56人が本棚に入れています
本棚に追加
笹野さんは素早く立ち上がり、ウッドデッキの上に置きっぱなしになっていた大きなシャベルを握った。そして野球バッドのように構え、窓ガラス目がけて思いっきり振り切った。
「そのお茶、毒入りだから飲んじゃだめえ!」
そうか。そうだったのか。スズランは室内にあったんだ。
シャベルがぶつかって、窓ガラスに大きなひびが入った。防犯ガラスじゃなかったら、笹野さんはガラスを浴びていただろう。
もうひと振りしようとした彼女を、後ろから抱き止めた僕は、ひびの入った窓ガラスの向こうにいるあいつらと目を合わせた。
「待って、窓は開いているから」
驚いて口をあんぐり開けた会長は、手に持っていたティーカップをごろりと転がすようにテーブルに戻した。その横で、母は僕の顔を見てにっこりとほほ笑み、ティーカップを、そのまま口へと運ぶ。
「やめて! 母さん。飲まないで!」
僕の声で我に返ったのか、会長が母の口にしたティーカップを手で払いのけた。ガシャンと音がして、ティーカップは、毒のハーブティーを撒きちらしながら砕け散った。
掃出し窓を開け、部屋の中に飛び込む。
「母さん、すぐに救急車を呼ぶから!」
動揺して上手くスマートフォンの操作ができない僕の後ろで、笹野さんが冷静に番号を教えてくれる。
「大丈夫よ。ただのハーブティーだもの。救急車なんて呼んだら、怒られちゃうわ」
「でも、スズランが」
笹野さんが言うと、母はテレビボードの隅を指さした。
「スズランなら、ちゃんとあそこにあるわよ」
テレビボードの上には、スズランの小さな鉢植えが置かれていた。
「羽風、だめよ。お母さんのスマートフォンを勝手に盗み見たり、レシートを盗んだりしちゃ」
嘘だ。全部気づいていたなんて。
「羽風は賢いから、きっとお母さんのしようとしていることを、理解してくれると思ったの。笹野さんから、夏菜子ちゃんは、昔から毒植物の図鑑を見るのが好きだって聞いていたしね」
「窓ガラスを割ってしまって、ごめんなさい。お父さんが弁償します」
「夏菜子ちゃんも、面白い子で嬉しいわ。ガラスくらい大したことないからいいのよ」
ふふふと目を細め、嬉しそうに母は笑う。
「最初から、誰も殺す気なんてなかったんだ。どうして母さんはいつもそうなんだよ。みんなを振り回して」
僕たちを振り回して喜んでいる母に対して、猛烈に腹が立ってくる。
「羽風が最近お母さんに冷たいから、ちょっと意地悪したくなっちゃったの。笹野さんの気持ちも確認したかったし」
「僕たちが庭にいるのに気づいていたんだ……」
「きなこが甘えた声で鳴くのは、羽風だけだもの。すぐにわかったわ」
くすりと母は笑って言う。
「僕が母さんの思惑通りに動いていたのが、嬉しかったの? 笹野さんのことだってそうだ。母さんが本気で好きになったんだったら、仕方ないって思っていたのに。こんなことして、上手くいくはずもないだろ!」
腹の底から湧きあがってくる怒りを堪える為に、僕はぎゅっと拳を握りしめた。
「一体、どういうことなんだい。それに、どうして夏菜子がここにいるんだ」
一人置いてきぼりにされ、茫然としていた会長が、笹野さんを見て訊いた。
「お父さんこそ、どうしてここにいるのなんて、私に訊ける立場なの? 私に何か言うなら、全部お母さんに言うからね」
「それは……」
気まずそうな顔をして、会長は下を向いてしまう。
不倫相手に愛を囁いているところまで聞かれていたんだから、言い訳のしようがないだろう。
最初のコメントを投稿しよう!