弐日目 苦しみの絆

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 ――痛ってぇ。なんで僕がこんな目に遭わなければいけないんだ。くそっ!  蒼生は負傷した体を支えるように廊下の手すりを掴みながらゆっくりと降りる。  葵がなぜ裏切ったのか。葵がなぜあんな行動を取ったのか。その確かな理由は僕にも分からない。しかし、予測ではあるが何となくその理由が分かるような気がするのだ。  この学校のカーストを手っ取り早く無くす方法。それは自らの手でそのカーストを破壊することだ。そのやり方はカースト制度をだるま落としと置き換えイメージすると分かりやすいだろう。下の段から崩していって、最後には全て崩れる。それと同じだ。  しかし葵には元々人一倍の良心があり、その良心が葵の道を塞いだ。つまり、良心が邪魔をしてだるま落としが出来ないのだ。  ――だから葵は良心を殺した。  堕ちて堕ちて堕ちて堕ちて堕ちて·····。全ての感情を殺してカースト制度を根絶しようと努力をした。  まずは自分の地位を高めるために下の奴らを蹴散らして上層部へと昇格し、上層部に昇格した後は上層部一軍である人達を一人一人潰していく。まさに下克上。学生時代という名の戦国時代だ。  葵のそのやり方は確かに間違ってはいない。  かの有名な戦国武将である織田信長は自分の思い描いた世の中を作るために足利家を京都から追放し、室町幕府を滅ぼした。  それと同じように下層部を蹴散らして上層部へと成り上がり、更には上層部までもを潰すというやり方でいけば、理論上はカースト制度を無くせるはずだ。  しかし葵は気づいてしまったのだ。カーストはどう足掻いても無くならないだと。  確かに、自分の周りからはカーストが無くなったかのように見えるかもしれない。なぜなら自分がその頂点に立っているからだ。  では、自分が蹴落とした者たちはどうなるのであろうか。はたして、自分が頂点に立つことでカースト制度が無くなるのであろうか。その答えはNoだ。  なぜなら、自分が恐怖で他人を押しのけてのし上がり、頂点に立つということはすなわちカースト制度に乗っ取ってみんなを押さえつけているのと同じだからだ。  そして、その現実を知った葵はどうすればいいのか分からなくなった。はたしてこのまま進んでいいのか、それともここから退くべきかと。だから僕にあのような質問を最初にふっかけてきたのだ。  まぁ、答えも聞かずにいきなり僕を殴ってきた理由はよく分からなかったが。  蒼生はゆっくりではあるが1段ずつ階段を降り終わり、やっとの思いで校門の前まで歩いた。  すると、校門の前で制服を着た1人の少女が待っているのが視界に入った。 「蒼生くん!大丈夫!?」  その少女――笠原琴音は蒼生の姿を見るや否やすぐさま駆け寄り、腕を自分の肩に通す。 「こ、琴音さん?なんでここにいるの?」 「え·····。そ、そんなことよりどうしたのさこの怪我!」  蒼生は怪我のことを指摘されてとっさに怪我した部分を隠すために左手をかざそうとする。が、その瞬間腹から肩にかけて激痛が走り、仕方がなく隠すのを断念する。 「あー、これ実は夢翔とサッカーをしてて、ちょっと転んじゃったんだよね。」  ――また嘘をついてしまった。  だが、人に蹴られた。ましてや親友であった葵に蹴られたと言ったら、きっと琴音さんに心配をかけてしまう。だからここは·····。 「――うそ。」 「――え、」  予想もしていなかったその言葉に蒼生は思わず固まる。 「蒼生くんは嘘ついてる。だってその怪我の量、どう見てもサッカーで転んだ怪我の量じゃないもん。」  その言葉を聞いて蒼生は自分の姿を再び見返す。よく見ると足だけではなく、腕や肘あたりも血が滲み出しており、は靴の足跡汚れ、蹴られた跡が所々に付着している。 「――俺ってこんなにひどい姿だったんだな。」  ここまできて自分の酷い姿にやっと気づき、それと同時にもう誤魔化しが効かないことにも気づく。 「ねぇ、なにがあったのか私に話してみて。私もあなたの助けになりたいの。」  琴音さんは優しすぎる。  なぜ自分がいじめられているのにも関わらず他人にここまで優しくできるのだろうか。普通ならば自分のことで精一杯なはずなのに。  ――なんで·····どうして·····  その時、地面に一滴の水が落ちた。  雨か。それとも汗が下垂れたのか·····。いいや、これはもう間違いない。 「蒼生くん。もう我慢しなくていいんだよ。もう、いいんだよ。」 「うっ·····うわぁぁぁぁぁあ!!」   蒼生は泣きながら地面に崩れ落ちる。それを覆うかのように琴音がしゃがんで蒼生の体を抱きしめる。  もう我慢しなくてもいい。  その言葉は僕が言うはずの言葉だったのに。  泣いている琴音さんを抱きしめる。  それは僕がしようと思っていた事だったのに。  泣きながら叫ぶ僕。それをうんうんと頷きながら頭を撫でる琴音さん。  男なのに、僕がするべきことだったのに、本当に本当にかっこ悪い。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 「ごめんね。あんなに泣き叫んじゃって。」  蒼生が並行して歩く琴音に向かって謝罪をする。  今思えばあれは本当に恥ずかしかった。まるで転んで泣きさげぶ子供とそれをなだめる母親のようだ。今までは僕が琴音さんを助けようとしていたのに、まさか琴音さんに救われるなんて。本当に恥ずかしい。 「ううん、いいんだよ。私も蒼生くんの言葉に救われたから·····。だからその、恩返しっていうか。」  ――恩返し。  そんな綺麗な言葉が世の中に存在するなんて思いもしなかった。  この世の中は残酷で非情で、自分のためならば人のことを簡単に裏切るような者が渦巻く、まさに地獄のような世界だ。  僕はその地獄を痛いほど見てきた。いじめられている人を救っても、救われた後は自分の地位をのしあげるために救った人を攻撃し始める。まさに恩を仇で返すというのはこのことだ。  しかし、そんな世界の片隅にはちゃんと恩返しという言葉が存在したのだ。もうこの世の中から失われたと思っていたものがこんな近くにあっただなんて。 「琴音さんは優しいね。お世辞でも嬉しいよ。ありがとう。」 「ううん、お世辞じゃないよ!私は本当に蒼生くんの言葉で救われたの。行動で救われたの。本当に、こちらこそありがとう。」  琴音はそう言うと蒼生の顔に向かって天使のような微笑みを向ける。  僕はもしかしたらその言葉を待っていたのかもしれない。僕はもしかしたらその時を待っていたのかもしれない。いつか報われると、いつか実を結ぶと信じていながら。 「――ねぇ、蒼生くん。急で悪いんだけど、実は1つお願いがあるんだ。」 「ん?どんなお願い?」 「あっ、あのー。唐突で悪いんだけど·····。えっと·····。わ、私と夏祭りに行ってくれませんか!!!」  突如頭を下げて言い放たれたその少女の言葉はとても衝撃的なものであった。  その夏祭りというのはここのすぐ近くにある神社とその周辺の商店街などが力を合わせて作り上げている祭りで、その祭りのフィニッシュには花火も打ち上がるという伝統的に行われている素晴らしい祭りだ。  そして驚くべきはそこから。なんと、そんな素晴らしい夏祭りにこの僕が誘われているというのだ。  ――これは夢なのではないのか?  そう思った蒼生は夢か現実かを確かめるために頬を引っ張る。  ちゃんと痛い。ちゃんとした現実だ。しかしその現実を知った瞬間、少し落胆をしてしまった自分もいた。なぜなら葵の件があったので、そのせいでもう夢でもいいと思っていた自分もいたからだ。この現実に素直に喜べなくてごめん、琴音さん。 「ダメ·····かな?」 「えっ!ぜ、全然いいよ!!行く行く!行きます!」  その言葉を聞いた琴音はよかったと言って胸を撫で下ろす。  異性を誘うというのは本当に緊張するし、苦労するよな。自分にもらめちゃくちゃその気持ちがわかる。 「じゃあ、明日の夕方頃に商店街前で集合ね。」 「えっ、明日!?夏祭りって明日だっけ?」 「そうだよー!なんで知らないのさ。あ、知らないからってもう約束したことは取り返せないからね!」  いや、明日あるということは別にいいんだ。ただ、少し心の準備ができる時間が無いことが問題だ。  兎にも角にも、過去の自分よ朗報だ!明日は好きな人と夏祭り。いや、これはもしや夏祭りデートになるのではないか?  あぁ!そんなことばかり考えていると胸がドキドキして、もうこの場所から逃げ出したくなる。 「――って乙女か僕はッ!」 「あ、一応私のメールアドレス渡しとくね。じゃあ、そろそろ時間だから早く帰らないと。また明日ね。」  蒼生はそう言われてメールアドレスを書いた紙を渡される。  夕焼けを背にした2人の背中。  蒼生と琴音の大切な一日が幕を閉じた。
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