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3.記憶のかけら
あの事故から数週間が過ぎた頃の事。純也は外出をしていた。とある人物に会うために。
「やア純也」
「あ、えーさん。こんちわっす」
純也が近所の酒屋さん『藤乃酒店』の前に立ったところで、紗理奈の兄、えーさんこと藤乃栄次郎氏に会ったのだった。
栄次郎は今日、何やらいいことがあったみたいで、とっても上機嫌なのだった。普段からいつもにこやかでフレンドリーで穏やかな人柄なのだけども、今日は特に嬉しそうだ。何があったのだろうか? 純也が疑問に思うまでもなく、栄次郎お兄さんは教えてくれた。
「聞いてヨ聞いテよ純也。今日はネ。とっテも珍シい、イいお酒が入っタんだよ~」
「そうなんですか」
すらっとした長身、そして紗理奈と同じく神秘的な青い瞳を持つ美青年。栄次郎お兄さんはそんな、まるでモデルや役者のように整った顔立ちのイケメンさんなのだった。
当然のことながら、ご近所さんにも栄次郎のファンは多い。酒屋という仕事柄、配達などで広く顔が知れてるから尚のこと。年配のおばさんから小さな子供、若い女性にと、幅広く人気が高いのだった。
「いヤ~。幻ト言われてるウォッカを偶然手ニ入れることガできたんダよ~。うれしいヨ~。是非純也ト一緒に飲ミたいナ~」
「あのー。僕、未成年なんすけど……」
「ノーのーノーのー! 未成年関係ないヨ純也! ロシアじゃお産直後からウォトカで一杯やってるヨ! 日本人ハお酒飲むの遅すぎネ!」
栄次郎も紗理奈も、お婆さんがロシアの方なのだった。青い目をしているのは、その為のようだ。
「何だかすげーうさん臭い説っすね、それ。子供の頃からっていうのはまあ、なんとなくありそうだけど、お産直後ってのは流石にどうかと思いますが。産湯がウォッカじゃないんですから」
残念ながら、純也の指摘はあまり効果がない模様。
「ホントだよホント。と、いウわけでさサ、景気付けに一杯ドーぞ」
「だからここは日本なんですが」
「ダイジョーブだいじょーぶ。今はグローバルスタンダードな世界なんだかラさ」
「わけわかんねっすよ。そして大丈夫じゃねえっすから。いい加減しょっ引かれますよ?」
彼はどうしても純也に酒を飲ませたいらしい。それにしてもと、純也は思う……。
(この人はどうしてこう、どこかカタコト風な喋り方なんだろうか? 日本語についてはネイティブらしいのはずなのになぁ)
このように、美形で長身だろうと、はたまた高学歴で頭が良かろうと、少女漫画に出て来そうな白馬の王子的なツラをしていようと、栄次郎本人は一向に気にせず、非常にマイペースな性格なのであった。
「そ、それはそうと。紗理奈います?」
酒屋の隣には、栄次郎と紗理奈の父親が店主を務めている焼き鳥屋があり、その裏が彼らの住居になっていた。純也が訪れたのは藤乃家なわけで、会おうとしていたのは他でもない、栄次郎の妹である紗理奈なのであった。
「紗理奈? 今チょっと出掛けてルみたいだヨ?」
「そうですか」
「日向ちャんのことカい?」
「ええ。これから、紗理奈と一緒にお見舞いに行こうかなーって思って」
「ソっか。事故、大変だったミたいだネ。でもホんト。二人共、無事で良かったヨ」
「……ええ」
いつもおちゃらけた栄次郎も、話題が話題だけに真面目な顔をしている。
「デも、お見舞いナら純也一人で行ってもイいんじゃないノかな?」
「あー。それはちょっと」
「何カ問題でもアるのかな?」
「そりゃ。ひなちゃんは記憶を失っていて、彼氏の僕だって今のひなちゃんにとっては赤の他人ですからね。一対一で会うと不安になっちゃうんじゃないかって思って」
だから、女の子の紗理奈が側にいてくれないと困るというわけだ。
「ンー。そんなことはナいと思うよ?」
「そうですか?」
「うン。純也ナら大丈夫大丈夫のノープロブレムあるヨ!」
語尾に○○アルヨって。本当に言うものなんだと、純也は思った。
「あんた一体どこの人なんすか」
「どこっテ? 僕はロシアとジャポーンのブレンドだヨ?」
「ブレンドて。コーヒーじゃないんすから」
既に、国籍不明の怪しい外人状態な栄次郎お兄さん。
「まあそれはともかく、どうして僕が一人で行っても問題無しなんです?」
「紗理奈から聞いたんだヨ。日向ちゃんを勇気ヅけてあげたってコと。純也ハそういう細かイ気配りをしてくれる優しい人なンだから、日向チゃんが不安に思うわけナいよってネ」
「そう、ですかねぇ」
「大丈夫ダいじょーブ。ああそウそう。ヲ見舞いに行くって紗理奈も言っテいたから、いイものを用意しておいたんダ。取ってクるからちョっとまっててネ~」
突如、店の中に駆けていく栄次郎。それからすぐに戻ってきて……。
「何ですか?」
「これコれ! これだヨこれ!」
でんっと置かれたもの。それは。
「……。えーさん」
「すごいデしょ。僕も日向ちゃんのお見舞いに行きたいンだけど、なカなか手が離せなくてネー。純也、僕の代わりニ持って行ってあげてネ」
えっへんと胸を張る栄次郎。
「……つつしんで、返品致します」
「えェ~! どうしてなンだい~!」
「あのね……。何度も言っていますが、僕もひなちゃんもまだ未成年なんですが! っていうか、何度も申し上げていますが日本の法律で未成年はお酒を飲んじゃだめなんですってばさ! わかってよえーさん!」
何度言ってもなかなか理解されない。純也はため息をついてしまう。
「シってるヨ。ダから今度はジュースを入れて、結構フルーティな口当たりニ改良してミたよ」
「そういう問題じゃなくてですね……。アルコールが入っていたらその時点でダメなんですってば。それに……」
「うーん。美味しいのになァ」
「あのお酒。入ってるでしょ?」
「モちロんサ!」
あのお酒とは、とても強いお酒。栄次郎にとっては定番の一品。
「焼酎ト日本酒もばッちり入っテるヨ!」
そういう問題ではありませんと、純也は思った。
「いやその、美味しいとかまずいとかの問題じゃなくてねっ! スピリタスと焼酎と日本酒のブレンドカクテルはないっしょ! それも未成年で女子高生の女の子にっ!」
栄次郎は、自身のオリジナルカクテルを作るのが趣味であり、日々研究にいそしんでいるのだ。……だが、そのセンスには少々……いやいや、かなり難があるのだった。純也は思い出す。あれはいつのことだったか、と。
◆ ◆ ◆ ◆
紗理奈の自宅にて。是非お見せしたいものがあるとかで、純也と日向は栄次郎お兄さんからのお招きを受けていた。
『ふっふっフ。ついにできたヨ。僕ノ自信作! 研究に研究ヲ重ねた新型カクテル改っ!』
(新型なのに改……。一体イキナリ何を改めたんだろう?)
カクテルグラスには謎の透明な液体に加え、レモンが刺さっていた。
『綺麗な色ですねー』
『でしョでしョ! コの色、僕も気に入ッてるんだヨ~』
そのスタイリッシュな見た目に、日向は結構いい印象を持ったようだ。だが。
『……。えーさん。このカクテル、ベースは何でできてるのさ?』
『オういぇ。よくキいてくれタよ純也! ジゃパーんの魂・ショっーチューと、ロシアの魂・スピリタスに日本を代表する果物、カボスを加えてネ! そレでヨーくシゃかしゃかってテいっぱいシェイクしたんダよ! こレで女の子にも飲みヤすいこト間違いなしサっ!』
(スピリタスって……)
さわやかに危ないことを抜かす栄次郎お兄ちゃんだった。
『焼酎は日本の魂というか……まあ、間違いじゃないだろうけど。っていうか、数ある柑橘類でなんでカボス……? カボスって日本の代表的な果物になるのかな……?』
『おーいェー。無問題だよ。ニッポンの魂・ニホンシュもはいってるンだ!』
『……。で。このカクテルの名前は?』
『名付けて。……日ロキョーヤク!』
『……』
『……』
『いイ名前でしょ? いィ名前でしょ?』
さすがに純也も日向も苦笑したまま絶句。聞いてすぐに、その名前はどうなのかと思ったのだった。そのまま部屋の空気がしら~っとしてしまったところで。
『却下だ却下! 大却下!』
流石に見かねたのか、後ろで腕を組んで見ていた紗理奈が突っ込んで来た。
『あ、紗理奈』
『っとに。黙って聞いていればなにやってんだか……』
『ド、どうシてだめなんだい紗理奈。素晴ラしい名前じャないカ!』
『どこがじゃ! 中身も中身だが問題があんのは名前もだ名前も! 兄貴のネーミングセンスに問題があんのよ!』
『うーン。そうカなぁ。イい名前だと思うのニなぁ。……じゃあ、不本意だけど第二候補にするヨ』
『第二候補?』
今度はまともだといいなと、純也は思うのだった。
『何て名前だよ』
紗理奈ははなっから信用していないのか、じとーっとした半開きの眼差しを兄に向ける。
『名付ケて……! 日ソ中立ジョーヤクっ!』
ふふんっと胸を張ってドヤ顔をきめこむ栄次郎。
『……』
『……』
二回続けて、日向と純也は絶句する。あ、それはダメなやつだ。最初のよりもっとダメなやつだ。もしかするとこの人は歴史マニアなのだろうかと、純也は思った。
『却下だ却下却下却ーーー下っ! いーかげんにしなさいこの馬鹿兄貴っ! 政治ネタから離れんかいっ!』
『ひデぶっ!』
紗理奈はそういって、兄にビシッと裏拳をくらわせるのであった。
――無論、彼女の攻撃には手加減などという優しいものは存在しない。
『ま、まあまあ紗理奈ちゃん。落ちついて。でも、その。おいしければいいんじゃないかな? ……なんて。名前は……その。ちょっと、変えた方がいいかも? だけど。あはは……』
『オー。ヤっぱり日向ちゃんは優シいね。僕嬉しいヨー』
穏やかでおっとりした声。天使のように優しい日向が、救いの手を差し伸べるが。
『……。ひなちゃん、あのね。……純也。ひなちゃんにみせてあげて』
紗理奈ははぁぁ、と深く溜息をついてから、純也にある物を手渡した。そして、アレをするように促した。純也も何度か経験があるからか、快く返事をしたものだ。
『ほいきた』
『アーーーっ! アーーー! 純也駄目ーーーっ!』
『やかましいアホ兄貴っ! こるぁ! じたばたすなっ! うーーごーーくーーなーー!』
『えーさんごめんね。さすがに僕もこのカクテルはやばいと思うんだ。コンテストとかでも酷評されそうだし、とどめをさすのも優しさかなーなんて思ったんだ。ごめんね』
泣き叫び、喚く栄次郎お兄ちゃんをがっしりギリギリと押さえ込む紗理奈。そしてその目の前で純也は、栄次郎自慢のカクテル『日ロ同盟(仮)』もしくは『日ロキョーヤク(仮)』に、シュボッと火をつけたマッチを投げ入れた。
『ほら』
『きゃっ! ひ、火が……!?』
一瞬にして、ボワッと火が付く。当然のことながらびっくりする日向。
『スピリタス。アルコール度数90パーセントオーバーのやばいお酒よ』
呆れ果て、ジト目の紗理奈が日向に説明する。
『き、90パーセントって……』
『女の子はもちろんのこと、並の男にも飲める代物じゃないと思うわよ。下手に一気飲みでもした日には、急性アル中になるわよ』
一気飲みダメ。絶対ダメと、啓蒙している栄次郎の目の前で、紗理奈は呟いた。
『あああア。僕の……僕の自信作ガー』
よよよと泣き崩れる栄次郎お兄ちゃんであった。
『火ィつけられるんが嫌なら、もうちったぁマシなもん作らんかいっ!』
『一生懸命ニ作ったんだヨ! 本当だヨ!』
『これでかよ!』
実の兄だろうと容赦無い紗理奈であった。
◆ ◆ ◆ ◆
と、以前そんなようなことがあったのである。
「……えーさん。せめて、ノンアルコールのジュースにしてください。もう、勘弁してください」
「そウいうなら、わかっタよ。……とってモおいしいのになァ」
あくまでオリジナルカクテルの提供を諦めきれない栄次郎兄ちゃん。
「あ、でもねでもネ。ソれでも純也には飲んで欲しいネ! 後デいいからネ!」
「それも、謹んでお断りを……。法律……」
「オいしいのニ~~~! 僕と一緒に飲モうよ~~~!」
ご丁寧に自作のボトルに入れて、やばそうなのを純也に渡そうとする。透き通るような蒼い瞳で哀願されて、純也は断るのにしんどそうだ。
「そ、そういう問題じゃなくてね。えーさん!」
迫られて困る純也。しかしここにきて、頼もしい彼女がまた現れるのだった。
「いい加減にせんかいこの馬鹿兄貴! あにをやっとるか!」
「あゥちっ!」
ビシッと背後から実の兄をどついてぶっ倒す妹が現れたのだ。
「あーすまん紗理奈。えーさんには悪いけど、正直助かった。かも……」
「どういたしまして。……純也。この馬鹿兄貴はひつこいんだから、調子に乗ったらこれくらいしないと放してくれないわよ」
「いや……。しかし、お兄さんにこれはちょっとひどいような……。心なしか、壁にめり込んでるみたいだぞ。加減したのか?」
「あぁ? こんくらいで死ぬタマじゃないわよ。この怪しいエセ外人は」
「それをあんたが言うのかあんたが……」
そして、実の妹に怪しいエセ外人呼ばわりされてしまった兄貴は。
「そ、そうだヨ。純也に飲んデもらうまデは……はゥッ!」
「まだ寝とれっ!」
今度は見事な蹴り。スカートがまくれ上がるのも気にせずに、細くて綺麗なおみ足でのハイキックが決まった。
「ふフ……。さ、紗理奈……。いイ蹴り……ダね……。ぐハ……っ!」
「お褒めいただいてどうもありがとうございます」
(息が合ってるなあ……。ある意味似ているのか? この兄妹は)
絶妙なボケと突っ込みに、何となく兄妹の絆(?)を感じる純也であった。少なくとも、仲が悪いわけでは無いことは確かだ。漫才でもやりゃ、そこそこ受けるんじゃなかろうか?
「まあ、それはさておき。ひなちゃんのお見舞いに行こうと思うんだけどさ」
「ああ、行く行く。ちょっと待ってて。待たせて悪かったね」
「あいよー」
「うぅゥ。僕のこと、サておかないでヨ……」
そして、家の中に入って行く紗理奈。後には、さておかれてぐすぐすいじけている栄次郎と純也が残された。
「えーさんさあ。もうちょっと、アホみたいに高いアルコール度数を下げようよ。元ネタの出来映えはなかなか良さそうなんだからさ。少しこう、バランスとか常識ってのをだね」
「のーのーノー! アルコールは強い方ガ美味しいのニー! アルコール度数の低イお酒なんて飲んでテ物足りないんだヨ~! そンなのただのジュースだヨ!」
譲れないこだわりというものを持っているようだ。この人も器用なんだか不器用なんだか……と、純也はしみじみ思うのであった。
「純也! ハやく成人してヨ~! 一緒ニ飲もウよ~!」
「あーはいはい。気長に待っていてくださいってば」
◆ ◆ ◆ ◆
「純也。おまたせ」
私服に着替えた紗理奈が、玄関から現れた。
「行こう」
「うんっ」
そして改めて、二人で病院までの道を歩みはじめる。
「そういえばさ」
紗理奈は思い出したように口を開く。
「うん」
「今日はひなちゃんのお母さんが病院に来てるんだってさ」
「へぇ」
そうなんだ、と純也は答えた。
「じゃあ、僕が一人で行っても大丈夫だったかな?」
「んー。兄貴もさっきなんかごにょごにょ言ってたけど、純也なら一人で会ってもひなちゃんは不安に思ったりしないと思うよ?」
「そう……かな?」
「純也がひなちゃんのことを心から想ってるってことは、この前改めてよくわかったし」
ちょっとからかうように紗理奈は言った。純也が日向にかけたあの真剣な言葉は、なかなか聞けるものではないなと思っていたのだ。
「もう。あんまり人には言わないでよ」
「言わないよ? だって、んなこと言うまでもなく、みんな知ってることだし」
「うう……」
こうして紗理奈と会話をしていて、ああ、やっぱり何か一つ物足りないなと、純也はそう思うのだった。
「やっぱりさ」
「うん?」
「何かさ。寂しいよね。あたし達、二人だとさ」
どうやら紗理奈も同じ気持ちだったようだ。
「うん。寂しいね。物足りない」
紗理奈と純也……。幼なじみの二人で話をしていても、何かがいつもと違うのだ。ペースが狂っているような、そんな気がする。
「あたしが純也と馬鹿話しててもさ。すぐ横で優しくくすくす笑って見守っていてくれる人がいないと、ね」
「つまんないよね」
こういうときはいつも、二人を見守るように微笑んでくれた日向……。そんな彼女がいない。
ひなちゃんは今、病院で寂しく、辛い思いをしている。可哀想だ。いたたまれない。
「早く、会いにいこ」
「うん」
寂しさを振り払おうと、二人は病院へと急ぐことにした。
◆ ◆ ◆ ◆
「……あ。純也、くん。紗理奈ちゃん。こんにちは」
病室のベッドの上には、相変わらず記憶を失ったままの日向がいた。
「ひなちゃん、こんにちは」
紗理奈が挨拶をする。何だか他人にしているみたいで、悲しい。
「やあ。……あれ、おばさんは?」
「今、お茶を持ってきてくれるって。出て行ったところなの」
「そうなんだ」
今の日向は眼鏡をかけてなくて、いつもとは印象が違っていた。
「今って、コンタクトしてるの?」
「うん。お母さんが持ってきてくれたの」
「そっか」
どことなく違和感を感じる純也。
「あの……。私って、いつも眼鏡をかけていたの?」
今まで、どうだったのだろうか。日向は気になった。
「いつもってわけじゃないけど、ほとんどそうだった、かな」
「いろんなひなちゃんを見たい、とか言ってたねー。純也」
「う……」
「僕の気分次第で、髪形とか眼鏡を変えるよーに。とかさ……。まあ、アマアマすぎてみてられなかったわー。ひなちゃんもひなちゃんで、はい、わかりました。なんて言っちゃってさ。本当に、純也に甘いんだから」
「い、いいじゃないか。本当にそう思ったんだから」
純也は恥ずかしくなって、ぷいと横を向く。
「ま、こんなふうに純也は変な奴だけど、悪い奴じゃないし、人畜無害だとは思うわ」
「紗理奈みたいに凶暴じゃないしね」
「そうそう……。って、だれが凶暴よっ!」
「あんたやあんた」
「あたしのどこが凶暴だってのよっ!」
「さっき、実の兄貴を本気でどつきまわしてたじゃないか!」
「んなもん、加減したに決まってんでしょーが!」
「あれでかよ! なお悪いわっ! 加減してあの威力かよっ! えーさん本気で一瞬白目剥いてたぞ!」
「あの馬鹿兄貴はあの程度じゃ死なんっ!」
「……」
そんな二人の言い争いを見ていて、おかしくて思わずくすっと微笑む日向。
「あ」
「ひなちゃん笑った~」
「え? え?」
戸惑う日向に対し、純也と紗理奈は手を叩き合って喜んでいた。まるで、バスケの試合でスリーポイントでも決めたかのように。
「あ、いや、あのね」
「いつも僕と紗理奈でこんなふうにしょーもなく馬鹿な話をしては、その度にひなちゃんにくすくす笑われていたんだよ」
「そうなんだ」
「何だか、久しぶりだね。こういう感じ」
「そう、なんだ」
なんとなく、自分がこの二人とどういう関係であったか想像できて、不安という名の霧が少しだけ晴れていった。
「あの……。私ね。もうちょっとしたら、学校に戻れるって、先生が言ってたの」
日向は遠慮しながら、そう言われたことを二人に告げた。
「そうなんだ」
「うん。もちろん、ちょくちょく通院は続けないといけないけど。その方がいいだろうって。日常生活こそが、リハビリになるんじゃないかって」
「よかった。本当に」
小さなころからいつも一緒にいた幼なじみが戻ってくる。純也も紗理奈も心の底から喜んでいた。
「あ、それでね……。純也くん」
「何?」
「私……。その。眼鏡かけた方が、いいの?」
心配そうな顔をして、そんなことを聞く日向。純也は笑いながら、何度か首を振る。
「……ひなちゃんの好きな方で、いいよ」
律儀にそんなことで戸惑う彼女は、記憶を失ってはいてもやっぱり変わらないな、と純也は思った。
「いいの?」
いいに決まっている。
「ひなちゃんはひなちゃんだもん。眼鏡をかけてもかけてなくても、僕の一番好きな女の子はひなちゃんなんだから……。そんなこと心配しないで。今はそんなこと、気にしなくていいんだよ」
「……」
純也の優しさに触れて、嬉しいなと日向は思う。でも、面と向かって言われてちょっと恥ずかしくて、頬を赤らめる。
「……。純也ー」
呆気に取られたような紗理奈。なんだこれ? ドラマのワンシーンかよと思っているようだ。
「何だいお邪魔虫さん」
「……いや、折角のラブラブシーンに水差して悪いんだけど。素で甘いわー。この部屋の空気がねー。何だか胸焼けしそうだわー」
「シュークリーム専門店ビアードダディから漂う匂いくらい甘い?」
純也は駅前にある、店先からやたら甘ったるい匂いがするシュークリーム屋さんのことを思い出す。日向と紗理奈と一緒によく行った、硬い生地のパイシューがおいしいお店を。
「いやいや、あんなの目じゃないって。っとに、だだ甘なんだから」
「そーかなぁー」
「純也ってさ。お調子ものだけど、結構プレイボーイな素質あるんじゃない? ジゴロなんじゃない?」
「お調子者は余計だよ。僕は一途なだけでプレイボーイじゃないし、ジゴロでもねえっての」
「じゃあ無意識かよ。何なんだこの主人公補正は」
「無意識で悪かったな。僕は普通だ」
しょうもないことでまた、言い争いを始める二人。
(優しいな……。やっぱり私も、この人の事が好きなんだ……)
日向の心に、純也のことが好きだということに納得できる自分がいた。ああやっぱり、この人が好きで良かったと、今改めて思ったのだった。
ピースの欠けてしまったパズル。一体どこにいってしまったのか、サッパリわからない。
それが、日向の笑顔と共に戻ってきた。
また、平凡だけど、楽しい日々が始まるのだと、誰もが信じて疑わなかった。
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