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ドゥルクは日に日に憔悴していったが、サーシャは気づかなかった。
体調の悪くない日を縫って、書物を読み漁り、秘薬の研究に明け暮れている。そのため、幼い弟子の変調を見過ごしていた。
ある暮れ方、ドゥルクの不在に気づいたサーシャは、はて、と首を傾げた。
「隠形遊びに興じるタチにも見えなんだが。これは、とうとう見限られたか、森の奥で迷子になっているやら」
作業場に戻って、作りつけの棚から古い羊皮紙を取り出し、机いっぱいに広げた。
足元の壺から黒い粉を一掴みすると、白紙の上に放り、短い呪文を唱えた。
粉は意思を持ったように紙の上へ吸いこまれ、一瞬にして精巧な地図が描かれた。
「ここか」
細く白い指を一舐めする。湿らせた指先が地図の一点で止まる。
「濃い瘴気だ。一体いつから、こんなことに」
サーシャはそ長い衣の裾を翻し、早足で森の奥へ向かった。
黄昏時の森は薄暗く、見通しがきかない。生い茂った丈高い草や、鬱蒼と伸びた枝を掻き分けて、奥へと進んでいく。
あの幼子の内に、闇の力が宿っていることはわかっていた。しかし、サーシャには些少の影響もなく、そのまま看過していた。
「……っ!」
目印は不要だった。目指す方向には、そこだけ冬枯れのよう葉が落ちた木々が見えた。傷んだ樹皮はめくれ、枝は根元から折れ、進むほどに荒れた状態は酷くなっていく。
「ドゥルク、ドゥルク!」
枯れ葉や枯れ枝を踏みしめ、さらに進むと、一際大きなブナの木の向こうに黒い人影が見えた。
腐臭漂う淀んだ空気に気づいて、サーシャは顔をしかめた。
「いつまで拗ねている。帰るぞ」
膝を抱えて座りこんだドゥルクは、ゆっくりと顔をあげ、掠れた声で告げた。
「かえれません……」
「ほう。このあたりは日が落ちると、魔物や獣も出没するが、それでも居座ると。面妖なことを」
サーシャは膝をついて屈みこむと、手袋をはめた手で、ドゥルクの小さな手を包みこんだ。
「だめっ!」
「おまえの手が触れたものが、次々と傷んでしまうからだろう。案ずるな。この私には毛ほどの傷もつかぬよ」
「……でも、僕、戻れません。だって、」
「薬草園のことなら知っている。一部枯れたものはあるが、大事ない」
「僕が触ると、枯れたり、腐ったりして……こんな、僕なんて妖魔に喰われてしまったほうが、」
赤く充血した目が、熱を帯びて潤む。
「確かに、おまえが生来手にしているのは、濃い闇の力だ」
ドゥルクは父母の顔を知らない。きっと、人ではない、魔の存在だったのだ。孤児院の子どもたちから囃したてられたように、人々に害をもたらす、忌むべき者たちに違いない。
ドゥルク自身も存在するだけで、周囲に不快な思いをさせてしまうのだから。
「闇の力を揮えるということは、闇を遠ざけることも可能だ」
「え……」
「わかるか、ドゥルク。おまえの心得と鍛錬次第で、魔を払い、病を払うことができる。要は扱い方次第であろう」
サーシャの言葉を噛み砕くように反芻して、ドゥルクは目を見開いた。
「来い。このような瘴気の渦巻いた場所では、おまえ自身にも障りがある」
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