分のことを言う時の一人称はオレなのに、人前で喋る時はボクになる。  もしかしたら誰かにボクと言うように教えられたのかとも考えたが、父親にも、教育係の守役にも、そんなことを言われた記憶はない。  最初の教育官はブラントと言う白髪の老人であった。もう二十年も前に妻に先立たれ、今は孫娘の花嫁衣装を見るのだけが楽しみだと言う老人は、エルネストをひ孫のように慈しみ、毎日一冊ずつ絵本を読んでくれた。絵本の内容は様々であったが、悲しい場面でエルネストが涙ぐめば彼は穏やかな口調で慰めてくれたし、恐ろしい場面で怯えれば力強い言葉で勇気を与えてくれた。エルネストは彼が好きだったし、ずっと一緒に居て欲しいとも思ったが、教育官は一人の人間がいつまでも続けるものではないらしい。  七歳になり、エルネストが簡単な読み書きを覚えた頃、ブラント老に代わってレナトと言う名の若い武官がやってくるようになった。彼はブラント老のように優しい言葉をかけてはくれなかったが、エルネストは彼のことが嫌いではなかった。エルネストに話す時、彼はまっすぐにエルネストを見つめ、歯切れの良い短い言葉で意思を伝える。そこには嘘や隠し事の匂いが無い。  レナトは絵本を読んではくれなかったが、剣術と格闘術を教えてくれた。時に厳しく激しい訓練もやったが、彼は常にエルネストが怪我をしないように細心の注意を払ってくれていた。 (あの時も、レナトのおかげで怪我をしなくて済んだんだよな……)  エルネストは二年前の夏を思い出していた。
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