10.そして、これから

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10.そして、これから

 日向は変わった。  純也は何故だかそんな、漠然としたイメージを抱くようになっていた。  彼女の何が変わったのか? 大人しくて控えめな性格の彼女が……何というのだろうか。ちょっと積極的になったような、大胆になったような、そんな気がするのだった。 「純ちゃん、おはよ」 「おはよ」  朝。純也が自宅の玄関のドアを開けると、そこには日向がいた。今日もコンタクトをつけていて、スカートをいつもよりもだいぶ短めにしていた。そして髪には、可愛らしいバレッタ。 「いこ」 「うん」  物静かな彼女のイメージが、活発なものへと変わった。何だか、イメチェンでもしたかのような華やかさを感じる。 「ねえ、ひなちゃん……。わっ」 「なあに?」  自宅を出て少しばかり歩み出す。すると日向はごく普通に、純也の腕を掴んで、組んでいた。まるで、仲睦まじいカップルのように。 「……ど、どしたの?」 「彼氏さんと腕組んじゃ、ダメ?」  否定されるのかなと思っているのか、残念そうな表情の日向。それを見て、純也は慌てる。 「いいいいややややっ! だだだ、ダメだなんて滅相もない! 大歓迎ですよ大歓迎! 大歓迎ですとも! 腕ぐらい、いくらでも組んでいこうね!」 「よかった」  にっこりと笑顔になる日向。 「でも、ホントにどしたの?」  純也の問いに、日向は答える。 「ちょっとね。イメチェンでもしようかなって思って」  ああ、やっぱりそうなのか。自分が想像していたことが間違っていなかったことを、純也は実感した。 「あ、でもね。眼鏡のクラス委員長さんスタイルは、そのうちまた見せてあげるよ?」 「そ、そうなの?」 「うん。そう。ほら、早く行こ」  日向がどうしてイメチェンをしようと思ったのか? その理由を聞こうとしたけれど、彼女がちょっと強めにぐいぐいと引っ張っていくものだから、結局聞きそびれてしまった。  子供の頃からずっと、純也と紗理奈の後ろを一生懸命くっついてくるような性格の彼女が、今では逆にぐいぐいと純也を引っ張っていくようになっていた。これは、今までにはなかったような出来事だった。 (イメチェン、か)  一体どういった心境の変化なんだろうか? その答えは、午後まで持ち越されることになるのだった。 ◆ ◆ ◆ ◆  ――お昼時。日向は先生に呼ばれていて不在。  純也は、紗理奈と優子と一緒に教室でパンを食べていたのだった。とはいえ今日はもう、午後の授業もないので、後は帰るだけの自主解散状態。誰もがリラックスしていた。 「なんかひなちゃん。最近雰囲気変わったよね」  と、紗理奈が呟く。 「あ、やっぱり紗理奈ちゃんもそう思う?」 「うん。思う」  優子も紗理奈に同意していた。みんな、感じることは同じようだ。そして、日向が変わった原因は多分、目の前にいるこの人にあるんだろうなと思うのは当然のこと。 「何かあったのかな?」 「あったのかな?」  じーーーっと、二人の女の子に見つめられる純也。丁度、コンビニで入手しておいた焼きそばパンを食べようとして、あーんと大きく口を開けていたところだった。 「いやあのさ。二人が言いたいことはわかるけど、むしろ僕が知りたいくらいなんだけどさ……。何があったんだろうね」  そんな事を言ってすっとぼけても無駄だ。女の子の追求というものは、なかなかに鋭いものだ。 「純也。白状しなさい。何があった?」 「教えてほしいなー。沢村君」 「だから本当に知らないんだってば。……強いて言うなら。ああいや。なんでもない」  惚れ薬でも飲ませましたとでも言っておけばよかっただろうか?  やっぱり、あの日の夜のことかな? と、純也は思ったけれど、決して人に話す内容ではなかったからやめておいた。  懺悔します。私は数日前の夜。彼女を自分の部屋に連れ込んで、それで朝までひたすらお話をしました。あくまでお話をしただけです。……ちょっとだけキスして、添い寝しちゃったけど。信じてください。そう言えば納得してくれるかいな?  んなっ! そんなん、お話だけで済むわけがないだろ! なにをしたのか言え! とか、思われるだろう。どうせそうだ。純也には、邪な気持ちなんてまるでないのに、他人というものは勝手に解釈をして、誤解をしていくものなのだ。 「今何を言いかけた? 隠さず言えー」 「沢村くん教えてー」 「だめ。内緒」  それにしてもだ。あの時。二人きりでいっぱいお話をした時に、日向は何を感じたのだろうか?  二度目の告白をしてとお願いされて、純也は忠実に再現してみせた。勢いに任せて、キスまでしちゃった。それが、彼女に変化をもたらすきっかけになったのだろうか。 (でも、どうしてイメチェンなのかな?)  その理由がわからない。答えが気になる。聞いてみたい。けれど、本人がここにはいない。ああ、もどかしい。……まあ、もし仮に日向がここにいたとしても、二人きりで話せるところに移動することになるけれど。なにせ、女の子の噂話ってのは拡大するのが早いものなので。 (まあいいや)  今日はもう、学校もこれで終わりだから。日向を迎えに行こう。この焼きそばパンを食べ終えて、パックの牛乳を飲み干してから。純也はそう思った。 ◆ ◆ ◆ ◆  初恋は実らないものとは、よく言われることだ。無論、日向には納得がいかない。いくはずがない。初恋のカップルに対する風評被害だそれは。 (そんなことないもん)  もし、そんな事を誰かに言われたとしたら、そんなのは迷信だよと、日向は真っ向から反論することだろう。何の根拠もないことなのだと。それに……。 (私、純ちゃんとお付き合いするの、二回目になるもん)  お別れはしていないけれども、二期連続二回目だ。……って。選挙じゃないんだから。  何故ならば。彼に告白してもらったのは二回目なのだ! だから、これは初恋ではないんだ! ……ちょっと苦しい解釈だけど、自分がいいと思うからそれでいいんだと、日向は勝手に決めていた。そういうことならば、つまらない迷信に苛立つこともないだろうし。  朝、日向が出掛けにたまたま見ていたテレビの情報番組のワンコーナーでそんな、初恋についてのトークを行っていた。その中でとある芸人が何気なく口にした『初恋は実らないよねー』という言葉に、日向は思わずむきーーーっと頭に来てしまったのだ。なにそれー!? 違うもん! わかったようなことを言わないでよっ! と。 (純ちゃん……)  今でも思い出す。あの夜のこと。一緒に、側にいてもらって、二度目の告白をしてもらった時のこと。  感極まって、キスまでしてもらっちゃったあの瞬間を、もう二度と忘れたくないと思った。  純也のお陰で、最初の告白のことも、なんとなくだけど思い出せていたから、尚更だ。 (純ちゃんが彼氏さんで、本当によかったよ)  この、胸がどきどきしてときめく感じは、まるで色あせていなかった。少し思い出すだけでまた、心が暖かくなるように思える。 (早く、会いたいな。会って、お話したいな)  そんなふうに心が暖まる度に少しずつ、欠けてしまった記憶が補修されて、埋められていくかのように戻りつつあった。きっと、これからもまた、長い年月をかけてゆっくりと取り戻していくことになるのだろう。日向はそう確信していた。  そして、声が聞こえる。 「あ、ひなちゃん。いたいた」 「純ちゃん? どうしたの?」  日向は職員室に呼び出されて、担任から体調について色々と聞かれていたのだった。定期的に行われている、カウンセリングみたいなものだ。  それが終わり、日向は一旦教室に戻ろうとしていたところだったのだ。けれど、純也が来てくれたから、そのまま教室に寄らずに帰ることにした。 「聞きたいことがあってさ」  多分、何を聞きたいのかは想像がつくよと、日向は思った。それは、あれでしょ? 私が変わった理由でしょ? と。 「イメチェンの理由かな?」 「その通り。よくご存じで」  日向は最初から聞かれると思っていた。むしろ、聞いてくれないとちょっと悲しいな、とも。  でも、このことを聞いて欲しいのは純也だけ。仲良しの紗理奈ちゃんも優ちゃんも、今回はごめんねをしなければいけない、こればかりは、ちょっと教えられないんだといったところだった。 「ちょっと、変わってみたいなって。そう思ったの」 「そうなの?」 「うんっ」  日向は廊下を歩み始める。純也もそれに続く。 「私ね。少しずつ、いろんなことを思い出し始めているんだ。みんなのおかげでね。時々ね。あ、こんな事があった気がするなあ。あんな事もあったなあって。それが……あったような気がする、じゃなくて本当にあったことなんだって、最近思えるようになったんだ」  階段を降り、上履きから靴へと履きかえて、外に出る。冬の寒さが肌に感じられる。春はまだまだ先のこと。 「あの時ね。純ちゃんに、もう一度告白してもらって。それで、私ね……」  日向の長い黒髪が風に揺れている。  彼の優しさに触れ、段々と自分が元に戻っていく。そんな気持ちになれた。この感覚はきっと、今の自分にしかわからないのだろうと日向は思う。  そして、自分が少しずつ元に戻っていくのと同時に、これからの、新しい自分を見て欲しくなったのだった。日向の中で、そんな気持ちの変化が訪れた。 「もっといろんな私をね。純ちゃんに見て欲しいなって、そう思ったの」  好きな人にねと、日向は心の中で呟いた。 「そうなんだ」 「うん。だから、今はちょっとイメチェンって気分なんだ」 「よくわかりました」 「大したことのない理由でしょ。がっかりした?」 「とんでもない。嬉しいよ。いろんなひなちゃんを見られるなんて」  校門を出て、二人仲良く並んで道を歩く。 「あ……」  朝方とは違い、今度は純也の方から日向の手を握ってきた。そんな様に、日向はちょっぴり驚いた。 「イメチェンしてるひなちゃんは、可愛いな」 「そう? ……よかった」  ああ、そう思ってもらえるのならイメチェンをした甲斐があったかなと、日向は思う。  好きな人を、もっともっと好きになっちゃったから。だから、自分のことも、もっともっと好きになって欲しい。それも、イメチェンをしようと思った理由の一つだった。 「もしかして、狙い通りだった?」 「うんっ」  やったねと、日向はさりげなくガッツポーズ。 「そして委員長系から、ギャル系を目指す?」 「そこまではしないよ~」  限界はある模様。極端に変えるのではなくて、多様性が重要だよと、日向は思った。 「ねえひなちゃん。イメチェンするのならさ、一つお願いをしたいことがあるんだけど。いいかな?」 「何かな?」 「うん。あのね……」  唐突に、彼は言った。キリッと、真面目な顔で。 「プリギアのコスプレ、してみてほしいな」 「え? コス……? プリギア?」  何だろうそれはと、きょとんとする日向。純也が言うには……。 「要するに、アニメキャラの衣装を着てみて、写真とか撮らせてほしいんだ」 「アニメ?」 「そ。日曜日の朝。通称ニチアサという定番のやつ。日本を代表するアニメタイムでね。……ほら、うちのクラスに三人組がいるでしょ? 松竹梅なおめでたい名前のあいつらさ。実は三人でひっそりとアニメ同好会なんてのをやっててさ、コスプレ衣装なんかも作ってるわけ」 「へえ。そんな事してるんだ」 「お遊びなようでいて、これがなかなか本格的なやつなんだけど。……残念ながら、着てくれる人がさっぱりいなくてね。まあ、そりゃそうだよな」  モデルさんを募集したところで、誰もやってくれないのだと三人は嘆いていた。  そして同じく純也も嘆いていた。だからこそ、可愛い彼女さんにお願いをしてみたのだが、恥ずかしがり屋な日向は当時、なかなか首を縦に振ってはくれなかったのだった。 「そうなんだ」 「うん」 「ちなみにそれって、どんな衣装なの?」 「可愛いやつだよ。えーっとね。……こんな感じ。ほら、全然エッチだったり肌の露出とかは少ないから安心して」  純也は手早くスマホを操作して、出てきた写真を日向に見せていた。リボンとレースをふんだんに使った、ドレスのような、アーマーのような衣装だ。これこそが、小さな子供から大きなお友達まで広く人気のあるアニメの一キャラクター、らしい。 「あ、可愛いね」 「でしょ? これ。絶対ひなちゃんに似合うと思うんだけどさ。どうかなー。だめかなー」 「ありがと。……うん。いいよ。着てみても」 「そっかー。やっぱりだめだったかー。じゃあ、もしまた気が向いたら着てみて……って、えええっ!?」  何度か頼み込んでダメだったから、粘り強く交渉を続けようと、純也は思っていたところだったのだ。一度や二度の説得で受け入れてくれるとは思えなかったから、長期戦の覚悟でいた。 「どうしたの?」 「今、着てみてもいいって言った?」 「うん。言ったけど?」 「まじですか!?」 「どうしたの?」 「いやその。……だいぶ前になるんだけどね。同じようにお願いしてみて、ひなちゃんに断られたんだよ。コスプレなんて、恥ずかしいよって……。だから、やっぱりだめかなーって思ってた」  思い込みは禁物。こんなにもあっさりとOKを頂けるとは、純也も想像していなかったのだ。 「そうだったんだ。……うん。いいよ。やってみる。さっきも言ったけれどね。新しいことにね、いろいろ挑戦してみたくなったから。……その、こすぷれっていうのも、挑戦してみようかな」 「ありがとうっ!」  彼女の心境の変化に感謝! イメチェン最高! 純也はそう思った。 「でも私。そういうの、全然知らないから。どうすればいいのか、いろいろ教えてね」 「勿論! 手取り足取り教えるよ!」  純也は感激していた。  可愛い彼女が自分のために素敵な衣装を着てくれるなんて! 舞い上がるくらい嬉しかった。きっとあの三馬鹿達も大いに喜んでくれることだろう! ひなちゃんに感謝しろよてめぇら! と、思う。今日は本当にいい日だ! 最高だ! 「純ちゃん」  二人は並んで道を歩む。日向は純也に打ち明ける。 「私ね。さっき、少しずつだけど、忘れていたことを思い出しているって言ったけど。それで、ね」  風に揺れる髪を片手で押さえながら、日向は続ける。 「一度目のこと。純ちゃんが最初に告白してくれたときのことも、実はもう、だいぶはっきりと思い出せたんだ」 「え……?」  日向はふふ、と微笑んだ。  二度目の告白と併せて、相乗効果が生まれた。その証拠に……。 「それでね。私。純ちゃんのこと。……もっともっと、好きになっちゃったよ」  日向は素直な気持ちを言葉にして、純也も嬉しそうにしながら頷いた。シナジー効果ってやつですかそれは、とか思いながら。 「僕も。ひなちゃんのこと、もっともっと好きになっちゃった」 「よかった」  寒いながらも陽光が差し込む中、二人は歩んでいく。桜並木の通りはもう何ヵ月かしたらきっと、華やかな雰囲気に溢れていくことだろう。 「純ちゃん。帰ろ」 「うん」  やがて、あの事故が起こった横断歩道を通っていく。今度は、暴走する車も見当たらない。当たり前のことだ。安全運転は大事。  そういえばと純也は思い出す。いつだったか、ひき逃げの犯人はさりげなく捕まっていたとかそうで、保険会社と親がいろいろとやりとりをしていたっけな、と。まったく迷惑な。しっかりと反省してほしいものだと、純也は思った。 「もうすぐ、三年生だね」  純也が言う。気がつけば二年生になってから、あっという間だ。 「うん。受験……頑張ろうね」 「気が重いなぁ」  とりあえず純也は、入れればどこでもいいからということで、進学をすることにしているのだった。日向が志望する大学に行けるかどうかは、正直なところわからない。トライしてみるつもりではあるけれども……。 「ひなちゃんは、大丈夫なの?」  精神の負担になったりしていないかと、純也が心配するけれど、問題はないとのこと。 「うん。私は大丈夫だよ。……少しずつ、思い出せてきたからね」  純ちゃんのおかげでねと、日向は思う。 「もうすぐ、クラス替えだね」 「また、ひなちゃんと一緒のクラスになりたいなぁ」  多分それは大丈夫だろうと、純也は思っていた。日向の立場がとても特殊なだけに、先生達も純也のようなのをくっつけておいた方がいいかな、とか言ってくれていたから。 「ひなちゃん。今度、春になったらお花見しようね」 「うんっ」  そして、もっともっと二人で追憶の時を過ごして、大切なものを取り戻していこう。 「あ、でも。その前にね。ひなちゃん」 「その前に?」 「ケーキ屋さんに行こうよ。事故に遭う前、一緒に行こうって約束していたんだよ」 「そうだったんだ。行く行く~」  甘くておいしいケーキを想像して、端正な顔をほころばせる日向。  他愛のないことを話しては、笑い合う。それだけで、失われた何かが少しずつ戻ってくるように思える。  光の中、二人は共に歩んでいく。更なる追憶に浸って、多くを取り戻すために。  もっともっと、お互いのことを好きになるために。
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