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喪失
どこまでも青い、青い、空だったーーーー。
いつのまにか眠ってしまっていたようだ。
腫れた瞼が重い。
乾いた雫の跡に頬が引っ張られる。
雑に手で顔をこすり、枕元のスマホに手を伸ばす。
たくさんの不在着信を全て無視して、リダイヤルから、かけ慣れた相手へ発信する。
ーーーープププププ......
ーーおかけになった番号は現在使われて......
全てを聞き終わる前にスマホを投げた。
今日も、夢じゃなかった。
早く覚めてほしい悪夢は、何度眠って起きても夢になってはくれなかった。
彼が、いなくなった。
雫が溢れる。
ーーーーーーーー。
その日は、今年の夏の始まりの日とでも言ったような、とてもよく晴れた日だった。
海へ行きたいと言ったのは私だった。
いつものように寝坊をした彼を、海岸で私は待っていた。
海辺の街で育った私たちにとって、海はそれほど珍しいものではなかったけれど、私は海がだいすきだった。
待ち合わせ時刻を10分過ぎた頃に、彼から着信。
「ごめん!」
スマホの向こうの彼は走っていた。
「早く早く!」私は急かした。
「今日すっごく天気いいよ!夏が始まったみた......」
キキキキキキガシャーーン
私の言葉を遮って、突如スマホの向こうから大きな音がした。
そして、その後すぐにたくさんの悲鳴。
私は何度も何度もスマホに向かって彼の名前を呼んだ。
しかし、何度呼んでも、叫んでも、彼からの返事はなかった。
スマホを握り締める手が震える。足に力が入らず、膝からその場に崩れ落ちる。
目の前には、だいすきな海。そして、どこまでも青い、青い、空が広がっていたーーーー。
彼が渡っていた横断歩道は青だった。
そこへトラックが突っ込んできた。
でも。
「早く早く!」私が急かさなかったら?
いや、そもそも私が海へ行きたいなんて言わなかったら?
そんな「たられば」を、もう何度考えただろう。
ふいにふと、投げ捨てたスマホへ目をやると、締め切ったカーテンの隙間から光が差し込んでいた。
重い身体を起こし、スマホを拾いに行く。そっとカーテンを開け、窓を開けてみた。
ムワッとした熱風とともに夏の世界が部屋へ飛び込んで来た。
彼がいなくても、この世界は何の問題もなく回り続けている。
せっかく止まった雫がまた頬をつたう。
ぐううううう。
ふいにお腹が鳴った。
物心ついた時からいつもそばにいた。
彼のいない世界なんて、考えられなかった。彼のいない世界でなんて、生きられるわけがないと思った。
でも。
食事が喉を通らなくなるかと思ったけど、ちゃんとお腹は空くし、夜眠れなくなるかと思ったけど、毎日いつのまにか泣き疲れて眠ってしまう。
彼のいない世界でも、私は生きている。
ちゃんと生きていて、私の身体はちゃんと生きようとしている。
彼がいなくても回り続けるこの世界が、そして何より、そんな世界でも生きていける自分が、どうしようもなく大嫌いで、どうしようもなく腹が立った。
唇を噛み締め顔を上げると、空がどこまでも青く、青く、絶望の色をして広がっていたーーーー。
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