×××

2/4
23人が本棚に入れています
本棚に追加
/7ページ
 お国はどちら?と聞かれると。  あたしの出身は東京です、と答える。  それを聞いた相手の反応は、必ずこう。  都会だね。  新宿や渋谷などに行ってたんでしょう?  どこそこに行くには、どの電車に乗れば良いの?  そして。  その問いに上手く答えられないあたしを、必ず白い目で見るのだ。  そんなことを言われたって、あたしに東京で暮らしていた頃の記憶などない。  あたしの記憶はほぼ、一面に田んぼが広がっている場所や、四方を連山に囲まれている場所の思い出で占められている。  そんな場所ばかり、父一人、あたし一人の家族で点々と渡ってきたから。  だから、路線の名前を聞いても、地名を聞いても、ピンと来るものは何もない。  唯一。  唯一あたしが持っているのは、人混みに紛れた時の記憶だけだ。 ──タスケ……テ……!  人混みの中。  小さいあたしが、巨人のような大人達に押し潰されそうになりながら。 ──タスケ……テ……!  黒板を引っ掻くような、悲痛な叫び声を聞く記憶だ。  蛙の声を聞きながら畦道を行く、そんな生活ばかりしていたから、人混みに突っ込むような真似をした覚えはとんとない。  それなのに、人混みの記憶は。  泣きたくなるほど耳障りな、甲高い叫び声は。  脳裏に焼きついて。  耳にこびりついて。  毎夜、毎夜、蚊帳に囲まれて眠ろうとするあたしを苛む。 ──タスケ…………テ……! ──タスケ………テ…………!  灯りを消すと、暗闇の中、人混みのざわめきが周囲を取り囲む。  そして、どこからともなく悲鳴が聞こえてきて、頭蓋骨を裏側から掻き壊すように響く。 ──…………ナイデ……! ──タスケ………テ…………!  名前を呼ばれている訳でもないのに、あたしは、この声が『あたし』を呼んでいるのだと直感していた。  あたしを捕まえようとする声は、夢の中でもあたしを追い回す。 ──タスケ…………テ……!  声は、  手を伸ばして、  あたしの襟元を掴んで、  この埃っぽい人混みの中に、  そのまま埋めてしまいそうなほど、  ヒィィ  ヒィィ  という悲鳴を伴いながら、  あたしを何度も何度も執拗に呼ぶ。  小さなあたしの、目頭が熱くなる。  大声で泣き出すこともできず、雑踏に立ち尽くす。 ────イザナ、こっちだ!  そして。  夢の終わりは、いつも、繋いだ父の大きな手に力強く引かれ、人混みを抜け出すところで終わった。 「……げほっ、げぇ……っ」  目が覚めるのは決まって丑三つ時。  埃の匂いがする夢を見続けているかのように、息苦しくて、あたしは激しく咳き込み、何度もえずきかける。 「大丈夫か!?」  あたしが悪夢に目を覚まし、ゲホゲホ言い始めると、隣室で寝ていた父は、必ず起き出して様子を見に来てくれた。    心配性の、たった一人の父親。  彼が来てくれるだけで、あたしは瞬時に青い匂いのする田舎の家へと戻って来られた。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!