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その後の二人 『向日葵に誓って 5』
ホテルの仕事を終えて歩き出した途端ポツポツと雨が降り出した。
空を見上げると雲は黒くなって集まり、遠くで雷が鳴りだしていた。
これは一雨来るな。
「優也……濡れていないか」
今日は確かこの前プランを練っていた常連のお客様を案内すると張り切っていたよな。観光の途中で雨に降られていないといいのだが。
それにしてもソウルに戻ってきてからの優也は、まるで別人のように仕事にを張り切っている。以前ホテル専属の通訳をしていた時のような、淡々とただ与えられた仕事をこなすだけの控えめで寂し気な印象とは全く違うので驚いた。
ひたむきに常にお客様のために必死になっている優也を見ていると、俺の方もすごく元気をもらえる。でも逆に出会った頃の優也が、どんなに傷つき……どんなに自分を殺して生きて来たのかを知ることになった。あの頃……もっと早く気が付いてやりたかったという後悔が生まれた。
ソウルに単身で渡って来てから、どんだけひとりの夜を、どんだけ震える夜を過ごしたんだよ。
優也と付き合うようになって、一緒に時を重ねれば重ねるほど……そして優也の躰を抱けば抱くほど、俺は優也に惚れていく。際限ない感情は膨れ上がり、熱を帯びてあふれ出してくる。俺がこんなにもひとりの人に執着したことがあっただろうか。こんなにも自分以外の人のことを考えることがあっただろうか。
今の優也は仕事に打ち込んでいる。それを俺が邪魔してはいけない。
分かってはいるけど……せめて仕事が終わった後はずっといたいよ。ソウルと軽井沢との遠距離恋愛中は辛かった。でももう優也はソウルにいる。それなのにこんな風に離れていたくない。優也に寂しい夜を過ごさせたくない。
真面目過ぎる優也のこと……俺が解してリラックスさせてやりたいし、美味しいものを沢山食べさせて、もっと健康的にさせてやりたい。
してもしても足りない程、俺は優也に恋している。
結局途中で雨脚が強くなり濡れてしまったので、部屋に戻ってすぐにシャワーを浴びた。それからスマホを確認するが、優也からの連絡は入ってなかった。
あーあ、今日は会えなさそうだな。きっと優也のことだから、丁寧にハルさんをエスコートしてるんだろうな。うぉーなんてことだ。俺、ハルさんにまで妬いてんのか。はぁ……コンシェルジュともあろうものが、これはまずいだろう。
濡れた頭をブンブンと振った。
頑張っている優也に似合う男にならねば!
するとインターホンが鳴った。
驚くことに相手は優也だった。だが、何故かすごい量の花を抱えているから表情が窺えない。すぐに出ると、優也の躰は全身びしょ濡れだったので驚いた。
いつも落ち着いている優也のこんな姿、見たことないぞ。でも酷い雷雨の中びしょ濡れになってまで、俺のところに来てくれたことが嬉しくて、テンションがあがった。
とにかく風邪をひかすわけにはいかない。
風呂だ! 風呂!
優也を強引に横抱きにしてやると、恥ずかしそうに顔を俺の胸元に埋めて来た。
もう、この可愛さ!
本当に松本さんと呼んでいた時代からは、想像つかないよな! 手に握りしめていた花束はとりあえず机に置いて、風呂に入るように伝えた。
優也が俺の家に来てくれたのは何回目だ? 優也はいつも開業したプチホテルに泊まりこんでいるので、本当に何もかもひとりで抱えて忙しく、数えるほどしかここには来てくれていない。それにしても何故だろう? 素朴の疑問が湧いたのと同時に、さっき机に置いた花束が気になった。
すごい量の向日葵の花だな。
優也が花を持ってくるなんて珍しい。
ん……待てよ。
向日葵って……確か……以前外国のお客さまで……
****
「コンシェルジュの君にお願いがあってね……実は今日彼女にプロポーズをする予定だが、演出として花が欲しい。この部屋に向日葵の花を抱えきれないほど用意してくれ」
「向日葵ですか」
「そうだよ。向日葵の花はプロポーズの定番だ」
「そうなんですか、知りませんでした」
「君もコンシェルジュなら知っておいて損はないぞ。ひまわりの花言葉は『あなただけを見つめている』だ。ひまわりは夏の花で、太陽に向かってつぼみを動かして花を開かせるだろう。英語では『I stare at only you』だ。まさにプロポーズにぴったりだろう」
「素敵ですね!覚えておきます!」
「ははっ……若い君も……いつか向日葵の花束を持って誰かにプロポーズするのかな」
「そんなこと……でも、いつかあればいいですけど」
****
うぉ! この向日葵って……
まさか……優也がそういうつもりで?
いやいや待てよ。プロポーズするのは俺が先だ!
そう思うと、自然と身体が機敏に動きだした。
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