あるいは小魚のように。

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 最寄り駅までは十五分ほど歩く。一年ほど前に、この駅から近いとも遠いとも言えない立地の建売住宅を購入した。私にとってそれは思い切りが必要なことではあったが、都心から少しの距離を置けば決して不可能なことではなかった。  閑静な住宅街が広がり駅前もほどほどに栄えている。環境に関していえば特に不満はない。しかし、こと通勤に関しては苦行といえた。急行列車は混雑していて乗車に相当の覚悟が要った。私の使う最寄り駅よりもっと下ったほうに巨大なベッドタウンが控えているからだ。そこから乗り込んでくる会社員や学生で車内はごった返していた。だがこの時間帯は各駅停車だからといって空いているわけでもない。むしろ急行列車を先に通すからと、各駅停車は不可解な停止や待ち合わせを繰り返し遅延を極めた。いやいやながら急行列車に乗り込むと、乗換駅へと向かうのだった。  乗換駅に到着したころにはすでに疲弊している。世の通勤ラッシュという現象は馬鹿げている、と毎朝思うことではあるが、誰も何ともできない。もちろん私にも無理だ。私は社会の歯車のひとつに過ぎず、その中でも割と替えのきくほうの部品だった。いつ「これはもう駄目だ。取り替えよう」と言われても仕方のない人材だった。  降車した私は人ごみに混ざって、自分が乗ってきた私鉄からJRに乗り換えるための列に並んだ。私はここの人ごみがとても苦手だ。何といっても息が詰まる。乗り換えのための通路は蛍光灯で照らされてはいるが、天井は低く空気の流れは全く感じられなかった。異様な圧迫感があった。もし私が真に閉所恐怖症であったならば、とても耐えられないだろう。  通路はたったの三十メートルだ。その三十メートルを何故なのか、人々は非常にゆっくりと進む。誰が故意に渋滞を引き起こしているわけでもない。しかしとにかく亀のようにのろのろとしか進まないのだ。その間、誰もひとことも喋らない。ひとりでも陽気に話す者があれば、この鬱屈(うっくつ)とした空間にも空気が流れるだろうに。誰も連れの者がいないのか、いてもここにあっては話さないことが暗黙の了解であるかのように、皆が押し黙った。ただ重い足取りをもって通勤靴やヒールが硬質な音を立てた。私はその不協和音にひたすら耐えた。
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