あるいは小魚のように。

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 灰色のコンクリートと、半無意識的に目的地へと向かう自分の革靴が見えた。 (そうか、私は下を向いているのか)  自覚した瞬間に、そう考える自分が己でないような離人感に襲われた。高所から地上を覗き込んだときのように、神経がひゅっと引き締まるのを感じた。焦燥感に駆られ顔を上げた。そこには数秒前の自分と同じように下を向いて歩く人ごみがある。人々の表情はいやに暗くて虚ろだった。自分も今、こんな表情をしているのだろうか。  この光景を見た私はひどく不安になった。本当にこれは乗り換えのための集団なのだろうか。いつの間にか、亡者の国に向かう行列に紛れ込んでしまったのではないか――。妄想が私の心に去来した。  何かで見た、”レミングの行進”という話を思い出した。レミングというのは小型のげっ歯類であるが、彼らは群れを作り崖から身を投げるために行進するのだと言う。最近になってその通説は誤りだという話も聞いたが、今の私には誤解されたままの”レミングの行進”が強く思い起こされた。 「通路は、あと何メートル残っている?」  気が付けば声に出していた。乾燥して喉にはりついた声だった。  声を発してから、これでは不審者ではないかと思うが、幸いにも私の呟きに反応する者はなかった。しかし私を一瞥(いちべつ)もしない人々の態度は、やはりどこか異常ともいえた。一体自分はどこに、何に迷い込んでしまったのか。半ばパニックを起こしかけた時、右のほうからしゃがれた老人の声が聞こえた。 「まだ半分は残っていますよ」  すがるように声の主を見ると、白髪の老人があいまいな笑みを浮かべていた。 「すみません、これは、いつもの行列なのですか」 「さあ」 「つまり――”いつもの”というのは”JRに乗り換えるための”という意味ですが」  ふたり、のろのろと歩きながら、老人は私の問いに答えた。 「似ていますが、おそらく異なるのでしょう。あなたは、わたしと同じ想像をしているのだろうが――きっと正しいのはそちらのほうです」  老人の答えに衝撃を受けた。すぐには言葉を返せなかったが、二メートルほど進んだところでようやく口を開いた。 「何故そんなことに」 「そうですね、理由はさまざまなんでしょうが。生きる意味を失いかけていると、たまにそんなこともあるようです」 「そんなのは困ります。私には家庭があるんです。家のローンだって残っている」  老人に言っても仕様のないことだと理解しつつも、言わずにはいられなかった。私の訴えに老人はやや同情の笑みを浮かべて頷いた。
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