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1 耐え切った瞬間の形相がすごい。
ずっと不思議に思っていたことがある。
もし晴れ男と雨女が一緒にいたら、どっちが勝つんだろうと。
その答えは意外なところで知ることになった。僕が好きになった人が雨女だったからだ。
あの日も、雨が降っていた。
土砂降りの雨である。ゲリラ豪雨というやつだ。
天気予報では降水確率は0%だったはず。ほとんどの人が傘を持っていない。僕だって持ち合わせていなかった。
店に入る前は、あれほど晴れていたはずなのに、今の空は厚い雲に覆われている。雨宿りをしている人は、いつ雨が止むのだろうかという表情で空を見上げていた。
アーケードの出入り口に目をやると、ずぶ濡れの女性が、雨の中を走ってくるのが見えた。
持田さんだ。
同じ営業部の先輩だが、一緒に組んで仕事をしたことはない。いつも営業成績のトップで表彰されている人だから、名前と顔だけはよく知っている。
今日の持田さんは淡い水色のワンピースを着て、大きな紙袋を手にしていた。知り合いの結婚式にでも出た帰りなのだろうか。
ようやくアーケードに入って二、三歩進んだところで、持田さんはつまづいて転びそうになったが、とっさに足を出して転倒するのを回避したようだ。耐え切った瞬間の形相がすごい。ついじっと眺めていたら、冷たい視線で睨まれた。
「なに見てんのよ」
「す、すみません」
僕はあわてて目をそらす。
持田さんは薄い水色のロングスカートの裾を、お姫様のように持ち上げながら、フラメンコダンサー並みに力強い足さばきで、こちらに向かってくる。二度と人前で転ぶものかという強い意志を感じる。威圧感がすごい。
スカートの生地が雨に濡れているせいか、ぴったりと体に張り付いていた。やけにエロい。僕は生唾を飲み込んでいた。
「神崎。さっきからなんなの」
「いえ、なんでも」
「悪かったわね。スカートなんて履いたの、高校の制服以来でね。慣れないことするもんじゃないわ、ほんと」
背が高くてショートカットの持田さんは、会社ではいつも黒かグレーのパンツスーツ姿で、いかにもキャリアウーマンという服装をしていた。いわゆる宝塚の男役なタイプだ。背が低い上に童顔の僕と並ぶとまるで親子だった。
「言われなくてもわかってるよ。デカイ女がこんなワンピース着ても似合ってないってことぐらい」
「そんなこと言ってませんから」
必死に僕は首を振るが、心の中を探るように持田さんにじっとりと睨まれた。
「そ・の・目が言ってんのよ」
だとしたら、僕がいかがわしい気持ちで見ていたこともバレたのだろうかと、密かにドキドキしていた。
持田さんはため息をついた。
「私、雨女なんだよね。致命的なまでに。だから行きたくなかったのに。ほんと最悪」
持田さんは濡れた髪をかきあげる。
「オープンカフェ形式の披露宴なんて、嫌な予感しかしないでしょ。なのに高校時代のバレー部の先輩だし断りきれなくて。で、このざまですよ。台無しにしちゃったよ」
持田さんはおどけたように笑う。
「奥さんがすんごい睨んでる気がして、いたたまれなくなって。披露宴の途中で出てきちゃったよ」
こんなに自信なさげな持田さんを見るのは初めてだった。
「もしかして、その先輩のこと、高校時代に好きだったりとか」
持田さんがハッとしたように僕を見た。図星だったようだ。だとしたら、確かにいろんな意味でいたたまれないだろう。
「だったら僕を呼んでくれればよかったのに」
「神崎を呼ぶって、なんでそんなこと」
「僕、晴れ男なんです。ほら晴れてきましたよ」
雨が小降りになり、雲の切れ間から天使の梯子のような光が差し始めていた。
「ほらって言われてもなぁ。時間が経ったら、いずれ晴れるに決まってるじゃないか」
「でも雨はいずれ止むから雨なんです。降ったり晴れたりするからいいんじゃないですか」
持田さんが首を傾げている。こいつ頭大丈夫かと言いたげな表情だ。
「なに当たり前のこと言ってんの」
「そのバレー部の先輩だって、滞りなく終わる普通の披露宴より、大雨に降られて散々だったねと笑い話にできる披露宴のほうが、印象に残ると喜んでるかもしれませんよ」
人は順風満帆に進んだ人生よりも、波乱万丈な人生のほうを強く記憶するものだ。変化のない人生なんて、緩やかな死と同じだ。
「今日の雨も、別に先輩のせいじゃないです。どこかの誰かが、花に水をやるのが面倒で雨乞いでもしてたんですよ」
「なんだそれ。慰めてるつもりか」
大事な場面に限って理不尽な目に遭う人というのはいるものだ。今日のゲリラ豪雨だって、他の日だったら持田さんはこんなに悲しい思いをしなくてすんだはずだ。
後悔しない人なんていない。ああすればよかった、こうすればよかったなんて、自分で考えても仕方がないことで、みんな悩んで勝手に傷ついている。
「雨女って能力者みたいで、キャラが立ってていいんじゃないですか」
「良くないよ。大きなイベントが雨天中止になる度に、罪悪感でいっぱいなんだよ」
「持田さんって、もしかして仕事以外だと案外ネガティブなんですか」
「余計なお世話だ」
「てっきり鋼の心の持ち主だと思ってました」
「人を化け物みたいに言わないでくれるかな」
だめだ。元気付けるつもりが、余計に怒らせているような気がしてきた。
焦って空回りをしているうちに、いつもなら言わないようなことまで口にしていた。
「前から一度、晴れ男と雨女が付き合ったらどうなるのか気になってたんですけど、僕たち付き合ってみたりしませんか」
「……頭大丈夫か?」
持田さんは怪訝な顔をしている。
「いやその、恋人とかじゃなくて、お仕事上のバディとして付き合うみたいな。って、やっぱり営業成績でパッとしない僕となんて組みたくないですよね」
「変なやつ」
持田さんが少し笑った。いつものキリッとした雰囲気とは違う。子犬や子猫を見ている時のような優しい表情だった。
こんな風に笑う人なのか。僕は持田さんのことをもっと知りたいと思った。
「別にそんなに卑下することはないよ。神崎は今年入った新人の中では、仕事ができてるほうだ」
きちんと僕の仕事を見ていてくれたのか。嬉しくて今の僕なら一センチぐらい地面から浮いているかもしれない。
「なら……今度誘ってくださいよ。どうしても晴れて欲しい大事なイベントがあるときは。僕が一緒にいれば少しは晴れる確率が上がるかもしれませんし」
「……わかった。覚えとく」
「いつでも呼んでください。お日様連れて行きますんで」
「何言ってんだ。お日様はいつだって空にいるだろ。空の上で雨雲が邪魔してるだけだ」
そう言って笑った持田さんは素敵だった。
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