第一章

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 今日の天気は晴れ、気温は二十六度という四月にしては暑い日の事、俺を乗せたタクシーが「ギフトガーデン」という場所へと向かっていた。  車内では、小太りの中年男性が白いシャツを汗でにじませながら運転しており、ラジオからはアイドルソングが流れていた。  見たところ、ご機嫌に見える小太りの運転手はアイドルソングがお気に入りなのか、指でリズムを取りながら上機嫌で運転していた。  一体、何がそれほど彼を上機嫌にさせるのだろうかと、車内に響くアイドルソングに耳を傾けた。  すると、耳に届いてきたのはかわいらしい女性の声と心地良いリズム、確かに悪くはないかもしれない。そして何よりもこのアイドルは歌がかなり上手い。  いや、上手いなんてものじゃない、特徴的な美声が俺の脳みそにあるしわに、隅々までこびりついてくる勢いで響いてくる。  まるで、洗脳に近いとも思えるその歌声に耳を傾けながら、なるほど、この運転手が上機嫌になる気持ちがわかるかもしれないと思った。  ただ、小太りの運転手に共感するのはいいが、実のところ俺はこの曲にノッている状況ではない。  そう思い、先ほどから読んでいる「ギフトガーデンへようこそ」という名のパンフレットに意識を戻した。  しかし、それを遮るかのように俺の持っていたパンフレットが突然宙に浮いた。いや、正確に言えばそれは浮いたのではなく隣に座るエミリによって取り上げられたのだ。  エミリは、北欧生まれ北欧育ちの生粋の北欧人と自称する、フルネームすらわからない異邦人だ。  モデル雑誌から飛び出してきたような彼女は、俺が中学生になったばかりのころ、突然居候としてやってきた。  もう、三年ほどの付き合いになるが、エミリから故郷の話なんて一度も聞いたことがないし、彼女から話す事もなかった。  そんな、異邦人エミリは俺からパンフレットを取り上げ、その端正な顔立ちをニコニコとさせながら「ねぇねえ、ルーシー」と流暢を日本語で喋って見せた。  日本語をかなり勉強してからこっちに来たというエミリ、言葉が流暢なのは感心するが、どうせならもう少し片言のほうがかわいげがあったというのに、これじゃスーパーウーマンにしか見えない。 「ねぇじゃない、パンフレットを返せ」 「あら、なんで怖い顔してるのルーシー」 「別に怖い顔なんてしてないだろ、パンフレット返せって」 「えー、私には怖い顔しているようにみえるけど?」  俺の顔が怖いだって、そんなわけあるはずがないじゃないか。  昨日まで、病院のベッドにお世話になっていたはずなのに、朝起きたら突然タクシーに乗せられていて、おまけに訳の分からないところに連れてかれてる途中だとしても、断じて怖い顔なんてしていない。  怖い顔っていうのは、ネガティブなものを引き寄せてしまう恐ろしい顔なんだ、もしもそんな顔をしてしまったのなら、俺はこれから起こるかもしれない不確定な予定を、ネガティブなものにしかねないだろう。  だから、すべてをポジティブに考えることが大切なんだ。  そう思い必死に笑顔を取り繕った、だがそんな俺の表情を、まじまじとみつめるエミリはなんだか目を細めていた。 「な、なんだよ?」 「ルーシー、その笑顔は嘘よ」  ずばり俺の嘘を見抜いたエミリは、大変見る目があるようだ。まさに仏目といったところだろうか、少なからず日本に染まりつつある北欧生まれの彼女に俺は深く感心した。 「よくわかったな」 「ルーシーの笑顔はすぐに嘘だってわかるよ」 「なんでわかった?」 「わかるったらわかるのよっ」  怒っているのはそっちじゃないかと言いたくなったがこれも愛嬌、エミリは怒りっぽい人種なのかもしれないとゆっくりと心を落ち着けた。そう、すべてをポジティブに考えるんだ。 「じゃあそれでいいけど、俺は別に怒ってたりしてないって」 「そうかな?」 「そーだ」 「あっ、まって」 「なんだよ」 「怒ってないってことは、もしかして緊張してる?」  どこに緊張する場面があっただろうか、むしろ俺の頭には怒りの感情がふつふつと沸き上がってきており、それが今にも爆発しそうな勢いだった。  だが、ここでそれを爆発させたところで何かが好転するわけでもないと悟っている俺は加熱された脳内を冷やすようにため息をついた。 「してない」 「そうか、緊張してるんだぁ、可愛いなルーシーは」 「・・・・・・」  勝手に俺の気持ちを分かったような口調のエミリに、俺の足の貧乏ゆすりはトップギアに入った。  もう我慢の限界、今まさに口を開き暴力的な言葉が出かかった。しかしその瞬間エミリという北欧人は何を思ったのか俺に抱き着いてきた。  幼いころから北欧で過ごしてきた彼女にとって、このスキンシップ能力はある種のステータスのようなものなのかもしれないが、なぜこの状況でそれを発揮したのかが分からず、俺の思考と身体はぴたりを動きを止めた。  そして一つの疑問が生まれた、北欧人とはスキンシップが多い人種なのだろうかと。  まぁ、とにかくそんな時間が停止したかのような状況はすぐに終わりを告げた。なぜなら、女性の体というものは思いのほか熱気を帯びており、俺はそんな心地よくも抵抗のある感覚にすぐにでもエミリを跳ねのけざるを得なかった。  エミリをはねのけると「ひゃんっ」だなんてかわいらしい声をあげながらシートのうえで体を丸めて楽しそうに笑った。 「なにやってんだ」 「いいじゃない」 「よくないっ」 「でも、ルーシーが緊張して可愛いと思ったんだから、抱き着いただけよ」  ウインクしながら、おちゃめにそんなことを言うエミリはとても可愛らしく、思わず「許す」言葉が脳内を駆け巡った。だが、暴力的な口だけはそれを許さないようで、すぐさま言葉が飛び出した。 「ふざけるのも大概にしろよ、俺はお前のぬいぐるみでもなんでもないだぞ」 「えー、でも日本のことわざに「かわいい子にはハグさせよ」っていう言葉があるじゃない?」 「その誤った言葉を二度と口にするな、極限につまらない」 「何よ、じゃあ何が正解なの?」 「かわいい子には旅させろだ、ほら「獅子はわが子を千尋の谷に落とす」とかなんとかって話もあるだろ」 「ふーん・・・・・・知らない」  まるで興味のない様子で返事するエミリはわざと間違えているようにしか思えなかった。 「おい、始めたのはお前だぞ、俺をからかってるのか?」 「えへへ、そんなことないよ、ごめんごめん」  エミリは怒る気が失せるかのような笑顔でそういって見せると、ようやく静かになった。
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