人の群れ、ただなかひとつの君の影

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「あれ?」  立ち去ったのでも、ソファの後ろなどへ隠れたのでもない。消えた(・・・)のだ。  かと思うと、いきなり元の場所に現れた。 「うわっ!?」 「いや、たぶん鷺白くんも能力の発動前後は周囲からそう見えると思うよ。今までに同じ能力持った人二人くらい遭ったけど、どっちもそうだったから」 「え、これ結構世の中によくある能力なんですか!? で、でも、傍から見るとおっかないというか……不気味悪(ぶきみわる)いですね」  一ノ瀬さんが「なにその言葉」と小さく吹き出した。笑顔を見たのは、これが初めてだった。 「鷺白くんも、もう少し慣れると色々技が増えると思うよ。たとえばほら」  そう言う一ノ瀬さんがひらひらと右手を振ると、そこには親指がなかった。  えっと僕が驚くと、次の瞬間には親指が現れる。 「注視すると、ちゃんと見えるよ。大事なのは、人の意識の隙を突くことだから。君もそれは分かるでしょ?」 「……はい」 「じゃ、ケガが大丈夫そうならお開きにしようか。一人で帰れる?」  一ノ瀬さんが立ち上がった。 「あの」 「ん?」 「一ノ瀬さんはこの能力、どうやって身につけたんですか」  一ノ瀬さんが、わずかに怯んだ様子を見せた。 「僕は、この世の嫌なことから逃げたい、誰の目からも隠れたいっていう一心で、辛くて辛くて、そしてステルスを身につけました。一ノ瀬さんと……その他のお二人は、僕と同じ理由でその能力を?」 「なんで……そんなこと」 「一ノ瀬さんのステルスは、僕なんかとはケタが違います。もし、能力の練度が、辛さに比例するのなら……辛ければ辛いほど能力が磨かれるのなら、一ノ瀬さんはどんな思いをしてきて――」 「放ってお」 「――これから、何をしようとしているんだろうって」  僕は彼女の左手をじっと見た。夏服の半袖からむき出しの、染み一つない滑らかな皮膚。  だが、本当に注意して見つめると、そこにはそれ(・・)が浮かび上がってくる。 「傷も隠せるんですね、一ノ瀬さんのステルスは。そんなに……長く……いくつも……縦に」  一ノ瀬さんの内側の手首からは、肘に向かって数本の傷跡が密集して走っていた。 「それで、意識のない状態でも人から見えなくなれる技術を身につけたいんですか? ……何のために?」  一ノ瀬さんは、再びソファに座った。 「傷を見つけられたのは、久し振りだなあ……。親にも、クラスメイトにも……先生にも見つからなかったのに。さすが同族(・・)だね。面白いんだよ、こんなに赤黒くて大きな跡が、いくら私が隠してるからって、誰にも見えないんだもん」  彼女の右手の指が、脈をとるように左手首に触れた。 「鷺白くん、隣の駅で、ここ何年かで二件、飛び込み事故があったの知ってる?」 「あ、ええ。僕の高校の最寄り駅なので」 「あれね、二件とも君の言うところのステルス使い。さっき言った二人。この力を身につける人は、やっぱり……君の言うような人たちなんだよ。そうして、同じことを願う。『誰にも見つからずに消えてしまいたい』。それで、ステルスを発動した状態で、電車に飛び込むの。でも、自分が死んだ瞬間に能力は解けてしまう。当然だよね、死んでも続く能力なんてない」 「一ノ瀬さんも……ですか?」  唾を飲む。僕は今、何かの瀬戸際にいると思った。 「うん」
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