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8ジカンカノジョ
……ピピピッピピピッと体温計が測定を終えた音を響かせる。
「…うえ、39度……インフルかな?」
僕以外誰も居ない、孤独な空間で朝から絶望を感じた。今日は大事なプレゼンテーションがあるのだ。それが成功するか否かで会社の命運が決まるような大切な日に何てことだ……こうなったら無理やりにでも……
……でもこの倦怠感を他の人に移したりなんかしたらもっと迷惑を掛けてしまうだろう。僕は恐る恐る電話を手に取り、ゆっくりと会社の電話番号を押し進めてゆく。
「あ、あのー松田です。実はですね、朝体調悪いなと思って熱を測ったらですね、39度ありましてですね、お休みを頂きたいのですが…」
「あー松田君…まつだ…あ、あぁ、松田君かぁ!え、キミ今日アレだよねアレ…ぷれーぷらー…ぷらずんろーしょんみたいな、アレあるよねぇ。どうするのさ。」
「あ、プレゼンテーションですね…多分僕のパソコンにパワーポイントとカンペのデータ保存しているので田中君にお願いしたら何とかなる…と思います。」
「あー解ったよ。それじゃ松田君、お大事にね。」
「ありがとうございます、失礼します。」
電話が切れると同時に何かが僕の中でプツンと切れた。身体中の緊張が解れ、同時に眠気が襲ってきたため効果が8時間続く冷却ジェルシートを額に貼り、ベットに横たわった。
……しばらく目を瞑っていた。熱が体に籠って大抵寝付ける状況では無かったのだ。でも眠いのだ。
「おーい、寝てますかー、それとも死んでますかー」
突然、誰も居ない筈の部屋に僕以外の声が響いた。不審者か?いや、でもそれでも部屋に入る音は無かったし…というかそもそも僕の部屋に人が居るというのがオカシイのだ。
「んー??まさか死んで…」
「無いよ!!」
勝手に人の部屋に入り勝手に人を殺してる不審者に僕は思わず反応してしまった。
「ほわわっ!冗談ですよ冗談、もぅ冗談通じない系男子ですかー?」
声の主を初めて見た。黒髪ロングに差し色で綺麗な蒼色が入った艶やかな髪に肌は雪のように白く、優しい瞳にはどこまでも続く蒼空を連想できる。いわゆる「2次元」から飛び出してきたような美少女だ。黒ベースのおしゃれな格好をした少女は片頬を膨らませ「む~」みたいな様子で僕の目を見ている。
「すみません今熱出てるんで、多分インフルだと思うので、今は泥棒に来ない方が良いと思いますよ。治ったら多分移すこと無いと思うんで良いですけど。」
「いやいやいや、私別に泥棒じゃ無いですよ!?ってか盗まれて良いんかいっ!!」
「じゃあ何なんですか勝手に他人ん家無許可で入って…」
「私は…ヒヤピタの精霊です!」
「ヒヤピタ…あぁ、今でこに貼ってるやつか、そうかそうか……っていやいや、信じる訳無いでしょ!?精霊何て居ないんだからさ…」
「いやぁ、そう言われても精霊なんですもん。それ以外に説明の仕様が無いんですもん…」
「うーん…いや、じ、じゃあ仮に貴女が精霊だとしましょう。そんな精霊さんみたいな神聖な存在が僕に何の用ですか?異世界にでも転生させるんですか?」
「いやいや、ここは決して2次元ではないのでそんな夢みたいな話無いですよ。私は先程言った通りヒヤピタの精霊です。つまり熱を冷ます為に来たのです。」
「え、うん、いや、僕インフルだけどそんなあっさり治るんだったら皆悩んでない筈でしょ?」
「あなたはインフルエンザではありません。これだけは保証します。何せ私が召喚されたんですから。」
「じ、じゃあ僕の熱は…」
「心因性発熱です。心因性とは…要するにストレスが要因という意味です。あなた仕事でずっと悩んだり、夜中まで必死に資料作ってたんでしょ。」
僕の言葉を遮って彼女が指摘したことはバッチリ合っていた。今日のプレゼンテーションの為にここ1週間は資料を作っているかトイレ等の必要最低限な生活行動の2パターンしか行動をしていない。睡眠なんて1日20分取れるか分からない位だった。
「で、でもヒヤピタを貼って精霊が出た何て本当だったら既に大騒ぎになっている筈じゃ…」
「それは簡単!ヒタピタの効果が消えると共に私の存在も消え、更に私に関する記憶の全て完全に消えるからです。」
「ふーん」
半信半疑である。しょうがないだろう、記憶を消すとか非現実的すぎだと思う。
「わかりました。では…よろしくお願いいたします。」
「ふぇ……何をですか?」
「え、熱を冷ましてくれるんですよね?」
「あー、成る程…私は魔法で瞬時に熱を冷ますとか…出来ないですよ?」
「え、じゃあどうやって…」
「簡単です。私はさっき……まぁ約4分位前から約7時間56分後まで、貴方の彼女に成りました!さぁ、何かしましょう!」
「………全然意味が解らない。心の底から解らない。僕は全くあなたの事を知らないし、というか4分前に会ったばっかりですよ!?突然会って彼女になっただなんて…」
「いやいや、何処が解らないのか解らないです…ほら、取り合えず何かしましょう!ストレス解消デートー!」
「いや、熱出てるし、病人だし…」
「あ、それじゃあちょっとおでこ貸ります。あくまで治ったのではなく一時的に調整するだけですので勘違いしないでくださいね。」
俺は彼女の方に顔を託した。彼女は僕の顔を両手で包み、彼女の額と僕の額を合わせた。彼女の体温は雪のように冷たく、だけど何処か暖かく感じた。と思った矢先、倦怠感や体に籠った熱が一気に無くなったのを感じた。
「よし、動けそうだね、それじゃーレッツデート!」
「いや、仕事に行きます。本当に、ありが」
「ちょまてーい!今仕事に関わったらそのストレスを感知して神様からミッション失敗とみなされ私は消えるわ貴方は熱戻るわでお互い大変になるよ!」
「……それは嫌だ。」
「それで良し!そんじゃデートに行こうか!」
「え、でも僕女性とお付き合いしたことが無く、デート何て何をすれば良いのか…」
「まじですか…でも安心してください、私もです。」
「えぇ、あれだけデートデート言っといてですか…」
「それじゃとりあえず、徐とでぶらぶらしますか。」
「…ほい。」
外に出ですぐ、彼女は僕に手を差し出した。
「は、はい?」
「手。繋ご?遠慮せずさ、手を繋がないデートなんて聞いたこと無いですよっ。」
そういって彼女は僕の手を取り、握った。彼女の手は雪のようにひんやりとしていた。……なんと言うのだろうか、先程からバクンバクンと心臓の音が煩く、やけに体温が上昇する感覚がある。
「手、暖かいですね……ってどうしたんですか?やけに顔が赤いですけど…まさか熱の制御甘かった⁉」
「い、いや、熱は無いです。大丈夫です。ただ…」
「ん?あ、まさか緊張してます?女性と関わる事あまり無いって言ってたですし……もぅ!こっちまで少し緊張しちゃうじゃないですかぁ!」
彼女はそう言って顔を赤らめた。一つよろしいでしょうか……なんじゃ
こりゃぁ!(エコー)…なんと言うのでしょうか、一言に纏めると…可愛い。
「あ、カフェがありますよ!デートと言ったらカフェって友人精霊の本に書いてました!」
「そ、そうなんですか。…カフェなんてオシャレな場所、僕が行って良いのでしょうか…」
「だいじょーぶです!さ、行きましょ!」
彼女のキラキラした瞳を見て、僕の中にある選択肢から「行かない」は消された。
「わぁー何か色々あるー!何が良いかなー♪」
「何でも良いですよ、食べれる範囲ならいくらでも。」
「良いんですか!?」
うん、負けた。逆に「駄目です」と言える訳が無かった。
「うーん、満足ですっ!ありがとうございました!」
「いやいや、普段行かないお店に行けて僕も楽しかったよ。」
「そうですか、なら次々行きましょう!」
スマホでデートスポットを調べ、新幹線などに乗ったりして動物園に来た。動物園は小学生の時に家族と来た以来だ。
「ほわーキリンってこんなに大きいんですね!…寝るときどうやって寝るんでしょう!?」
「立ったまま寝るんです。後ついでに言うと喧嘩をするときはあの長いくびを相手におもいっきりぶつけるんです。」
「ほぇー!あなたは物知りですねぇ!」
「あ、あの!お、お互い、名前で呼びませんかっ…」
「あ!そういえばお互い名前知らなかったですね!私の名前はルナって言います!」
「ぼ、僕は松田健と言います。よろしくお願いいたします、ルナさん…」
「ふーん、健って言うんだ!よろしくね、健さん!」
「あ、見て!あんな所にライオンが居ます!…でもこんなガラス1枚で大丈夫なんでしょうか…ライオンが怒ったら簡単に割れそうで少し不安です…」
「大丈夫だよ、強化ガラスだから怒っても壊せないさ…多分。」
「多分ってなんですかっ!さては不安を煽って怖がらせようとしてるんですねぇ?ふっふっふ、そう簡単には怖がりませんよぉ…多分。」
「そんなこと言ってたら本当…」
「ガオァァァッァ‼」
「キャアアアアアアア‼」
彼女はライオンの鳴き声に負けない声量で叫び、僕にしがみついた。……あまりに唐突で初めての出来事に僕は強く恥ずかしさに近い感覚に見舞われた。
「大丈夫ですよ、ただ吠えただけです。」
「べ、別に怖かったんじゃなくて、驚いた…だけですからね?」
「…そうですね、そういう事にしておきましょう。」
「しておくのではなく事実なのです!もぅ!」
こんな会話で僕は笑顔になっていた。本当に旗から見れば「普通」の光景かもしれない。ただ、僕はこんな会話で心から笑っていた。心から笑うのは何年ぶりだろうか。友人なんて元々少なかったし、社会人になってからは連絡もとっていない。社会人になった後に出来た「友人」も、ただの社会人としての付き合いに過ぎなかった。だから解る。僕が心から笑えたのは彼女が居たからだ。彼女には、感謝しなかない。
「さて、次は何処に行きます?」
「ルナさんは何処か行きたいところ無いんですか?」
「いやいや、今日のデートは健さんの為のデートなんですから、健さんが行きたい所に行かなくちゃ!」
僕たちはその後、様々な所に行きデートを満喫した。
「…じゃあ一回帰ろうか。久しぶりにこんなに動いたからちょっと疲れちゃって…」
僕の言葉に彼女は頷いた。そしてまた新幹線に乗ったりして家に戻ってきた。なんだろう、つい最近家を出て直ぐに帰ってきたような。こんなに時が過ぎる事が惜しいのは初めてだ。
「ふぅ……いやぁ、楽しかったですね、デート!」
「そうだね、僕も凄く楽しかった。時間が流れるのが凄く早く感じて、今も時間が惜しいです。」
「……どうやら時間のようです。」
「……え?」
「あと5分位で私の役目は終わりです。」
「そうですか…」
「ねぇ健さん、今日は楽しかったですか?」
「うん…今までこんなに幸せな日は無かった。」
「ふふっ嬉しいです。私も楽しかった。」
「ルナさん、僕はね、ずっと一人だったんです。会社で仲の良い人は居るけどただの付き合いに過ぎなくて…結局僕は一人なんだなって思いながら生活をしていたんです。そんな時にルナさんが現れて、僕に寄り添ってくれて、嬉しかった。ずっとこの時間が続けば…なんて思っちゃったりして。」
目に熱い何かが込み上げてきた。
「僕は……僕はまだあなたと居たい…叶わないと解ってても……」
彼女は僕の手を取った。
「嬉しいな、好きになって貰えるなんて。でもね、これは宿命なの。私の宿命であり、あなたの宿命。でも、これだけは忘れないで、あなたは一人じゃない。例え君が私の存在を忘れてたとしても、私は君を忘れない。だから、健さんは一人じゃない」
「そうか…そんなこと、言って貰うの初めてだな。嬉しいや。」
「じゃあね、健さん」
「…うん。」
瞬間、スッとルナが消えた。
何故か僕は泣いていた。というか、いつの間にかすごく時間が経っていた。
体の倦怠感も無く、インフルエンザでは無いのか?冷却ジェルを剥がし、体温計を脇に指す。
やけに右手が、暖かく、優しく、ひんやりとしていた。
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