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叢雲は手に持つ笛を、徐に唇へあてる。此れは、母の形見。田舎の村で育った筈の母が、何故か此の様な立派な龍笛を己へと託してくれた。たった一曲、奏でられるのだと教えてくれた優しい笑顔が浮かぶ。
笛が奏でる優しくも、何処か物悲しい切ない旋律。叢雲も、此の一曲だけを知っている。と、此処で。
「一刀!今の笛、一刀なのかっ?」
突如、耳へ届いた声に笛から唇を離し、辺りを見渡す叢雲。
「此処だよ、此方だって!」
叢雲は、声が少し頭の上から届く事に気が付き、ふと顔を上げた。其処には、高い塀から此方を覗く麗しくも愛らしい『娘』。錦の姿であった。無邪気な其の笑顔に、胸が鳴った気がした叢雲。僅かに染まる頬。
「あ、貴方は、何方(どなた)だ……?」
叢雲を完全に一刀であると思い込んでいる錦は、此の言葉に眉間へと皺を寄せ、不機嫌そうにしている。
「何だよ、変な事言って……あれ、今朝と衣が違う……どうして?」
此処で、次は首を捻る錦。衣が薄汚れている様な、更に質も又違って見えるがと。しかし、其れより何より気になった事は。
「其れより、いつの間にそんなに腕を磨いたのさ?素晴らしかったよ、もう一度奏でてくれよ!」
そう。先程の美しい音色だ。是非とも、もう一度聴きたいと。まだ戸惑いと驚きがおさまらない叢雲は、又声に詰まる。
「え……ふ、笛をですか?」
笑顔で頷く錦。が、今の『一刀』に漂う違和感がどうにも気に入らない。少々拗ねた様に頬を膨らませている。
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