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「好きなのは、マンタですが」
「いいですね。実に優雅だ」
「でも、私はそこの小魚でしょう」
「小魚?」
「ええ、銀色の群れている小魚。多分、先頭でもしんがりでもないやつだ」
後半は質問の答えではなく、ただの自分語りだということに気付いた。口にしてから恥ずかしくなった。
「すみません。変なことを言いました」
謝る私に老紳士は、いいえと笑みを浮かべた。
「好きなら、あなたもマンタを目指せばいい」
「あれはどうにも主役という感じがします。とても無理ですよ」
「何故そう思うのです?」
老紳士の追究に私は困り果てたが、ここは恥も外聞も捨て、一切を正直に語ってしまったほうが良いのだと開き直ることにした。閑散とした水族館の雰囲気もそれを手伝った。
「私は凡庸な人間です。世間が言うところの、普通のサラリーマンの人生をなぞっているに過ぎない」
「”普通”であることは、存外難しいことですよ」
「まあ、そうかもしれません。私は”普通”から零れ落ちないように必死ですから」
もしかすると、とうに零れ落ちているかもしれない。思わず苦笑した。
「自分を水族館の生き物に例えるならば――とにかくマンタだとか、ペンギンだとか――そういった、後々印象に残るような主役ではないのです」
納得したのか、失望させたのか。老紳士はそれ以上を尋ねなかった。
さらに五分ほど経って、老紳士のほうが先に別れの挨拶を告げた。
「どうにも、年寄りはすぐに腰が痛くなっていけません」
「それは、お大事に」
会釈に会釈で返すと、「ああ」と老紳士は口を開いた。
「もうひとつ訊いても宜しいですか?」
「何でしょうか」
「別にあそこで群れをなす小魚が、悪いというわけじゃあない。しかしあなたは、明日も、小魚として生きるのですか?」
老紳士の質問に、私は少しだけ考えて、そして答えた。
「――ええ、私はきっと、小魚として生きますよ」
満員の通勤電車や乗り換えの人ごみを思うと、やはり悠々としたマンタのような生き方には憧れた。しかしこの社会の中で。あるいは小魚のように――。
「明日も、明後日も――数年後も。その他大勢の中で私は生きてゆくのでしょう。時に……例えば今日のように、惑うことがあるかもしれません。しかし生き延びてみせます」
同じ質問を昨日されたとしても、私はやはり「ええ」と答えたことだろう。だがそれに続けて、ある種決意に満ちた台詞が自分の口をついて出たことに、私自身が一番驚いていた。
私の返答に老紳士は満足げに微笑んだ。
「結構。生きる意味さえ見失わなければ、この先迷うことはありません。
それと、僕はこの水族館をよく訪れますが――あの小魚たちが主役に見える日もあるのですよ。無数の銀の星のごとく輝いているではないですか。魚群は整っているようで、時に乱れ――そうでなければ、あの美しさは出せません」
では、と再び会釈をして、老紳士は去って行った。
私は大水槽に振り返ると、小魚たちを改めて観察した。老紳士の言う通り、群れは無個性に固まっているように見えて、時折角度を変える何匹かがいることに気がついた。そのたびに個々の鱗に反射する光は不規則に変化した。群れは集合体としての隊列は決して崩さなかったが、仮にこれが一匹の大きな魚であったとしたらできかねる芸当といえた。
それはまさしく、きらきらと光る個性であった。
<了>
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