霊感開発

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落下する滝の水が、針のように匠の首筋に突き刺さる。 「痛い。」 冷たさの感覚は、すでに痛さだけになって、匠の精神を、1秒1秒ごとに削っていた。 「京都の2月の滝行をなめていた。もう、耐えられない。」 そればかり、頭の中をグルグルと回っている。 しかし、ここで止める訳にはいかなかった。 伏見の稲荷さんの裏山の滝場で、滝行を始めて1週間。 この1週間で、何とか修行の成果を得たいと思っていた。 お寺の息子として生まれて来て、何かしらの霊能力を見に付けて、人の役に立ちたいと考えたのだ。 丹田に力を込めて、読経を続ける。 「観自在菩薩、、、、。」 意識がなくなった。 気が付くと、大きな目がギロリと匠を睨みつけている。 「よし、気が付いたようだな。」 匠は、滝場で気を失ったのだと気が付いた。 「熱い甘酒だ。」 滝場の世話をしている世話人さんが、匠の手に湯飲みを握らせる。 匠は、今までの事を思いだそうとしていた。 夢の中で、川を渡ろうとしていた。 あれは、所謂、三途の川だったのだろうか。 「三途の川を見た気がするんです。」そう滝場の世話人に言った。 「ほう。どんな川だった。」 「それが、ハッキリとは思い出せないんですが、赤い川だったような気がします。 でも、三途の川が赤い色だなんて、聞いたことが無いですよね。」 「ほう。」と世話人は、腕を組んで上を向いた。 「それに、どうも熱湯のようでした。熱くて赤い色の川だった気がします。」 「ほう。」 そして、言った。 「ひょっとしたら、君は、何らかの霊感を見に付けたのかもしれないな。温度というものの感覚が、開けたのかもしれない。」 「僕が霊感ですか。じゃ、滝行の成果があったということなんですね。」 「いや、それが成果といえるものか。ただ、使いようによっては、人を助けることができるかもしれないがな。」 匠は、そう聞いて、甘酒を飲みながら、早くその霊感を試したくなっていた。 「でも、全く、まだ霊感を感じないんですけど。」 「それはそうだ。どんな霊感でも、その使い方を知らなきゃ、霊感も使えない。いわゆる、ハウツーちゅうやつや。」 「じゃ、そのハウツーを教えてください。」 「うむ。教えてやっても良いが、ただ、使い方を間違うと、エライコトになるぞ。」 「エライコトって、何なんですか。」 「エライコトって、それはエライコトや。後になって、『エライコトしてしもたうなあ。あんなこと、せんかったら良かったな。』なんて思う事や。詰まりは、後悔しちゃうちゅうことやな。」 「しかし、使って見なければ、エライコトかどうかは分からないでしょ。」 「そらまあ、そうや。だけど、そのエライコトなになっても、ワシャ知らんで。」 匠は、なにがなんでも、早くその霊感を使って見たかった。 いや、その前に、本当に自分が霊感を持つことが出来たのかを確かめたかったのだ。 「よし、じゃ。まずは死んだ人の霊が見えるかどうか試してみよう。自分がラジオになったイメージをするんだ。そして、ラジオの放送局を選ぶつもりで、チューニングのつまみを、ゆっくりと回すんだ。」 「えっ、ああ、こうですか。」と、手でラジオのつまみを回すジェスチャーをしながら、意識を空間に向けてみる。 感じるような、感じないような。 すると世話人が、そうだという感じで、「君は、さっき三途の川が熱かったっていったね。そうだ、温度の感覚が開けてるかもしれないから、空間の温度に集中してみよう。君の目の前の空間は、熱いかね、冷たいかね。」 「そういえば、ひんやりとした空気を感じます。」 「おお、そうか、たぶんそれだ。その、ひんやりとした空間に、意識を集中して見ろ。」 「ええっと、この空間かな。」と手を目の前に出してみる。 すると、何やら、他の空間より、その空間の方が、空気と言うか、空間自体が、ひんやりと涼しい気がする。 「何か、ひんやりとした空間があります。」 「よし、そこに集中しろ。」 匠は、ひんやりと感じる空間を、掌で感じようと、平泳ぎをするように、かき回していた。 「おい、おい、人の腹をかき回して、どうしようってんだ。」と、声が聞こえたと思った瞬間、目の前に50歳ぐらいの修験者が現れた。 びっくりして、その修験者を見ていると、「どうやら、お前は、わしの事が見えるようだな。滝行で霊を見る目が開かれたか。」と言った。 滝場の世話人も、「ほう。」と、匠の顔を見て、感心したように笑った。 「あのう、これは、どういうことですか。」と、やっと声を出すことが出来た。 「お前の目の前におられるのは、凡凡海上人様だ。もう、かれこれ100年以上前に、この滝場で修業されて、当時の人を何人も救われたエライ人なんだよ。」と世話人が説明してくれる。 びっくりしながらも、リアルに目の前に存在している人物が、もうこの世にはいない人だと、冷静に考えていた。 「始めは見えなかったんですが、今は、ハッキリ見えます。何となく、ひんやりとした空間に意識を集中してたら、パッと見えたんです。」 「なるほど。お前は、温度で霊を感じるタイプじゃな。今生きている人間は、言えば陽の存在だ。それに対して、わしの様に死んで霊体になったものは陰の存在だとも言える。その陰を、お前は、ひんやりとした感覚で見て取ったんだろうな。」 「ほう。」世話人が言った。 「しかし、人の腹をかき回すのは、やめてくれ。」 そういえば、匠が平泳ぎの様に手のひらをかき回していたのは、ちょうど凡凡海上人様の腹の部分だったようだ。 「すいません。ここの空間が、上人様の腹の部分だとは知らなかったもので。」 「まあ、いい。しかし、この霊を見る能力を身につけてしまったら、なかなか厄介なものじゃぞ。」 「はあ、厄介ですか。わたしは、人の役に立てるのじゃないかと修行してたんですが。」 「いや、まあ。人の為になる使い方もあるじゃろう。でも、しょっちゅう霊が見えるんじゃぞ。なかなか、しんどいぞ。」 「はあ。」 「今は、わしのように、まともな人間に、意識を集中しただけだから、問題ないが、霊の世界にも、いろいろ悪い奴もいるしな。それに、人間以外の霊もおる。」 「他の霊も見えるのでしょうか。」 「見えるだろう。意識の集中するレベルを変えるだけで、その次元にアクセスできるようになっているはずだ。」 「詰まりは、ラジオのチューニングのようにね。」と世話人が付け加えた。 「しかし、上人様は、アクセスとか、そんな昔無かった言葉も知ってるんですね。」 「ああ、死んでも、人間は常に勉強しなきゃいかんだろう。ドゥーン。」 「いや、そのドゥーンって、なになんですか。」と匠が聞いた。 「これか、人間は常に勉強だって言っただろう。これは、村上ショージという芸人のギャグじゃないか。今、売れに売れているそうだな。それを取り入れたんだよ。流行っているだろう。」 「はあ、まあ、流行っているのか、、、。」匠が笑いながら、答える。 「ほう。ドゥーン。」と世話人が感心した表情で言った。 1時間ほど、滝場の休憩室で休んで、それから世話人さんと、上人様に挨拶をして山を下りた。 三条まで出て、イノダの三条店でコーヒーを飲みながら、今日あったことを思い出していた。 ラジオのチューニングをするようにとツマミを回すジェスチャーをしてみる。 掌に意識を集中してみるが、何となく感じるような、感じないような。 しかし、さっきは確かに見えたし、見えたどころじゃなくて、世話人さんも含めて3人で話をしていたじゃないか。 ということは、まぎれもなく現実に起きている事実なんだ。 詰まりは、僕は霊を見ることのできる能力を身に着けたのであると、匠は冷静に結論付けた。 口中に残ったイノダのコーヒーの甘みと酸味を流すように、コップ1杯のお冷やを口に含んで、ややおいて飲み込んだ。 店を出て、駅に戻ろうと思った時、何となくだけれど、ひんやりとした空気を感じた気がした。 掌で空間をかき回さなくても、その空間にひんやりとした空間が存在することを感じる。 そこに意識を集中して、チューニングしてみる。 白い大きな犬が、悠然と歩いていた。 匠の目の前を横切って、ゆっくりと歩いている。 誰かに飼われている犬じゃない。 おそらく野良犬だ。 ただ、野良犬と言っても、風格を感じるのだ。 勘だけれど、江戸時代の犬だなと匠は思った。 この辺りの、野良犬のボスという感じだ。 まるで、配下の野良犬を守るように、街を見回っているという威厳を感じるじゃないか。 死んだ今でも、街を見回っている姿が、頼もしかった。 匠は、その姿に、ちょこっと敬礼をして、駅に向かった。 「面白いじゃないか。」そう心の中で呟いていた。 その後も、匠は、時間があると、色んな周波数というか、次元にチューニングを試みていた。 ある時は、傷だらけの兵隊が、列をなして歩いている次元や、ある時は、平安時代の貴族が牛車に乗って通り過ぎて行く次元や、思う次元を意識しながら、ラジオのチューニングの様に、意識を集中することで、自分の思う次元にアクセスできるまでになっていた。 匠は、自分の霊能力にすっかり自信をもっていた。 そして、それを、今度は人の役に立つようにするには、どうすればよいのかを悩んでいた。 霊にアクセスできて、その霊と話をする事ができるようになっても、その霊は、すでに死んで、この世にいない。 いくら、霊とコミュニケーションを取ったところで、今、この世で苦しんでいる人の役に立つというところまでは、行けていなかった。 その方法が、分からなかったのである。 例えば、亡くなった父親や、母親、そういった肉親の声を、今生きている人に伝えることは出来る。 しかし、その声を聞いたところで、苦しんでいる状況が変わる訳でもない。 病気が治る訳じゃないし、借金がゼロになる訳でもない。 苦しい状況は、そのままだ。 匠は、悩んでいた。 そして、焦っていた。 「どうすれば、この能力を人の役に立つことに使えるのか。」 そんな時である。 悩んでいても仕方がない。 気分転換でもするかと、青春18きっぷを握り締めて、海を見に出かけた。 青春18きっぷの夏のシーズンの7月の終わりだった。 京都からなら、山陰本線に乗れば、2、3時間で海が見えるところまで行くことが出来る。 あれは、浜坂の1つ隣の駅だった。 匠は、駅を降りて海に向かった。 狭い民家を抜ける道は、アスファルトで舗装されていて、地面から熱が顔まで照り返してくる。 首から汗が流れ落ちて、胸のあたりが、汗臭い。 背中は、もう絞れば牛乳瓶1本ぐらいの汗は出そうなぐらいに、ぐっしょりと重い。 5分ほど歩くと、海に出た。 短い砂浜には、海水浴をしている小学生が、10人ぐらい浅瀬で遊んでいた。 しばらく歩いて、コンクリートの堤防のようなところに腰を下ろす。 焼けたコンクリートの熱が、座るのもやめようかと思うぐらいにお尻に熱い。 「えい。」と座ったら、海から風が吹き抜けた。 「こんなときに、霊が来てくれたら、少しは、ひんやりとするんだろうけれどなあ。」と、冗談のようなことを考えた。 考えてから、面白そうだと思い直した。 そのころは、もう匠は、霊が怖いとか、そういう気持ちはなくなってしまって、所謂、日常の普通にある出来事になってしまっていた。 なので、霊を使って、涼をとるなんてことも、別に、エアコンのスイッチを付けるぐらいにしか思っていなかったのだ。 半分、冗談で、目の前の海に意識を集中してみる。 すると、すぐに、ふやけて顔がパンパンに腫れあがった漁師が見えた。 この海で亡くなった人だろう。 「あかん。いくらなんでも、ひんやりとした空間が現れるといっても、これじゃ、見ていて気持ちが悪い。」 すぐに、チューニングのツマミを回した。 もっと、可愛いものに集中しよう。 そう思って、小さなものに意識を集中してみた。 ほんの少しだけ、ひんやりとした空間を感じた。 その空間は、うっかりしていると、気が付かないぐらいに小さな空間だ。 何だろうと思って、更に意識を集中する。 小さな魚の霊が現れた。 ちりめんじゃこだ。 もちろん、ちりめんじゃこは、乾燥したものだが、その乾燥するまえの、カタクチイワシだか、何だかの、稚魚だ。 「ふうん。可愛いものだな。」と、優しい気持ちになった。 じっと見ていると、ちりめんじゃこも、こっちを見ている。 目と目が合った。 悲しそうな眼をしている。 頼りなげで、非力で、ただ、生きているだけの小魚。 匠は、熱いご飯に、ちりめんじゃこを酢醤油に漬けたものを乗っけて食べるのが好きだ。 あれは、酢醤油の酸味も食欲がそそるが、何より、チリメンジャコの食感と旨味が絶品だ。 しかし、目の前にいるチリメンジャコは、いや、チリメンジャコの目は、悲しそうで、頼りなさそうで、匠を見ている。 「ごめんな。」 そんな言葉をつぶやいていた。 ちりめんじゃこを見ていると、その周りに、また何匹かのチリメンジャコが集まって来た。 仲間なのか。 しかし、一体、この海には、何匹のチリメンジャコがいるのだろうか。 1億匹、いや、その10倍、いや、もう何百億という数字のチリメンジャコがいるだろう。 その何百億というチリメンジャコが、生まれて、死んでいったのだ。 或いは、人間に食べられていった。 そう思うと、チリメンジャコが可哀想に思えて来た。 そう思っていると、更に後ろからチリメンジャコが集まってくる。 この海で生まれて死んだだけでも、かなりのチリメンジャコがいるのだろう。 気が付くと、チリメンジャコが、匠の身体を取り巻いていた。 「寒い。」 身体が、ガタガタと震えだした。 チリメンジャコが10匹や20匹なら、ひんやりとした空間として、大いに涼しさを楽しめたのかもしれない。 だが、今、匠の身体に纏わりついているチリメンジャコは、既に数億匹となっていた。 体感としては、零下100度ぐらいになっていたのかもしれない。 匠の身体は急激に冷えて行った。 「寒い。助けてくれ。」 必死で、ラジオのチューニングのツマミを回そうとしてみるが、もう指先も凍えて動かない。 ツマミを回すジェスチャーをしなくても、チューニングを変えることが出来るのだけれど、匠の意識は、その時は朦朧として、そのことに考えが及ばなかったのである。 そして、意識がなくなった。 翌日のモーニングショーで、司会者が、山陰のとある海での死亡事故を伝えていた。 「気温40度の猛暑の海岸で、男性が死亡しました。原因は、凍死とのことです。」 テレビでも新聞でも、奇怪な事件として、1週間ほど興味本位で報道された。 そんな京都伏見の稲荷さんの裏山の滝場に匠がいた。 「凡凡海上人様、お久しぶりです。」 「おお、お前か。言っただろう、霊能力を見につけても、それが果たして、良いことなのかどうなのか、本人次第だって。」 「ええ、まさか死ぬとは思ってもいませんでした。しかも、夏の熱い時に凍死ですよ。テレビにも映っちゃいましたよ。」 「そんなこと自慢してどうする。」 「でも、まあ死んでも、こうやって気楽にやっていられるんですから、生きている時よりも、楽かもしれませんね。」 「お前は、まだ解っていないようだな。肉体が無いと言う事は、これはツライぞ。酒も飲めないんだぞ。肉体がないってことは、ツライことなんじゃよ。」 「はあ、そういうものですかね。」 そんな話をしていると、滝場から、白い行依を着た20歳ぐらいの可愛い女の子が、滝行を終えて、休憩室に入って来た。 「あれ?なんか、この部屋変だわ。この空間だけ、ひんやりと感じる。」 そういって、女の子は、匠の腹あたりの空間を、平泳ぎをするように掌でかき回した。 「上人様。僕は今、女の子に腹の中、かき回されてます。」匠が言った。 「お前も、わしの腹の中かき回しただろう。しかし、お前は、いいな。女の子にかき回されて。」 「へへ、ちょっと嬉しいですね。」 「いいな、いいな。」 「いいな、いいなって、上人様、子供でですか。そうだ、女の子が僕を見ることが出来るか、声を掛けてみよう。」 「いや、ちょっと待て。その役は、わしにさせろ。」 「いや、上人様は、エライお坊さんでしょ。そんな色恋は、捨ててしまったんでしょ。」 「いや、もう死んでしまったから、関係ない。わしに、話をさせろ。」 「いやいや、これは僕の役ですよ。」 そんなことで揉めていると、女の子が、2人の気配に気が付いたようだ。 「おかしい。この部屋は、変だわ。きっと、悪霊がいるに違いないわ。そうよ、悪霊だわ。」 そう聞いて、2人は、声を揃えて叫んだ。 「ちょ、ちょ、ちょっと待って。悪霊じゃないーっ。」 女の子は、その声にビックリして、「キャー。」と叫びながら、後ずさりする。 そして、数珠を擦って、印を結んだかと思うと、「リン、ビョウ、トウ、シャ、、、。」と九字を切った。 そして、大きな声で「悪霊、退散!」と叫んだ。 女の子の目は、どこかひんやりとした空間を、ギロリと睨んでいた。 匠が、思わずこぼした。 「何か、寂しいな。僕ら、悪霊だってさ。」 上人様が答える。 「女は、怖いな。」 2人は、ため息を漏らしながら、肩を落として、部屋を出て行った。 「女は怖いですね。」 「ああ、女は怖いなあ。」 「上人様、酒でも飲みに行きましょうよ。」 「だから、肉体が無いから、霊は酒が飲めないちゅうの。」
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