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「次は自分のチケットでおいで」
そのポケットから、役目が終わった紙切れが差し出される。キャップの影から出た口が、呼吸をするようにあっさりと言う。
「――うん」
僕は今度こそチケットを受け取って、丁寧に、ポケットにしまった。
触れた胸が冷たかったこと。離れた手が同じようにひんやりとしていたこと。かすかな笑顔と声音はとても優しかったのに、どうしてかとても、胸が苦しくなったこと。
その理由は分からなくて、聞いてはいけない気がして、僕は全部を飲み込んだ。
そのまま精一杯、大きく頭を下げる。口を開けたら、大事な何かがこぼれてしまいそうな気がした。
呼吸を思い出して顔をあげると、検査官はもう、僕に背を向けていた。
だんだんと小さくなるその姿を眺めながら、僕は繋いでいた手を、もう片手で握りしめた。指先が熱をもったように、まだずっと熱い。
いつ、も、どこ、も僕にも分からない。でもこれがあるから大丈夫だと、分からないけどそう思った。
一人で繋いだ両手を胸に当てて、その熱を心臓と分け合う。
それから深呼吸を一回。
検査官と背中合わせに向き直って、来た道を戻るため、僕は初めの一歩を踏み出した。
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