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騎士登場
「転校初日から、遅刻なんて、絶対に出来ない……!」
私、文月朱音は、駅の改札を出るなり、猛ダッシュで走り出した。
息を切らせて歩道を走る私を変な目で見る通行人を何人も追い越す。赤信号が変わるのを待つのももどかしく足踏みをして、青になった途端に、再び駆け出した。
もし私がパンを咥えているなら、「いっけなーい、遅刻遅刻」なんて言って道を曲がった途端に男子にぶつかり、恋に落ちるパターンかもしれないが、今は恋に落ちている暇なんてない。
そんなことを考えながら道を曲がった途端、目の前から自転車がやって来た。キキーッと音を立て、自転車は急ブレーキを踏んだが、
「きゃあっ!」
急に足を止めることが出来なかった私は、慌ててて避けたはずみに縁石に躓き、思い切り転んでしまった。
「いったぁ……」
思わず地面に突いた手を見ると、擦りむいて皮がめくれ、血が滲んでいる。
「もう、最悪……」
傷みで顔をしかめながら、一体どんな人とぶつかりかけたのだろうと、キッと睨みながら顔を上げると、
「レディ、大丈夫ですか?」
相手は自転車から降り、身をかがめ、私に向かってすっと手を差し出した。その瞬間、私は雷に打たれたような衝撃を受け、怒っていたことも忘れて、ぽかんと相手の顔を見上げてしまった。
(何この人、滅茶苦茶イケメンなんだけど!!!)
相手は同い年ぐらいの少年で、ギリシャ彫刻もかくやという程の整った顔立ちをしていた。丁寧にセットされた黒髪、形のいい二重の目、すっと通った鼻筋。そして、私と同じ学校の制服を着ている。
「申し訳ございません。私の不注意で怪我をさせてしまいましたね」
その男子は沈痛な面持ちで私を見下ろし、やけに丁寧な言葉づかいで謝罪した。
「あ、えっと……大丈夫です」
本当は掌が痛すぎて全然大丈夫ではないのだが、私は咄嗟にそう返事をしてしまった。
彼はまだ私に手を差し出している。どうやら掴まれという事らしい。怪我をした反対側の手でおずおずと彼の手を取ると、私は立ち上がった。
「ありがとうございます……」
転倒させられておいて、ありがとうも何もないのだが、惚けている私は素直にお礼を述べた。
「ああ、ケガをさせてしまいましたね」
男子は私のケガに気づくと、そっとその手を取り、付いていた砂を優しく払った。そして、自転車のカゴの中のバッグを開けると、ミネラルウォーターを取り出し、傷口を洗ってくれる。更には絆創膏まで貼ってくれた。
「すみません、ありがとうございます」
もう一度お礼を言うと、彼は私の制服を見て、同じ学校だと気づいたらしい。
「今から歩いて行かれると、遅刻をしてしまいます。レディ、どうぞ私の馬にお乗り下さい。お送りいたしましょう」
そうして自転車の荷台を指し示すと、恭しくおじぎをした。その姿が優美過ぎて、思わずときめいたが、
(は?馬?)
言葉の意味が分らず首を傾げた。とりあえず、後ろに乗れということだろうか。
彼の言う通り、このままでは遅刻確実だ。私は渡りに船とばかりに、彼の自転車の荷台に腰掛けた。
「では、参りますよ。しっかりお掴まり下さい」
相変わらず丁寧な口調で声を掛けてくると、彼はペダルをこぎ出した。
彼の仕草、言葉、ひとつひとつに感動し、
(この人、なんだか騎士っぽい!格好いい!)
私は心の中で叫んだ。きっと今、私の目の中には、ハートマークが浮かんでいるに違いない。彼の背中に腕を回しながら、胸が高鳴るのを感じる。
遅刻寸前で学校に到着すると、私は後ろ髪惹かれる思いで彼の自転車から降りた。
「はぁ~、間に合ったぁ」
心の底から吐息する私に会釈をして、
「それでは、レディ、ごきげんよう」
と言って去りかけた彼を、
「待ってください、あなたの名前は!?それから、職員室はどこ!?」
私は慌てて呼び止めた。
自転車を押し、おそらく自転車置き場に向かおうとしていた彼は、軽く振り向くと、
「私は黒川主馬と申します。そして職員室は、昇降口を入って左に曲がり、廊下の角にございます」
と教えてくれる。
「それでは」
去っていく彼の後姿を見送りながら、
「黒川君……黒川君」
私は彼の名前を脳裏に刻み込むように、何度もつぶやいた。
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