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その後の二人 『春のたより』6
心臓が止まるかと思った。だってこんなに都合よくKaiくんが僕の目の前に現れるなんて、普通はあり得ないだろう。
もしかして僕は今は夢を見ているのか。これは白昼夢かもしれない。信じられない気持ちで、一度目をぎゅっと閉じてみた。
「えっ……」
その瞬間ぐいっと逞しい腕に躰を引き寄せられ、次に目を開けると僕はKaiくんの腕の中にいた。
Kaiくんのスーツからグリーンティーのトワレの香りが微かにする。あぁ本物だ。古時計のように落ち着いた規則的な心臓の音が聴こえて来たので、思わず耳を当あててしまった。
トクントクンと優しい鼓動。裸で君と抱き合い胸を重ね、分け合った音と同じだ。
「ふっ優也さん可愛いことするんだな。夢じゃないよ、ほら本物だ。会いたくて飛んで来た」
「だって、どうして?なんで急に……」
状況が呑み込めないので、上手く言葉が出て来ない。しっかりしろ。ちゃんと伝えないと。次にKaiくんに会えたら最初に言う言葉を、僕は用意していたのだから。
「僕は君にすごく会いたかった!」
飾りない言葉。素直な気持ちをぶつけた途端、目頭が熱くなり涙が滲み出て来た。
「わっ!優也さん泣くなんて」
「うっ……僕のせいで二度も会えなかった。それが申し訳なくて」
Kaiくんの胸に顔を埋めて、静かに泣いてしまった。
「もう優也ったら相変わらず泣き虫ね。いつまで経っても」
その声に反応して体をぱっと離して振り返ると、さっきまで事務所にいたはずの姉が立っていた。
「ねっ姉さん!」
「Kaiくん日本へようこそ!」
「えっなんで知って?どういうこと?」
「ふふっ優也がこの前私たちの我が儘でKaiくんに会えなかったから、お詫びも込めてサプライズ。どう?驚いた?」
ポカンとしてしまった。これは姉の計らいなのか。
「お姉さん、ありがとうございます。お久しぶりです」
Kaiくんは姉に会釈したあと、嬉しそうに笑った。
「そういうことだよ。優也さんのお姉さんからラブコールで、すっ飛んで来たよ」
「びっくりした」
こんな嬉しいサプライズがあるなんて。さっきまで散っていく桜に切ない気持ちになっていたのに、一気に心がポカポカだ。
「さぁ、優也はもう今日は帰っていいわよ。どうせあと一時間で終業だし」
「姉さん……あの……帰るって、どこに」
「もちろんあなたの家によ」
「だって、お母さんが……」
そうだ。家には母がいる。いきなり僕がKaiくんを連れて帰ったりしたら、それだけでも驚いてしまうだろう。また心臓に負担をかけてしまうかもしれない。そんなこと出来るわけない。
ここ最近の僕は、もう何もかも話してしまいたい衝動に駆られていた。お見合いのこともあるし、もうカミングアウトすべきじゃないのか。
これ以上自分を偽るのは嫌だ!
「実はお母さんにはね、優也とKaiくんのことを私から話してしまったの。お見合いの席で優也が酷く苦しそうな顔していたから、お母さんもなんとなく違和感を持っていたみたいで、そういう話になったの」
「えっ」
信じられない。姉がそんなことをしてくれていたなんて。母もいつもと何も変わらなかったので、僕は何も気が付かなかった。
「お、お母さんは……なんて?」
「まぁ最初は信じられないといった反応だったけれども、少しづつ納得してくれて、実は今日Kaiくんを日本に招いたのはお母さんなのよ。お母さんが自分の目で二人を見たいというから」
「信じられない!そんなことを?」
もう何と言ったらいいのか。僕が一人で悶々としている間に僕の周りの人たちは、こんなにも僕のことを考えていてくれていたのか。
それが本当に有難くて、申し訳なくて、それでも嬉しくて。
さぁ今度は僕が頑張る番だ。
ありったけの勇気を振り絞って!
「姉さんありがとう。あとは僕が全部する。Kaiくんのことはきちんと説明するから」
「でも優也……大丈夫なの?姉さんも一緒に行こうか」
「いや大丈夫。Kaiくん……君を僕の家族を紹介させて欲しい」
Kaiくんは少し驚いたような表情を一瞬浮かべた後、満面の笑みになった。
「優也さん喜んで!」
大好きな明るく輝く笑顔。
この笑顔を守りたい。僕の大事な人だから。僕の心に春を運んでくれたのは君だった。
春のたよりが届いたのなら、僕が夏の扉を開けるよ。
ふたりで幸せになるために。
「春のたより」 了
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