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星くずシロップ
今夜は十四番目の月。あたしの一番好きな夜。満月のひとつ手前の、ワクワクする夜。もう十二歳になったんだもの、いいわよね。なんてったって、こんなに明るくてきれいなお月さまの夜なんだから!
ルリは、自分に何回目かの言いわけをして家をこっそり抜け出すと、家の裏にある森の奥、水晶林に向かった。いつもは暗い夜道も、月明かりで青く照らされた道はとっても歩きやすい。
「わぁ!」
水晶林は相変わらずの光で、月の光を受けて、キラキラとそこかしこが輝いていた。反射がさらなる光を呼び、あふれて、それだけで宝物と呼べる、ルリの大好きな光景だ。
だから夜の散歩はやめられないのよね。
くるくるとまわる瞳をそこら中に向けて、ルリは水晶林を歩いた。迷子になったような、なっていないような、不思議な気分を月はくれる。目の前にあった大水晶に手をかけて一息つくと、まわりを見渡した。大きいものでは自分の身長くらいにもなる大水晶がたくさん生えているので、このあたりは『水晶林』と呼ばれている。森の中にあるので大人たちは入っちゃいけない、と言うけれど、ルリの大好きな、秘密の場所だ。
なんで来ちゃいけなんだろう?
そんな疑問を考えたのも少しの間で、ルリは目の前の景色に見とれて、疑問なんてすぐに忘れてしまう。
もぞ。
……?
目に入る世界のすみでなにかが動いた。おそるおそる視線を動かすと、やっぱり、なにかが動いている。
まさか、おばけ? まさか、まさかよね……?
びくびくしながら正面を向いてみると、
ぬいぐるみ?
なにやらもこもこした若葉色の丸いモノが、背中を向けていた。しっぽらしき丸いものも、やっぱりもこもこしていて、とにかくぬいぐるみが動いているようにしか、見えなかった。
「あなた、だれ?」
答えはない。もぞもぞ、と背中が動き、それにしたがうようにしっぽがゆれる。おまんじゅうのようなしっぽ。
「ねぇ、あなた、だれ?」
声を強くしてもう一度声をかけてみると、ようやくその動きが止まった。もそ、と背が高くなってぴょこん、と耳が見える。頭を上げたらしい。きょろきょろと見渡して、まわりにだれもいないことを確認して、声をかけられているのが自分だとようやく気づいたらしく、こちらを振り向いた。二本の足で立ち、ぽてっとした体つきは、やっぱりぬいぐるみに見える。ただ、もこもこしているせいで、立っているのか、座っているのかさえわからない。この大きさだと、足はかなり、短めだろう。若葉色の毛におおわれた体、ただ、おなかのあたりだけは白い毛並で、体長はルリのひざあたりくらいだろうか。ウサギににているけれど、それともちょっと違う。耳が短めの太ったウサギというのにも、少し無理がある。でも、それが一番近い。
か、かわいい。うーん、抱きしめたい!
それでもルリの第一印象は、これだった。
「君、ぼくがみえてるの?」
ぬ、ぬいぐるみがしゃべった!
ルリは、正直すわりこんでしまいたくなるほどおどろきながらも、水晶にかけた手でこらえてみせた。それよりも、目の前にいる生き物への興味の方が大きかったのだ。
「見えてるの、って、見えてるから声かけたんじゃない」
ぬいぐるみ、もとい、ぬいぐるみもどきは、きょとんとルリを見ていたが、すぐになにかに思い当たったようで、にこり、と笑いかけてきた。
「結界はってあるんだけどなぁ。めずらしいんだよ、ぼくが見えるのって。結界に入ってこれたってことは、君、お仲間だね?」
「あなただれ? ここでなにしてたの?」
見たこともない生き物に出くわしたというのに、逃げ出さない女の子を目の前にして、ぬいぐるみもどきはどうしようか、と考えたかのように見えたが、すぐにルリの言葉に反応を返してきた。
「ぼく? ぼくはアラン。仲間とひっそりと暮らしてる。仲間内ではアランって呼ばれてるんだ。で、人に名前を聞くときは自分から名前を言うものじゃないの?」
さりげないアランの言葉に、ルリはむっとしながら、
「失礼。あたしはルリよ」
となのり、続けて、
「アラン、ここでなにやってたの?」
と質問する。ルリの瞳には、好奇心があふれ出しているだけで、警戒心のかけらもないことを見て取ったのか、アランは、
「明日は満月でしょ。明日のお茶会用の星くずを集めてたんだ」
と言ってにっこりほほえんだ。アランの足もとには小さな袋があり、そこから小さなかけらがこぼれて見えていた。
「お茶会用の星くず?」
かみ合わない言葉に混乱したルリは、そのままじっと袋を見つめる。
「うん、満月前後の夜には、星くずがこぼれてここに落ちてくるんだ。それをお茶に入れて飲むとね、不思議な味になるんだ。今夜みたいな満月直前の星くずは、最高級品だよ」
うれしそうに話すアランを見て、ルリはすぐにその『星くずあつめ』をやってみたくなり、
「ねぇ、あたしにもできるかなぁ?」
と持ちかけてみると、
「だめだめ、この時期の星くずにも出来不出来があるからね、これはぼくじゃないと」
自慢気に話すアランに、ルリはむっとした表情をかくせなかった。
けれど、確かに自分の足もとを見てみると、不思議なあわい光をはなつかけらが無数にあり、それをふまずに立っていることは不可能で、大小さまざまなかけらの選別は、素人にはむずかしいのかもしれなかった。だからといって期待の『星くずあつめ』ができなくなることに納得がいくはずもなく、ルリがしょげているのを見て、アランはなにを思ったのか、ぽてぽてと歩いてそばに置いてあったたもあみを持ち出してきた。
「ほら、これ持って」
アランの差し出したたもあみは、たもあみで、それ以外のなにものでもない。
「なにこれ」
「わからない? たもあみだよ」
「それはわかるわよ。なにに使うの?」
ルリが泣きそうな表情から立ち直ったのを見て、アランは安心すると、
「この先の池でやってほしいことがあるんだ」
と笑った。
「池?」
「うん」
よっこらしょ、と袋の口を閉めて肩にかつぐと、
「ぼくについてきてよ」
森の生き物だから四本足なのかと思ったら、人間みたいに普通に二本の足で歩いて、アランはルリを先導しはじめた。
体の小さなアランが歩く速さというのは、やはりたかがしれていて、それにしびれを切らしてか、それとも歩くたびにゆれるしっぽと、もこもこしてやわらかそうな姿にたまらなくなったのか、
「ねぇ、あたし、あなたをだいて歩いてみたいな」
とルリがひとこと口にした。
ピク、とアランの歩みが止まる。
「ぼくを、だく?」
本当にきょとんとした顔でアランは振り返る。
「うん、だっこしてみたいんだ。だめかなぁ?」
にこにことルリはアランに話しかける。他意はないようだと判断して、
「いいよ」
と答えたが、少しびくついているようにも見えた。アランの表情がくもったのに気がついてルリは、
「なにかいけないこと言っちゃった?」
と不安気な顔になる。アランはただ、慣れてないから、とだけ言って、それでもおどおどとした感じで、ルリの方に近づいた。ルリはできるだけアランの視線の高さに合わせようと、しゃがみ込んでアランの不安を消そうと努力してみる。
「ぼく、こういうのって、初めてなんだ」
笑顔で手を広げてむかえるルリにアランは言うと、おとなしくだかれた。するといきなりルリの中に広がる緑のイメージ。目まいさえ覚えそうなイメージにルリは、アランが妖精の仲間であることを確信する。
わぁ、本当にぬいぐるみみたい。軽いし。
アランを抱きかかえるとルリは歩き出した。
ぽてぽてぽて。
アランはルリをつれて水晶林の奥に進んでから、腕から下ろしてもらうと歩き出した。水晶林と森の境にある池は、水晶からの光の反射を浴びてきらきらと輝いていた。月の光を浴びて水はすんで、水底まで見える。見たこともない風景にルリがおどろいているにもかかわらず、アランは慣れた感じで足を進める。
「このあたりがいいかな」
小さな池のほとりで、アランは足を止めるとルリを振り返った。
「たもあみの出番だよ」
水晶林の奥に、小さいけれどこんな池があったなんて、とルリがあたりを見渡していると、
「ルリ、たもあみ」
アランの、のんきそうな声でさいそくが入った。ルリはわれにかえってってたもあみをにぎりなおす。
「え? ごめんごめん、これね。どうするの?」
「水面にうつった月をすくって取るんだ。そのとき、できれば一緒に近くの星も取ってね」
池といっても本当に小さくて、ルリにとってはたいしたことのない大きさで、水面にうつる月もほんのすぐそばに見えるけれども、体の小さいアランにとってみれば、たもあみでもなければ届かないかもしれない。
「こわさないように、そっと取ってね。これ大事」
アランは注意をつけくわえると、にっこり笑ってルリをうながした。
「波を立てないように、そっとね」
そろり、とたもあみを池の中に入れ、月へと近づける。あみの中に月を入れると、
「そのまま、ゆっくりと引き寄せるようにしながら、近くの星もあみの中に入れて」
アランの指示が飛ぶ。ゆっくり、ゆっくりと引き寄せて、手元まで来たところであみの口をしばってアランに手渡した。
「うん、初めてにしても上出来だよ。ありがとう」
満足そうなアランの笑顔にルリはうれしくなる。
「ホント? うれしい。やらせてくれてありがとう」
「お礼と言ってはなんだけど、明日のお茶会、ルリも来る?」
思った以上の成果に気を良くしたのか、アランが招待を口にすると、ルリは目を輝かせて大きくうなずいた。
「いいの? まぜてくれるの?」
「うん、ルリなら大丈夫だよ。ぼくを入れても三人だけのささやかなお茶会なんで、がっかりさせるかもしれないけれど、来てくれるかな?」
無邪気な顔がルリを見る。
「うん、喜んで!」
「じゃあ、明日の晩、月がのぼるころに水晶林で待ってるね」
「わぁ、楽しみ。ねぇその月、どうするの?」
片手でなんとか大事そうにかかえているあみを見て、ルリはアランにたずねてみた。アランはあみの部分を握りしめて持っているので、柄の部分はどうしてもひきずってしまう格好になるのがなんともかなしい。けれどそんなことはおかまいなしに、アランは満足気にあみの口をにぎりしめて、中の月と星を落とさないようにいっしょうけんめいだ。
「これ? 焼いてケーキにするんだ。一緒にすくった星は砂糖とはちみつで煮詰めてシロップにするんだよ。食べてみたくない?」
きょとんとした顔でルリを見つめてから、すぐに笑って言う。きょとんとしているようなのは、もしかしたらこれが地の顔で、たまたまそう見えるだけなのかもしれない。
「うん! 明日、月がのぼるころね。あたし絶対に行くから、まっててね」
「わかった。ぼくもまってるね」
***
これは小さいけれど大きな秘密。
月明かりの夜道の中、こらえても出てしまう笑いをかくしきれずにルリは走った。走るには絶好の満月で、雲もほとんどなく、てらしだされた道はルリをさそってでもいるかのようだ。
またアランに会える。それだけでルリはうれしかった。あの柔らかい感触と無邪気な笑顔、あふれ出る緑のイメージ。なんだかそれはとてもなつかしくさえ感じられて、会いたいという思いがよりいっそう強くなっていた。水晶林はすぐそこだ。
***
水晶林は昨日よりもかがやいているように見えた。月の光の乱反射はそれだけで心をわくわくさせる。気がつくと口元がゆるんでいるのをまた気にしながら、ルリは水晶林に急いだ。月夜のお茶会。その言葉の響きだけで心がどきどきする。
両親はうまくごまかした。出かけたことにはたぶん気づいていないはずで、だからこそなのか、余計にわくわくした。
水晶林の入り口はいつもとなにも変わりはなかった。なのに一歩足をすすめると月の光が強くなったように感じられて、その変化にルリは正直おどろいた。
足をすすめていくと、林立する水晶の中に満面の笑みをたたえたアランが立っていた。
「こんばんは」
「あたし、来たわ」
「うん、やっぱり君はお仲間なんだね」
「なに、仲間、って」
「コナーが説明してくれるよ。さぁ、急ごう」
「あの……」
「なに?」
「まただっこしてもいいかなぁ?」
アランはルリに言われてほんのりと顔を赤らめながら、
「いいよ」
と近づいてきた。
水晶林を抜けると、そこは通称『見張りのいる森』、禁足地だ。さすがのルリも森にはいるには怖くて心臓がドキドキした。アランはルリの緊張に気づいて、
「大丈夫だよ、ぼくがいるから」
とにっこりほほえんだので、ルリはびくつく足をなんとか森に忍ばせられた。
「不思議、お化けなんかいやしないのね。明るいし」
「満月だもの。そら、もうすこしだよ」
角を曲がると、ぽつん、と一件家があった。家というよりは、小屋。煙突からは煙が出ていて、家の前にはテーブルといすが用意されていた。そこに人間がいる。
まさか、これが森に住む化け物?
ルリの心配は伝わったのかどうか、しかしアランは笑顔のままルリをみあげた。
「あの人たちがぼくの友達だよ」
「やぁ、こんばんは」
大人の人が声をかけてきた。大人に見つかったら怒られる、という意識が働いて、ルリはしどろもどろになってしまう。
「あ、はい、こんばんは」
「ルリ、痛いよ」
思わずアランをきつく抱きしめてしまったらしい。
「ルリ、準備があるからぼくを下ろしてよ」
アランはご機嫌な顔のまま、下ろされると体のサイズに似合わない速さで走っていった。
「あなたがルリさん?」
大人の人が優しい声をかけてくる。ローブを身に付けたその姿は物語に出てくる人のようだ。
「はい、ルリです。あなたは?」
「私はコナー。この小屋に住んでいます。あそこで食器を運んでいるのが教え子のベリル。仲良くしてやってください」
男の人の優しい声は、父親を思い出させた。
「今日はアランが張り切っててね。どんなお嬢さんかと思っていたら、なんとこんなにかわいらしいとは。ベリルと年のころが同じだから、話もはずむでしょう」
コナーにうながされてテーブルに向かった。
「こんにちはベリル。あたしはルリ」
声をかけると少年はてれたようにそっぽを向いて食器を取りに行ってしまった。
「コナーさん、あたし、嫌われてるの?」
「照れてるだけですよ。じきに慣れてしゃべるでしょう。それより、あなたの名前、素敵ですね」
「名前?」
「あなたのお父さんは東洋の方ですか?」
「ううん、違うわ。学者よ。大学で先生をしているの」
「あぁ、それで」
「なにか関係があるの?」
「それはね……、あぁ、ケーキができたようですよ、みんながそろってからお話しましょう」
「でね、この子がルリだよ。昨日友達になったんだ」
満月の明かりの下、得意気な顔でルリを紹介するアランを見て、ルリは正直恥ずかしくてしょうがない。
「変な名前」
ベリルがぼそっとつぶやくのにむかっとしたが、コナーがまぁまぁ、となかだちに入った。
「『ルリ』というのはね、『青金石』のことで、東洋の方での呼び方だよ、ベリル」
「青金石?」
ルリ自身初めて聞く言葉に疑問があふれる。
「そう、このあたりでは『ラピスラズリ』と呼ばれている石です。ルリのお父さんは物知りな方なんだね。ベリル、これも勉強のうちです、覚えておきなさい」
「ちぇ」
「そうそう、ルリ、ベリルとはその名のとおり『緑柱石』です。石の名前を持つ人間同士、仲良くできるでしょう。アランも石という意味がある」
「コナーさんは?」
「私はしがない薬草使いです。石の名前は持っていません」
「賢者様なのね? わぁ、まだいたのね。あたし、お話の中だけの存在だと思ってた。そっか、だからそのローブ着てるのね。あ、ごめんなさい」
「いえいえ、いいんですよ。正直もう絶滅寸前ですから」
コナーの笑顔は優しい。
「それより、ケーキが冷めてしまいますよ、まずはみんなで食べましょう」
満月のケーキは思った以上にふわふわで、シロップは甘くてとろけそうだった。
「森は禁足地なのに、住んでて大丈夫なの?」
お腹もいっぱいになって、お茶を飲みながらルリは疑問を口にした。
「ああ、この森はね、大丈夫ですよ」
「だって、『見張りのいる森』なのに?」
「あ、それぼく」
カップを置きながら、アランがもう片方の手を上げた。
「え?」
「その見張り、ってね、ぼくのことなの。ぼくがいるから、ここは見張りのいる森なの。ぼくがこのふたりが住むのを許してるんだ」
「見張りって、こわい人じゃないの? アランってなにものなの?」
ルリは思わずカップを置いた。
「んー、ぼくはただの森の、なんていったらいいかなぁ、気というか念、みたいなものなんだけど。見張りって言っても、特になにもしてないよ。悪意を持った人が森に入ってくるのがいやなだけだよ。それよりルリ」
「なぁに?」
アランの笑顔はひきつけられて、邪気がない。
「ルリって、妖精と人間のハーフでしょ」
ルリはあっけにとられた。なにが一体どう転がると、自分が妖精のハーフという話になるのだろう?
「どうして? あたし、人間だよ」
「だって、ぼくの結界に入ってこれたじゃない」
にこにこと断言するアランはカップのお茶を飲み干し、お替わりを入れた。
「アラン、ルリが目を白黒させているよ。もう少しくわしく説明してあげないと」
コナーがやんわりと話に入ってきた。
「ルリ、アランの結界はね、特別なんですよ。敵意がないからといって誰にでも入れるものじゃないんです。それに、最初はあなたから声をかけたそうじゃないですか。あなたにはアランが見えた。これだけで、立派に普通の人間ではありません」
コナーはカップをゆっくりと置いた。
「はぁ」
「アランはね、あなたが好きになったみたいですよ。昨日あなたの話をするときのアランの顔をあなたに見せてあげたかったですね」
「コナー、恥ずかしいよ」
「いいじゃないですか。そんなアランの姿を見てベリルはやきもちをやいてるんです。でも仕方ありませんね。アランの新しいお友達は、私たちの新しい友人になれる方だ。ベリルはちょっとすねてるだけです」
「お師匠様、それは言わない約束だよ」
明るいブラウンの髪をぷい、とゆらしてベリルはケーキの残りを口にほうりこんだ。月明かりで顔色までははっきりと見えないけれど、てれているらしいことだけはわかった。
「アランがあたしのこと好き、って本当?」
アランはいつものきょとんとした顔でルリを見たあと、にぱっ、と笑った。
「うん。ルリにだっこされるとね、気持ちいいんだよ」
「アランがそんなことを許したのはルリ、あなたが初めてなんですよ」
ふたりの笑顔と、ベリルのすねた顔のつりあいが不思議な印象だった。
「と、とにかく、なんであたしがハーフなの? 耳がとんがってもいないのに」
「それは偏見」
ベリルが口を開いたので意外そうな顔をしながらもコナーは安心したようだった。
「シー、つまり妖精系の生き物の耳がみんなとんがってる、っていうのは嘘。耳がとんがっているやつもいるし、いないやつもいる。人間型のやつもいるし、人間型でないやつもいる。人間の髪や目の色がみんな同じでないのと一緒なんだ」
「普通の人間じゃないって、そんな」
「それがなにか問題あるのか? おまえは今ここにいて、俺達と会話している。一緒にお茶だって飲める。なにも問題なんかない」
普通じゃない、といわれて一瞬涙目になったルリを無愛想ながらにフォローする姿はコナーの苦笑をさそった。
「私たちは古い物語の残り火のようなもの。楽しくゆるやかに日々を過ごすことができるのなら、それでいいんですよ」
「ゆるやかに?」
「そう、このあたりの天気はおだやかな日が多いでしょう。それはアランが望むから。風がいつもゆっくり流れるのは私が風をおくっているから。これを知らない人々がこの地を不思議がって近寄らないだけの話です。わかる人には、わかると思いますよ。もう、ほんのすこしの人になりましたけれど」
コナーはさびしそうに笑った。
「さぁ、しめっぽいお話はこれまでにしましょう。アランがあなたにプレゼントを用意していますよ」
「あ、コナーずるい。ぼくが言い出そうと思ってたのに」
アランはひとつ文句を言って、小さな手でなにかを取り出した。
「これ、ルリに似あうと思うんだ。もらってくれるかな」
そう言って渡されたものは、葉っぱの形をしたこはくのペンダントだった。なにやら文字が書かれている。
「わぁ、めずらしい、こはくなのに、葉っぱなのね。アランらしい。これはなんて書いてあるの?」
「ぶどうだよ。ぶどうを意味する文字。これはコナーが彫ってくれたんだ」
「ぶどう?」
「今はちょうど八月でしょう? だから、八月の象徴文字のぶどうを彫ったんですよ。私たちがお守りにする文字なんです」
意味がわからずコナーを見たルリに、ていねいにコナーは答えてくれる。
「そ、これお守りなの」
にこ、と笑いかけてくるアランを、ルリは思わず抱きしめてしまった。
「ありがとう、大事にするね」
***
「ルリ! どこに行ってたのかと思ったら、森に行って、しかも妖精と会った? なにをやってるんだ」
父親のケビンはこわかった。
「森には見張りがいるんだ。生半可なことではすまないかもしれないんだぞ」
「大丈夫よ。なかよしになったんだもの。一緒にお茶もしたのよ」
「おまえは妖精の怖さをしらないからそんなことを言っていられるんだ。下手をしたら命を落とすんだぞ、わかっているのか」
どなられてびくっと体をふるわせたルリの胸元にちらりとゆれたペンダントを、母親のサラに見つけられてしまった。
「ルリ、そのペンダント、見せなさい」
いけない、見つかった!
が、時すでに遅し。母親はルリからペンダントをとりあげようとはしなかったが、はっきり見えるように、ときつく言ったのだ。両親からにらまれて、ルリはおそるおそるペンダントを見せるはめになってしまった。
「あなた、これ、この文字」
「なんだ」
「賢者と会った、というのは本当だわ。今こんな文字を知っているのは賢者くらいのものよ。しかも魔力を持ってるわ」
「悪いものなのか」
ケビンが一瞬ひるんだようにサラを見る。
「いいえ、違うわ、この力は魔よけ。お守りだわ。それにこはくでできてる。この大きさはかなり珍しいものよ。こはくの中の混じり物、これも魔力を持ってる。あなた、案外ルリの話本当かもしれないわ」
真剣な顔のサラを見て、ルリは思わずもうひとつの言葉を口にしてしまった。
「ねぇ、あたしが人間と妖精のハーフって、本当なの?」
その瞬間、両親がかたまったようにルリには見えた。顔が引きつっている。しまった、と思ったが、もうあとには引けなかった。
「あたしには妖精の力があるから、『森』に入っていけたんだって言われたわ」
「なにをまたそんな馬鹿なことを」
「オークの精が言ったのよ」
「アランが?」
サラが思わず口にした言葉を、ルリが聞きのがすはずがなかった。
「ママ、アランをしってるの?」
部屋に沈黙が流れた。三人とも、どうしていいやらわからない、といった空気が流れ、時計の音だけがやけに大きく聞こえた。
沈黙を破ったのは、ケビンだった。
「ルリ、ここの森のことは知っているね」
「『見張りのいる森』でしょ?」
ケビンは視線をルリに合わせるとルリの両肩に手を置いた。
「そう、人間にとっての禁足地だ。これがなにを意味するかはもうわかるね」
「入ったらあぶないことが待っているかもしれない」
「そうだ。人間にとってはあぶない場所といえるだろう。見張りがいるんだからね」
「でも、あたしははいれたわ。全然こわくなかった。森はきれいだった」
「見張りが森を守っているからだよ。そして、変な人間が近づかないように、私たちはここに住んでいる」
「あたしたちも『見張り』なの?」
「そうなるのかな。そこまでえらくはないけれどね」
「見張りと、ハーフだっていう話がどこでつながるの?」
「妖精なのは、私よ」
サラが告白した。
「昔、パパがね、あなたと同じように森にちょくちょく遊びに来る人だったの。妖精でも賢者でもないのに、なぜか『森』に入れる不思議な人でね。アランと私は興味を持ったのよ。そんなパパを見ていて、私はだんだんパパに恋をしていったのよ。で、ついにパパのところに押し掛けちゃったの」
「ママが妖精?」
いきなり言われても、ルリには信じられない。でも、いつも若いと言われているママは、確かに年をとっていないように見える。
「ルリ、あなたはもしかすると賢者になれるかもしれないわね。そのペンダントの中にあるものは、オークのかけらよ。とすると、そのペンダントがあなたの杖ってことになるかもね」
サラはルリにウィンクしてみせたのに、ケビンが、
「おい、ルリをあんまりおだてるんじゃない。つけあがる」
と茶々をいれてきた。
「ママ、ほんと?」
「さて、それはどうかしらね。でも、そのこはくの中にあるのがオークのかけらだっていうのは、本当よ」
一瞬、外で大風が吹いた。
***
「ねぇ、ルリ。明日の昼間、ここに来ることってできる?」
いきなりアランが口を開いた。
「え? うん、今は学校お休みだから大丈夫だけど、なに?」
「コナー、たのめる?」
「いいですよ、やってみましょう。ルリ、明日から魔法の練習をしてみませんか。もちろん、ベリルと一緒に。ルリは妖精だからあなたの能力を生かせるものを探しましょう。ベリルは風をつかままえる練習の続きを」
「え? あたしの能力?」
「あたりまえだろ、おまえ半分妖精なんだから、なにか力があるはずだ。そんなこともわからないのか」
「ベリル、あんたねぇ」
口の悪いベリルにむかついたルリが、ベリルにくってかかろうとするところをコナーにおさめられる。
「あたしも風つかまえてみたいなぁ」
こういって風をしばったロープをながめるルリを、笑って見つめるコナーの顔はあくまで優しい。アランは明日は昼間に会えるね、といってにこにこしている。
***
親に見つかって、かくす必要のなくなったペンダントを堂々と胸元にゆらしながら、ルリはコナーの小屋に向かった。
「やっと来たな」
ベリルの憎まれ口は相変わらずだけれど、悪意があるわけではないのが表情から見て取れるようになっていたので、ルリはたいして気にしなくなり始めていた。
「ええ、来たわ。一緒に練習できるのがとっても楽しみ」
「練習なんてかわいいもんじゃないさ。地味な訓練さ」
「それでもいいんだ、あたし」
にこにこと言ってみせる。
あたしは、やるんだ!
「私がまずやって見せますから、ルリ、あなたもやってみますか」
「うん!」
コナーは縄で輪をつくって立つと、風を待った。丘の上に立つと風がそよそよと吹いているが、つかまえるのはその程度ではいけないらしく、コナーは強い風を待っている。これだけで、根気のいる時間だった。早く風が吹けばいいのに、とルリがため息をつきかけたとき、ようやく待ち望んだ風がやって来た。風をじっと見えて風が輪に入った瞬間にコナーは縄を強くしばった。
「こうして風をつかまえるのです。ふたりともやってみなさい」
ベリルと並んでルリは丘の上に立った。アランはいつものきょとんとした顔で日なたぼっこをしながら三人を眺めている。
「集中して、風を逃さないように」
コナーの注意が飛んだ。
風よ、来い。……来い。
ルリは念じて風を待った。その時。
「うわぁ」
ベリルが驚いたような声をあげた瞬間、大風が丘に吹いた。ルリは、コナーが腕で大風をよけるようにしながら、自分を見つめているのを感じていた。
「そろそろ休もうよ」
離れて見ていたアランがぽてぽてと三人の前に歩いてきた。
「そうですね。ルリは初めてのことだし、疲れたでしょう」
コナーは縄を下ろした。アランはぽてぽてとルリに近づくと、にこにこしながらルリの腕におさまる。
三人がすわったところで、コナーが話を切り出した。
「ルリ、あなたは風使いですね」
「はい?」
「風を呼ぶ力をあなたは持っている。練習しておいて損はしないでしょう。ベリルの訓練にも役に立つ」
ルリには今ひとつピンとこなかった。けれど、賢者様の言うことだから、あながち嘘とも言い切れない。
「ぼくね、風好きだよ。さっきの大風はルリの気配があったから、コナーの言ってるのは嘘じゃないよ」
腕の中でにこにことアランが話しかけてきた。これはさらに嘘だと言えなくなってきた。否定材料もないから、否定しようとは思わないけれど、自分のしらない一面を初めてみたルリは、自分に戸惑いをかくしきれない。
「大丈夫、みんなついてるよ」
アランが笑いかけるのを見て顔を上げると、コナーの笑顔と、半分すねたようなベリルの顔があった。
***
風使い、という言葉は信じるしかなかった。確かに、ルリが念じれば風が起こるのだ。風の強さはその時によって違うのだけれど、確かにルリの思いによって風は強くなったり、弱くなったりする。おかげでコナーはベリルの訓練のために風を呼ばなくてすんだし、ベリルはたっぷり風をつかまえる訓練をさせられた。アランは相変わらずぽてぽてとルリのまわりを歩き回っては風の強さに注文をだしてルリの訓練にあたっていた。
「風は、武器にもなるし、盾にもなるんだよ。使い方によっては、自分を浮かせることもできる。とっても便利なんだ。さぁ、ルリ、もうちょっとでお茶の時間だから、あとひとがんばりしようね」
にっこりと笑いながらルリをその気にさせて、アランは丘に吹く風をながめていた。
お茶の時間になると、サラ特製のサンドイッチがみんなに振る舞われて、なごやかな雰囲気が三人と一匹をつつんだ。
「緑ってきれいねぇ。気持ちが落ち着く」
「でしょう、私たちはこの緑の森を守っていくべきなんです」
「だからぼくがここにいるんだよ」
「俺、この間ハーブの摘み取りやったんだ。ハーブってすっごい香りがよくてさ、気持ち良かったよ」
「ぼくもつきあったんだよ。ね」
「あぁ」
「今度はルリも一緒に行けるといいね」
「あ、あぁ、そうだな」
紅茶をごくんと飲み干してルリは一息ついた。
「ねぇ、ここってどうして禁足地なの?」
素直な疑問をぶつけると、アランがぽてぽてと近寄ってきて、ぽふ、とルリのひざに乗った。
「この間もいったよね、ここを荒らされるのがいやだからだよ」
「それはどこの森でも同じじゃない? ここの森はどうして『見張りのいる森』ってよばれてるのか興味あるのよ」
にっこり笑うルリに、アランはお決まりのきょとんとした顔を見せた後、
「仕方ないなぁ」
といって笑った。
「ルリも知ってるでしょ。ここには水晶林があるからだよ。あれはめったにあるものじゃないから、人に知られたくないんだ。人に荒らされて星くずがひとつも落ちてこなくなってしまった水晶林を、ぼくは知ってるから。それはひどい有り様だったんだ。鉱石の気配ひとつない、草木も生えない、ただがらんとしている、ただそれだけの場所になってたんだ」
泣きそうな顔になったアランを、ルリはぎゅっと抱きしめた。
「ありがとう、教えてくれて。あたしも一緒に守るからね」
「星くずは水晶の磁力に引かれて落ちてきます。だから、私たちのお茶会のためにも、水晶林は守らなくてはならないんですよ」
ウインクしながらコナーがルリにささやいた。
「うん、守るのね」
精いっぱいまじめな顔をして答えたのに、なんだかベリルに笑われたような気がして、ルリの機嫌は今ひとつだった。
***
「あ」
いきなりアランが声を出したので、三人は驚いてアランをみた。
「変なのが来た」
そういってアランはいきなりほほをふくらませてむぅ、とおこりだした。
「水晶林ですか」
「そう、ぼくたちの水晶林だよ」
「早速行ってみましょう。ベリル、私の『杖』を取ってきなさい」
ベリルがあわててはしりだすのをみて、
「あたしが水晶林に入ってもみんなおこらなかったのに、どうして?」
ルリにはわけがわからない。
「ルリはいいの。でもね、今来てる人たちはちがうんだ。はっきりといやな気配があるんだよ」
「ふうん?」
「ルリ、ここでのんびりしているひまはありません。すぐに行きますよ」
コナーは立ち上がった。
***
水晶林近くの木陰から、三人と一匹は水晶林の気配をさぐった。どこからか男の声がする。
「禁足地、ってのは、なにかかくしておきたいから禁止されてるだけさ。そして、それはたいていお宝と相場がきまってらぁ」
がはは、と品のない笑い声をあげながら、男は大きく歩きながら一緒に歩いている男の肩を叩いていた。
「結界は? あの人たちが入ってこれないようにするための結界は、はれないの?」
あわててルリは口走った。
「ああいった人たちにはききめがありません。残念ですけれどね。ただし、こちらにはこちらの手段があります」
コナーに指示されて、ベリルが風をつかまえておいたロープをほどくと風が吹きはじめた。
「ベリル、もっと強く」
風はだんだん強くなる。
「あたしも風を呼んだほうがいい?」
「できるならお願いします。彼らにむかい風を吹かせて、ほこりをあびせて帰りたくなるようにしむけるんですよ」
「わかった、やってみる」
ルリが決心して、でも心細くて、アランをだいていようと思ったのに、アランはいつのまにかいなくなっていた。
「コナーさん、アランがいない」
「そんなことより、早く!」
仕方がないので、ルリは必死になって風を念じた。
森は、守ってみせる!
***
森の天気はくずれはじめていた。空にはどんよりと黒い雲がかぶさりはじめ、どこからともなく風が吹きはじめ、木々のおおいかぶさる道は暗くなってきていた。
「おい、なんか変だぞ」
気の弱そうな男があたりを見回して、大きい男に帰ろう、といいはじめた。
「ここまで来て帰れるか。おまえ、怖いのか? ただの通り雨だろ、気にするな」
「でもよぉ、ここって『見張りのいる森』なんだろ? 万が一、ってこともあるよなぁ」
「万が一? ってことは万にひとつだけだ。ということは、基本的に大丈夫、ってことだ。なぁに心配するこたぁねぇ、大丈夫だ」
「じゃあ、さっきまであんなに晴れてたのに、なんで今はこんなに暗いんだよ」
「木で太陽が隠れちまってるんだろう」
「雲が出てるのに?」
「おまえは心配性だなぁ、なに、すぐに晴れるさ」
ふたりは森の中を歩いていった。
ルリの横でコナーがなにやらぶつぶつと呪文を唱えている。ベリルは大きな風を選んで結び目をとくのに必死だ。ルリも必死に念じてみた。
風が強くなりはじめていた。
アラン、どこに行っちゃったのよ。
心配だけれど、この状況で動き回るわけにはいかない。あのふたりが水晶林に気づきませんように……! ルリはアランにもらったペンダントを握りしめて祈りながら風を呼んだ。
風はだんだん強くなってきた。
と思ったら、急に雨が降り始めて、空はいよいよ真っ暗になっていた。さっきまでの青空が嘘のようだ。
三人は幸いにも木の枝に守られて、あまり濡れない場所にいた。それでもこれはちょっと、といいたくなるようなどしゃぶりになってきて、しかも雨は風にあおられて、嵐になっていた。
「コナーさん、風呼ぶのやめちゃだめ? 嵐になってる」
「やめないでください。侵入者がいなくなるまでは、やめられません!」
コナーの術のせいか、三人には侵入者がはっきり見えていた。嵐になってきた、と気の弱い男が帰りたがるのを、大柄の男が笑い飛ばしている。
「通り雨だっていったろ」
雨はどんどん強く、大粒になっていった。風もどんどん強くなる。
ルリは、怖かった。こんな大嵐、体験したことなんかないのだ。怖くて、もう風を呼ぶのをやめていた。なのに、風はどんどん強くなっていくのだ。
どうしよう。
そんなルリの肩を、ベリルが抱いて、こっそりはなしかけてきた。
「おまえ、風呼ぶのやめてるだろ?」
「うん」
「おかしいな、俺も今はなにもしてない。なのにどんどんひどくなる。お師匠様はあいつらを迷子にさせて水晶林にたどり着かせないようにしているだけみたいなのに。なにか変だ」
「なにが?」
「わからない」
ベリルはそれきりなにかを考え込んでしまったようで、口を閉ざしてしまった。けれども、ルリの肩に手を置いて、大丈夫なんとかするから、と伝えてくる。
「きゃっ」
風にあおられてルリが体のバランスを崩しかけたとき、ベリルの腕がしっかりとルリを支えていた。
ベリルの腕がこんなにたくましく思えたのは、正直これが初めてだった。
ふたり組は、水晶林に近づいていく。
そっちにいっちゃだめ!
ルリは声にならない叫びをあげた、その時。
大風、といっていいのかどうか。すべてのものを吹き飛ばすような風と、川があふれたのではないかと思えるような雨粒が一気にあたりを包んで、なにも見えなくなってしまった。風と雨で目を開けているのさえ辛い。
ごうごうと空気がうなる。木々の枝がしなり、悲鳴を上げている。
森自体がうなっているかのようで、ルリは今までにない恐怖を感じた。
これはなに?
空気が、森が怒っている。
そうとしか表現しようがなかった。
空気が、いきなりなにかを見つけたように流れ込んでいく。
森がふたり組を襲った。
そう思った。
こんな怖い空気に襲われたら、人間なんて、ひとたまりもあったもんじゃない。
ルリは怖くて目をつぶった。
森は荒れ狂う。
人も動物も、生えている木々さえも折るかのように。
森という生き物がそこにいて怒っているようだった。
おそるおそる目を開けても、事態はなにも変わっていなかった。ただ、森が、ふたり組を嫌っているということだけはわかった。
ぶわん。
空気の塊が、ふたり組の荷物を吹き飛ばした。くわも、かばんも、コートも、みんな。
ふたり組は思わずあとずさる。
これでもか、これでもか、と空気の塊がふたり組にぶつかっていくのがわかる。
わかる、というより、感じる。
あの空気の塊は、森の怒り、そのものだ。
細身の男の足がういて、体が飛ばされそうになって大柄の男にしがみついた。なんとかふたりは飛ばされずにすんだものの、それでも空気の塊はどんどんぶつかっていく。彼らの服は裂け目がたくさんできていたから、ほほには傷さえあるだろう。
「もうそろそろいいでしょう」
コナーが茂みを出てふたり組の前に足を進めると、
「ここはあなた方の来るところではない。そうそうに立ち去るがいい」
深く、はっきりとした響く声で言い放った。空気がうなっている中でコナーの声だけが聞こえるというのも、森の意志だろうか。
「おまえか、この仕業は」
男はコナーをきっと見据えていったけれど、声は半分以上も風に飛ばされた。
「あなたがたはこの森に入るべきではない。即刻立ち去りなさい」
「この、時代遅れの魔術師め」
「そんな言葉は無意味です。立ち去りなさい。今ならまだ間に合う。この森が禁足地であることはあなた方も知っているはず。それを破ってこの程度ですむとお思いか」
コナーの眼光は鋭かった。
にらみ合いが続いて、コナーの姿がだんだん大きく見えるような気さえしてきた。
「さぁ、立ち去りなさい」
コナーの声は大きく太く響いて、ふたり組は始めはじわじわと、けれど、だんだんとまるで風に飛ばされるように走って去っていった。
***
ふたり組がいなくなっても、森の怒りは収まらなかった。
どうすればいいんだろう。
思わずベリルを見た。
「こういうときは歌を歌うんだけど……。どうしたらいいんだろう」
「歌? そう、精霊の心を静める歌、ってのがあるんだ」
「歌わないの?」
「俺ぐらいの歌で静まるとは思えなくってさ」
ベリルの戸惑いが伝わってくる。
「ベリル! 歌いなさい」
コナーのはっきりした声におどろいたベリルはたちあがると、歌を歌いはじめた。
「ベリル?」
ルリにはわけがわからない。コナーの方をふりかえってみるとコナーはふたりの方に戻ってきていた。
「ようやく帰ってくれましたね。もう安心です。あとは森のほうだけですね」
疲れた顔に笑顔が浮かんだ。ベリルの声は大きくて、最初はびっくりしたものの、その声はとてもきれいだった。
「ベリル、もっと大きく!」
コナーの指示が飛んだ。
「コナーさんは歌わないの?」
「今から私も歌います」
コナーの歌が森に響くが、ベリルの声は風にかき消されそうになっていった。嵐はおさまらない。
「これは、少々やっかいですね。いつもと違う」
コナーの顔には焦りが見えはじめていた。
「どうしたの?」
「いつもなら、これほど嵐はひどくならずにおさまるんですが、今日はなんだか様子が違うようです」
「森になにかが起きてるの?」
「そう、ですね」
コナーはなにかを考えはじめた。
けほっ、とベリルが咳をした。疲れて息が続かなくなってきたようだった。
「おまえかわってくれ」
「え、あたし?」
「そうだ。俺がさっきから歌ってる歌だ、もう覚えただろう? かんたんな歌詞のくりかえしだからむずかしくない。ちょっと交代してくれ」
それだけいうとベリルはすわりこんでしまった。
「わ、わかったわ。とにかく歌えばいいのね?」
ベリルがなにもいわずにうなずくのをみて、ルリはさっきまでベリルが歌っていた歌を、ペンダントをにぎりしめながら歌いはじめた。
***
ルリの声は思った以上に森に響いた。ぎょっとして歌うのをやめようとすると、コナーからもやめないようにいわれて、どきどきしながらルリは歌い続けた。
するとどうだろう、雨が小降りになり、風が弱くなりはじめた。
「信じらんねー」
ベリルがぼそっとつぶやいて、コナーと目を見交わした。ルリが続けて歌うと、だんだんと嵐はおさまり、元の静かな明るい森になっていった。
「もういいですよ、ルリ」
おだやかなコナーの声に、ルリはようやく歌うのをやめた。
「驚きました。ルリ、あなたは詩人の才能もあるんですね」
「詩人?」
「そう。詩を歌うことによって神々や精霊たちの怒りを静める人のことです。私たちは術のひとつとして歌っているにすぎません」
「はぁ」
いたってまじめにいうコナーに、うなずいているベリル。ルリにはどうしようもなかった。
「詩人、ねぇ」
半分妖精で、風使いで、さらに詩人とこられては、ルリにはもうなにがなんだかさっぱりわからなかった。
「ちょっとまって、いま、精霊たちの怒り、っていった?」
「ええ、いいましたよ?」
「じゃあ、もしかして大嵐を起こしてたのは」
「そう、ぼく」
頭の上から声がして、ルリが上を見ると、木の枝にアランが乗っていた。
「アラン! どこにいってたのよ、心配したんだから」
ルリはアランにむかって大声を上げる。
「ルリ!」
アランはそうさけぶと、ジャンプしてルリの腕に飛びこんできた。
「うーん、話の論点がずれている」
ベリルがぼそっとつぶやいた。
「アラン、今回はちょっとやりすぎましたね」
「えへへ、ごめんね。せっかくルリとなかよしになったばっかりだったのもあって、はじけちゃった」
「はじけちゃった、って」
ルリとベリルは同時にいうと目をあわせた。
「びっくりしたぁ」
緊張がとけてルリがその場にすわりこもうとしたところに、
「気をつけろ、ぬれるぞ」
とベリルの声が聞こえて、ルリはよろめいた。
「あ、ありがとう」
「おまえ、すごいやつだな」
ベリルがはじめてルリをほめて、ふたりの目がはじめてちゃんと合った。その言葉にルリがほほを赤くしたのを見て、
「だって、みんなぼくの友達だもん」
アランがにぱっと笑いながらいい、その場に笑いがこぼれた。
「ルリ、真剣に私のところで修業してみませんか」
コナーが真面目な顔をして言うのに、
「あたし、今のまんま、みんなでいられたらそれでいいや」
と笑ってごまかした。
「ルリ、ありがとう、君もぼくと一緒に森を守ってくれたんだね」
アランがほほえむ。
「うん、あたし達の大事な森は、あたし達で守らないとね」
雨上がりの小枝が、太陽の光をあびて輝いていた。
その時、いきなり大きな風が吹いて、アランが転がったかと思うとそのまま風に飛ばされて空に舞いあげられてしまった。
「アラン!」
コナーの声は今までに聞いたこともないくらい切羽詰まって大きくて、ルリとベリルは空を見上げて呆然としてしまった。
「ルリ! やりすぎだ」
「今のはあたしじゃない。本当よ」
小さな言い争いに意味はない。アランは一体どこに飛ばされていったのだろう。
「ふたりとも、追いかけますよ」
コナーは必死に落ち着こうとしていた。
***
ひゃああああ。なにこれ。
驚いたのは最初だけで、風が下からどんどんわいてきて、まるで空気のクッションに乗っているような感じがして、アランはちょっと楽しくなっていた。
なぁに、誰かぼくを呼んでるの?
風はアランを傷つけようとはしなくて、どこかに運ぼうとしているようだった。けれどアランに思い当たるところはなくて、だからといってどうすることもできなくて、この空の旅を楽しむことに決めてしまった。
あせったってどうにかなるもんじゃないし。帰り道も大体わかるからなんとかなるよ。
アランは気が長い。
風の力が弱くなってきて、ぽふ、ととある木の上に降ろされたアランは、それでもほうっと一息ついた。風の目的地はこの辺りらしい。周りを見ると森の緑のじゅうたんの上にいるような気がして、空の青と木々の緑、太陽の光がとても気持ちいい。ひなたぼっこには最適な場所に違いない。と思ったら、近くの枝に乗ったまま昼寝をしている仲間を発見してしまう。
お友達?
見た目はアランとほぼ同じ生き物が上手にバランスをとったまま寝ている。器用なのか、慣れているのか。それにしても少し変わり者かもしれない。気持ちよさそうに寝ているので声をかけるのもためらわれて、起きるのを待つことにした。それまでひなたぼっこの続きをするのも悪くない。
「ん〜、だれ〜」
アランの気配に気がついたらしく、相手はもそ、と起き上がった。
「あれ〜、ぼくがいる〜」
起き抜けよろしくぼーっとした顔でアランに声をかけてきた。
「こんにちは。ぼくアラン。君は?」
「鏡じゃないんだ。ぼくはトーマ。はじめましてだよね。どこからきたの?」
「南から、風に運ばれて」
「面白い特技持ってるんだね。すごいな。これからも遊びにおいでよ。一緒にひなたぼっこしようよ」
「うん。トーマも遊びにおいでよ」
「うん」
「風は僕が起こしたんじゃないんだ。誰かがぼくをここに呼んだみたいなんだ。君じゃないの」
「僕寝てたから知らないよ」
「そうだよねぇ」
二匹はそっくりな顔でそっくりに不思議そうな顔で考えたけれど、なにもわからない。そよそよと流れる風が気持ちいいばかりだ。
「ねぇ、なにか聞こえるよ。トーマは聞こえない?」
「え?」
「誰か泣いてる」
二匹が注意深く耳をすませてみると、少ししゃくり上げながら泣いている誰かの声が聞こえた。
「ほんとだ。下からみたいだよ。降りてみよう」
とててて、と二匹はまたもや器用に木を走り降りると、あたりを見渡した。うっそうと茂る森の奥深くだから、木が多すぎて見渡しは悪い。
すこし歩いてみると、声がはっきり聞こえてきたので二匹は急いで声の元に走ってみるとそこにいたのは、
「あれ〜、またぼくがいる?」
二匹にそっくりな、でも二匹の首ぐらいまでしかない小さな生き物。
「チビちゃん、どうしたの」
「ぼく、ぼく……」
「泣かなくていいんだよ。なにがそんなに悲しいの」
「きがついたらここにいたの。くさやはながなまえをきいてくれるんだけど、ぼくはぼくのなまえをしらないの。こたえられないのがかなしくてたまらないの」
「チビちゃん、泣かないで」
この小さい生き物は、多分生まれたばかりなのだろう。漠然とした自然の意識から、自我を持つようになって身体を持ったばかりで、なにもわからない状態が不安になってしまったらしかった。
「ぼくたち、友達になれるよ。三匹ともそっくりだから仲良くなれるよ。ね」
「チビ、ってぼくのこと?」
「そうだよ、ぼくたちより小さいから」
「ぼくの名前はチビっていうの?」
「それは違うんじゃないかな」
「ちがうの?」
また泣きそうになったのを見て、アランがあわてて言葉をはさむ。
「ぼく、風に運ばれてる時に、風の言葉を聞いたの。野うさぎみたいな小さな小さな森の子が泣いてるよって」
「野うさぎ……小さな森……ってハーリー?」
「うん、そう」
「じゃあ君の名はハーリーだね。よろしく」
二匹に笑いかけられて、ハーリーがぱあっと笑う。その笑顔はなによりまぶしくて、つられて近くのつぼみがほころんだ。
「かなしくてたまらなかったときに、かぜがたすけてあげる、っていってくれたの。おにいちゃんたちをよんでくれたんだね。ぼくうれしい」
「アランー、どこにいるのー」
ルリの声が聞こえてきて、アランはぴくっと耳を立てた。
「アラン、人間の友達がいるの?」
「大丈夫、優しい人たちだから」
「ここだよーっ」
身体の小さいアランは人間からは見つけにくい。そこでアランは隠し持っていた星くずのかけらを振りまいた。暗い森の中でそれはキラキラと輝いて、ルリ達三人のいい目印になってくれる。
「よかった、無事?」
息を切らしながらたどり着いた三人は、アランとその友達二匹に目を丸くした。
「そっくり……」
ベリルが漏らした一言に、
「ぼくたちお友達になったの。大きい方がトーマ、小さい方がハーリーだよ。すごいでしょう」
自慢気に紹介するアランは、自分が風にさらわれていたことなどすっかり忘れているようだ。三人達が怖くないのを確認して二匹はほっとため息を漏らしたのにアランはそっとほほえむ。
「アラン、心配しましたよ」
コナーの言葉にようやく思い出したのか、
「そうだった。忘れてた。ハーリーが寂しがって呼んだみたいなの。一緒にいてもいいかなぁ」
「ハーリーがいいなら」
「ぼく、お兄ちゃんについてく」
「トーマもおいでよ」
「ぼくは森からでないよ?」
「大丈夫、僕達は森に住んでるんだよ」
「ならいいかな」
「よかった、星くずのシロップがちょうど六杯分余ってるんですよ。みんなでお茶会にしましょう」
「星くずのシロップ?」
「私達のお茶会の必須アイテムですよ。一緒にどうですか」
三人と三匹はほほえんだ。
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