あるいは小魚のように。

5/6
前へ
/6ページ
次へ
***  その後、私は会社に欠席の連絡を入れた。急な有休を取得することについて、予想通り特段の苦情も心配の声もなかった。  そのまま家にも戻らなかった。ただいつもと反対方向の電車に乗り込み、高層ビルの中にある水族館を訪れた。私の心は静かな海での療養を望んでいたが、ここから海は遠すぎた。  平日昼前の水族館はひどく空いていた。丁寧に清掃された水槽がいくつも並び、色鮮やかな熱帯魚や珍しい深海生物などが展示されていた。  ビジネスウェアの男ひとりは浮くだろうという懸念に反し、意外と私はこの空間に馴染んだ。たまに連れがいる者があったが、たいていの客はひとりだった。そして好みの水槽を見つけてはそれぞれの時間を楽しんでいた。ふわふわと浮かんでは沈み、宇宙の探究者を思わせるくらげなどはとりわけ人気があるようだった。  ペンギンが愛らしい仕草で岩場を飛び跳ねている。驚くべきは水中での彼らだった。俊敏に泳ぎ回り餌を捕えた。機敏な動きは、どことなく妻を連想した。展示ガラス横のプレートを見ると、それぞれの個体に名前が付けられているようだった。彼らは個性という特権を許された存在に違いなかった。  やがて私もある水槽の前で足を止めた。大水槽だった。以前見た海沿いに建つ水族館の大水槽と比べれば小規模ではあるが、多種多様の魚が回遊していた。大きい物ではマンタがいた。日が射し込む海として再現された大水槽の中、マンタは私の目の前を悠々と通り過ぎた。魚らしからぬ平たい形状と、翼のように大きく広げられた胸びれは、抜けるような青空をゆるりと飛行する宇宙生物のようだ。  脳裏にふと、こうありたいという願望が浮かんだが、すぐにそれは分不相応な憧れだと我に返った。さしずめ私はこちらだろう、と群れをなす銀色の小魚に目をやった。きっと小魚には小魚なりの考えがあるのであって、私のように惰性で生きる者と一緒にされてはたまらぬ――小魚たちからはそんな苦情もありそうだが、私の目にはひとまずそう映ってしまったのだから仕方ない。  小魚は群れをなして自分たちを大きな集合体に見せた。そこに個性や、一匹飛び抜けた能力などというものは必要がない。それは生き残る上でむしろ邪魔になるだけだ。先ほどの、乗換駅で交差する人々の姿が思い出された。  そうして十五分ほど、大水槽の前に立っていた。 「面白いですか」  唐突に話しかけられた。  振り向くと人の好さそうな老紳士が立っていた。仕立ての良い夏物のジャケットをはおり、片手にはステッキを持っている。今日は老人に縁のある日だ。私もそうなのだろうが、大水槽のライトで彼の顔はきれいなブルーに照らされていた。 「ええ、癒されます」  私は当り障りのない率直な感想を伝えた。  老紳士はステッキをつきながら、わずかに片足をかばうような歩き方で一歩進むと、私の左に位置取った。 「気に入りの魚はありますか」  初対面だというのに、老紳士は私との会話を継続するつもりのようだった。私はひとりで心を休めたいという気分であったはずなのだが、彼と会話することについて不思議とやぶさかではなかった。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加