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「文月さんも、今日はパンなんだね。いつもお弁当なのに」
「私も、ってことは、黒川君も?」
うん、と頷いた彼の横を見ると、私と同じビニール袋が置かれている。口は縛られているので、食べ終わったゴミが入っているのかもしれない。
(あれは何だろう?)
私はビニール袋の隣に置かれている冊子に気がつくと、小首を傾げた。本ではないようだ。
私の疑問に気付いたのか、
「昼飯を食べた後、台本を確認しようと思ってた」
黒川君は冊子を手に取ると、私に見えるように表紙を向けた。表紙には『青の小夜曲』とタイトルが書かれている。
「今度出る舞台の台本」
「台本って、どんな風なの?見てみたい!」
興味を引かれ、私が目をキラキラさせて言うと、
「いいよ」
大切な物だろうに、黒川君は意外とあっさりと貸してくれた。パラリと捲ると、役名とキャストの名前が連なっている。
「わっ、この女優さん知ってる!あっ、この俳優さんも!」
私が歓声を上げると、黒川君は頷いた。
「うん、有名な人」
「えっと、黒川君の名前は……あった!」
後ろの方に載っているのを見つけて、思わず嬉しくなる。こういう物を目にすると、黒川君が本当に芸能人だということを実感する。けれど黒川君は、
「俺は端役だよ」
と自嘲気味につぶやいた。
「端役でも、舞台に出ているだけですごいよ!」
私が前のめりにそう言うと、黒川君は驚いたように目を瞬いた。
「そう……かな?」
「そうだよ!」
勢いよく首を縦に振ると、黒川君の口元がふっと緩む。
(あ、笑った……)
今日は珍しい表情ばかり見せてくれる彼に嬉しくなり、調子に乗った私は、
「どんな役なの?難しい役?」
と、台本を返しながら、質問を重ねた。黒川君は、私がパンの袋を開けるのを見ながら、
「高校生の役」
と答える。
「じゃあ、等身大の役だね」
「でも、教師と秘密の恋をする」
「えええっ!?」
背徳的な響きを聞いて、私は目を丸くした。今の黒川君を見ていると、教師と秘密の恋をするだなんて、想像できない。
しかし、きっと役を演じている時の黒川君は、その役にのめり込んでイケメンモードにチェンジしているのだろう。
(それなら、想像できるかも)
と思いながら、少し胸がチクっとした。
(ん?)
そんな自分の気持ちに首を傾げたが、深くは考えずパンに齧りつく。
黒川君はパラパラと台本を捲りながら、
「その感情がよく分らなくて、困ってる」
ぽつりとつぶやいた。
「へえ、意外。だって黒川君って、いろんな女の子と付き合ったことがあるんでしょ?」
と問いかけると、彼はこくりと頷く。
「それなら……」
「大丈夫じゃないの?」と続けようとした私の言葉を遮って、
「でも、俺、誰かを好きになったことがないから」
黒川君は前を向いたまま、意外なことを言った。私は、
「えっ?」
と戸惑った声を出すと、
「じゃあ何で付き合ってたの?」
首を傾げながら聞いてみた。
「向こうが付き合って欲しいって言うから……」
「…………」
(呆れた)
香澄が黒川君のことを「来るもの拒まずでOKを出すけど、すぐにフラれる」と言っていた一因が分かった気がする。
私は黙ったまま、パンを手早く食べきると、ベンチから立ち上がった。
「そんなの不毛だよ。相手の子にも失礼じゃない」
「……失礼?」
「好きじゃないのに付き合うなんて、良くないよ」
「…………」
死んだ魚のような目に戻った黒川君は、きょとんとしたように私を見上げた。その眼差しにますますイライラが募り、私は踵を返した。
「じゃあね」
思わず出た冷たい声音に自分でも驚きながら渡り廊下へ戻り、小走りにその場を後にする。
(ああ、私、なんでこんなにイラついているんだろう)
旧校舎の廊下をズンズンと歩きながら、さっきの黒川君の言葉を思い出して、だんだんムカムカとして来る。
「黒川君、本当は最低野郎だったんだ」
肩を怒らせたまま大股で教室へ向かって歩く私を、すれ違う生徒が不思議な者でも見るような目で見ていた。
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