フォルトゥーナの前髪

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「ありがとうございましたー!」  最後の客を店の前で見送った後、私はメニューを貼っているイーゼルを店内にしまい、扉に架かった札を「CLOSE」に変えた。けれど、鍵は閉めない。  レジの側に立つと、今日の売上計算を始める。 「今日の予算は……っと」  予算表と売上金額を照らし合わせ、 「やったー!7日間連続予算達成ー!」 ひとりで歓声を上げた。  オープンから1週間、私のカフェは、なんとか順調な滑り出しを見せていた。  ひとりでケーキを焼き、調理をして、お客様に運び、会計をするのはなかなか大変だ。店が軌道に乗って来たら、アルバイトを雇うのもいいかもしれない。  そんなことを考えていると、ちりん、とドアベルが鳴った。振り返ると、ひとりの男性が微笑みを浮かべて立っている。艶のある黒髪、形のいい目、通った鼻筋、優美な輪郭。いわゆるイケメンだ。 「黒川君」  私は彼の名前を呼んだ。 「文月さん、こんばんは」  黒川君は店内に入ってくると、コートを脱いだ。それを受け取りながら、私は、彼から連絡を貰ってから気になっていたことを問いかけた。 「忙しかったんじゃないの?ケーキならいつでも持って行くから、無理に来なくてもよかったのに」  初めて主演を務めた映画が大ヒットし、一躍有名芸能人の仲間入りをした黒川君は、今や売れっ子の若手俳優だ。テレビで彼の姿を見ない日はない。  私の心配に、黒川君は首を振った。 「約束していただろ。君がカフェを開いたら、食べに行くって。本当は初日に来たかったんだ。だけど、どうしても抜けられない撮影があって……ごめん」  目を伏せた彼に、「ううん」と首を振る。 「約束、覚えていてくれたんだね。嬉しい」  笑い掛けると、黒川君は目を細めて私の顔を見つめた。長いまつげに彩られた綺麗な瞳でじっと見つめられると、思わず照れてしまう。 「と、とりあえず、座って」  私はコートをハンガーにかけるふりをして黒川君から視線を外すと、手近な席を指し示した。 「うん」  腰を下ろした彼に水とメニューを持って行く。 「何になさいますか?」  お客様に尋ねるように問いかけると、黒川君は軽くメニューに目を落としただけで、 「パウンドケーキ」 と言った。 「かしこまりました」  私はにっこりと笑うと、キッチンへと向かう。  時間を置きバターが程よく落ち着いた頃合いのりんごのパウンドケーキを皿に乗せると、バニラアイスとミントを添える。ケーキに合うようブレンドされたコーヒーと共に、黒川君のテーブルへと運んだ。
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