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退社後、銀座へ
今年度の売上も右肩下がりだと謂ふのに、今日も取引先から取引中止を言ひ渡されて仕舞つた。此んな日は要に会ひたく為るのだ。残業終へし私は、銀座に行かむとて会社を後にした。秋も深まり夜風が身に沁みる。私は首に掛けてゐた丈の白き高地長毛山羊毛の襟巻を巻き付けた。最寄駅迄の銀杏並木、夜目にも美しき黄金色也。晩秋、此の黄金色の隧道を通り抜けるやうに為つて十五年に為る。
要は着物が似合う※潤雅たる銀座の女だ。凛とした佇まひが少し近寄り難き印象を与へるが、実は茶目つ気も有る情深き女である。夕方、電話で食事逢瀬に誘つたのだが、「今日は先約が有るんです。残念なんですけど、又今度誘つて下さいまし」と天使のやうな声で断られて仕舞つた。大抵の倶楽部接待員は斯う謂ふ場合、「今日は少々都合が悪いの……」と言葉を濁す物だが、食事逢瀬を断つた接待員が他の客と遅くに出勤して来れば、『今日は彼の客と同伴出勤だつたのだな』と直ぐに判る事なのだから、変に隠し立てをされると気分が悪い。其の点、要は正直に判然と理由を言つて断つてくれるので信用出来る。
私は経営者と謂ふ立場上、心を許せる人間が殆どゐ無い。常に警戒し用心してゐ無ければ、何時誰に足を掬はれるかも判ら無いのだ。学生時代に学友や闘球部員達から出し抜かれた経験から、私は用心深き性格に成つた。人からの信用を得る為に誠実に振る舞つてはゐる物の、私自身は他人を余り信用出来無いでゐる。学生時代の苦き経験から、他人を信ずる事が悉皆怖く為つて仕舞つたのだ。
若し誰かを全面的に信用して仕舞つたら、本音を吐露して仕舞つたら、私は全てを失つて仕舞ふのでは無いか――。其んな不安を抱へて生きてゐる。仕事で成功する為の一種の政略結婚だつたので、家内にも醜き本音は決して言へ無い。若し家内に愛想を尽かされたら、会社が倒産し兼ね無いからだ。だが要の事は信用出来るので、要の前で丈は安心してゐられるのだ。
「今日は同伴ですので、八時半迄に出勤します。其れより早目にゐらして御待ち頂く方が、確実に御席に着けますわ」
私が尋ねる迄も無く、要は必要な情報を教へてくれた。耳の穴の毛の一本々々を愛撫するが如き心地好き要の声に恍惚とし乍ら、私は答へた。
「ぢやあ八時頃、先に行つて待つてるよ」
「ハイ、其の旨主任に申し伝へておきます。御誘ひ有り難う御座いました。御店で※寬憩御話しませうね?」
要は電話口で無駄な御喋りは一切せず、要点を簡潔に言つてくれる。と言つても事務的で情緒無しと謂ふ訳では無く、高地長毛山羊毛のやうに暖かく柔らかく私を包み込むやうに話すのだ。
要との電話を切り、自宅に電話すると家内が出た。
「今日は銀座に行くから遅く為るよ」
「ハーイ、解りました。浮気しちや駄・目・よ?」
「馬鹿だなあ、する訳無いだらう?」と笑ひ乍ら答へる。
「解つてるわよ、言つてみただーけ♪」
脳天気な家内との何時もの遣り取りである。
「十一時には帰るよ」
「ハーイ」
此のやうに私が「銀座に行く」と早目に連絡しておけば、家内は接待だと思つて何も文句は言は無い。其れから一時間程残業した後、最寄りの「長寿庵」から旨味豊潤たる鴨南蛮蕎麦並びに柚子香る浅漬の出前を取つたのだつた。七味効かせし鴨南蛮を啜り乍ら、私は家族に思ひを馳せる。
家内は平凡な女だ。短大を卒業後、父親の勤務先の会社に縁故入社し事務員として働いてゐた。定時で帰宅し、母親の作つてくれた夕食を摂り入浴して就寝する。其んな判で押したやうな日々を十年程続けた後、私と見合ひしたのだ。其の時、私は三十五。未だ起業せず、小さな呉服問屋の情無き月給取りだつた私は、選り好み出来る立場では無かつた。此んな私と結婚して子供を産んでくれると言ふ女が、一人でも居れば其れで十分だつた。
「四十迄に会社を興す予定です」
見合ひの席で私の決意を聞きし其の娘、無邪気に瞳輝かせ、「マア素敵!」と言つた。素敵な事に為るか如何かは未だ判らぬと謂ふのに――。『会社を興すと謂ふ事は社長に成ると謂ふ事。此の人と結婚したら、私は社長夫人だわ!』と単純に然う思つたのだらう。此の楽観的な無邪気さに些か呆れ乍らも、何だか可笑しく為つて笑つて仕舞つた。家内が言ふには、其の笑顔が良かつたらしい。其れ迄、長らく緊張の面持ちだつた私が漸く見せた笑顔に安心した、と言ふのだ。『此の人に着いて行かう。此の人を支へて行きたい』、然う思つたらしい。
結婚後、私は何度も家内の楽観的な態度や無邪気な笑顔に救はれたやうな気がしたり、私の苦しみ等丸で理解してをらぬ家内に落胆させられたりした。彼れから十八年。私は五十三と成り、家内は四十七、息子は高校一年生、娘は中学二年生と成つた。
高校生に成つた息子が今、何を思ひ何を考へてゐるのかは判らぬ。「パパー、捕球練習しやうよー!」と無邪気に飛び付いて来た息子はもうゐ無いのだ。何時か又息子は笑顔を見せてくれるやうに為るだらうか、挨拶以外の言葉を交はせるやうに為るのだらうか――。
中学生の娘は未だ私に懐いてをり、私と共に夕食を摂る事を楽しみとしてくれてゐる。此れは世の中では珍しき事らしい。娘と謂ふ物は中学生にも成ると、父親に対して生理的嫌悪感を抱くやうに成り、其れが成長と謂ふ物ださうだ。我が子が成長して行く事は喜ばしく嬉しき事だが、少し淋しくも在る。『何時迄も小さな可愛らしき女の子でゐて欲しい』と謂ふ気持ちも在るからだ。何時迄懐いてゐてくれるのだらう――。
※潤雅 作者による造語。「しっとりとした趣のある」の意。
※寬憩 作者による造語。
判然 本来の読みはハンゼン。
悉皆 本来の読みはシッカイ。
恍惚 本来の読みはコウコツ。
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